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スリリングな「誤配」を仕掛ける、そんな美術展はありか?

前回の「人間には無駄が必要」という話とどこかでつながっているような話をします。

キーワードは「誤配」です。言葉そのもの意味としては、郵便物の配送間違いです。これは私が知る限り、批評家(哲学者?)の東浩紀が提唱している概念です。ちょっと著作から引用しますね。

ぼくはよく、コミュニケーションでは「誤配」が大事だということを言います。自分のメッセージが本来は伝わるべきでないひとにまちがって伝わってしまうこと、ほんとうなら知らないでもよかったことをたまたま知ってしまうこと。そういう「事故」は現代ではリスクやノイズと捉えられがちですが、ぼくは逆の考えかたをします。そのような事故=誤配こそがイノベーションやクリエーションの源だと思うのです。
『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』中公新書ラクレ、p.92
オンライン観光では現地に行くまでの時間をつくることができない。旅の価値のかなりの部分は、目的地に到着するまでのいっけん無駄な時間にあります。そのときにこそひとは普段とはちがうことを考えますし、思いかけぬひとやものに出会います。そのような経験こそ「誤配」です。ゲンロン(東浩紀が創業した株主総会)は、その無駄にこそ価値があると言ってきたわけです。
同上、pp.234-235、括弧内引用者

おっと、ここでも「ノイズ」「無駄」という言葉が出てきますね。言わんとすることは伝わるのではないかと思います。

予期せぬ巡り合わせ、予定調和から外れた偶然性、ノイズ(無駄)をランダムに含んだ物語(ストーリー)。演繹的思考法では飛び出すことができない思考の枠を、誤配によって一気に飛び越えることができる。これはとてもスリリングで、クリエイティブだと思いませんか?

アート、芸術そのものが人の暮らしの中では「ノイズ」であり、そしてそれゆえに価値があるとすれば、そうしたアートを鑑賞する場、美術館の展覧会もお客さん(来館者)に「誤配」を提供する空間であるべきじゃないかと私は考えます。

誤配の楽しみ、言い換えればいかに見る人に予期せぬサプライズを与えることができるか、ということです。

展覧会にはもちろん軸となるストーリーがあります。一人の作家を取り上げた展覧会であれば、その生涯を作品でたどるみたいな構成が分かりやすいですね。テーマ性をもたせて様々な時代やジャンルの作品を一堂にあつめた展覧会であっても

展覧会を最初から最後まで観た時に、ひとつの流れを感じてもらい、良質なカタルシスを得てもらうような「ストーリー」
「幕の内弁当のようなコレクション展はお得なのか」

を提供することが学芸員の本来の仕事です。
ただ、その流れがあまりにきれいすぎると、つまり「これがこうなって、だからこうなって、そしてこうなりました」と理路整然と作品によって説明した展覧会だと、見終わった時に「あぁよく分かった」と満足してもらえる一方で、それ以上の余韻を残さないというか、そこでぷつっと終わってしまうのではないでしょうか。

もちろん内容をよく理解してもらう、それは教育成果という観点からすれば大成功なのですが、上記のようなことを考えていると、はたしてそれだけでいいのだろうか、と考えてしまう天邪鬼(あまのじゃく)が私です。

思い出してみてほしいのですが、印象に残った展覧会とは「え、こんな作品があったの?」という予想外の作品と出会った時ではなかったですか。それこそが誤配が起きた瞬間だと思うのです。
とは言え、偶然性を計画する、誤配を計算する、そんなことが意図的にできると考えるのは学芸員の驕りかもしれません。サプライズの裏に「どうです、こんなの思いもしなかったでしょう」という企画者のドヤ顔が見えたら、一気に興ざめですよね。

だから、こうしたら100%誤配が生じるだろう、なんていう計画を立てるのではなく、あくまで偶然の産物に頼る、ランダムな何かが起きることを期待する、学芸員としてはそのための場を用意しておく、それぐらいにとどめておくのが良いのではないかと思っています。

具体的に私が現場で試している例を挙げると、一つの会場でまったく客層の異なる展覧会を同時開催するというのがあります。
通常であれば、メイン企画とサブ企画を同時にやるとしても親和性のあるテーマでやります。例えば(あくまで仮の話で、私が本当にやったということではないですよ)印象派の展覧会と一緒に、ミニ展示としてその中の一人の画家が手がけた素描展をやるとか、浮世絵展をやって同時に新版画の展示をするとか、そんな感じです。
これだとメインの展覧会を目当てにきた人の興味に比較的合致するので、すんなりともう一つの展覧会も見てもらえます。
ただ、そこをあえて無関係な二つの展覧会を同時開催してみたらどうなるでしょう。もちろんチケット一枚でどちらも見られるようにして。
これも架空の設定ですが、たとえば縄文土器展と現代アート展とか、室町絵巻展と近代小説の挿絵展とかね。ま、不思議とどこかでリンクしそうな気もしますが、こんな感じで全く違うテーマの展覧会をやると、片方の展覧会に興味があって見に来た人がふと全然興味のなかった作品を見ることになります。
大抵の場合は興味がないのだからスルーされて終わってしまうけれど、中にはその偶然の出会いによって、新しい興味を抱く人も出てきます。そんな偶然があってもいいんじゃないかな、と思ってこうした実験を行っています。

正直いって、学芸員の展覧会企画としては邪道です。もちろん王道としては、明確なテーマにしたがって作品を並べるべきですから。

誤配がどうだとか偶然性がどうだとか、そんなことをぶつぶつ考えながら展覧会を作ろうとしている学芸員は少ないのではないかと思います。私もふだん職場でこのような話をしているわけではありません。そんなことを言い出しても、おそらく伝えたいことの半分も伝わらず、不思議な顔をされて終わるような気がするので…。
むしろ今このnoteを読んでいる人の方が、すんなり理解してくれるのではないでしょうか。なぜなら、これまで私がつらつらと100本近く(!)書き連ねてきた記事を飛ばし飛ばしだとしてもここまで読んでくれているから、なんというか思考回路が似ているのだと思います。

いやー今回は裏の裏みたいな話になってしまいました。これが学芸員のスタンダードと思われちゃうと他の学芸員さんに申し訳ないので、ちょっと変わった学芸員のつぶやきとしてとらえていただければ幸いです。


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