重度自閉症 ASD ADHD の安楽死に関する本質的問題について … 自称 偽ギフテッドは今こそ本当の願いを語る by ハーミットジーザン
■安楽死と自閉症… 自称 偽ギフテッドは本当の願いを語る
本サイトの筆者 ハーミットジーザン は、ギフテッド云々などどうでもよいと思いつつ 偽 ギフテッド などと、たわむれに自称していた者である 。
かつての自称ニセ者による、少しはためになる?かも知れない「自閉症と安楽死」についてのお話が、以下である。所詮、こんなものは筆者の『公開オナニー』にすぎないが――――――
*
▲筆者は、この世界を実感をもって把握できない。わけの分からぬこの世界、自分を取り巻く不可解な人間が恐ろしい。この恐怖と怯えが、物心ついた時以来、老人となった今に至るまで続いている。
自分が居るべき、心の底から安心出来る世界に行きたい、まだ見ぬ本当の母親に会いたい。これが筆者の本当の願い、望みなのだ。
▲重度自閉症かつ数年に及ぶ慢性鬱病にて生を継続する苦痛に耐えぬ筆者は、安楽死、幇助自殺を切望していた。
だがしかし、当然、倫理的道徳的社会的に、これは安易に容認されるべきものでは無いことも十分承知している。
何故、安易に容認すべきではないのかを述べれば (余りにも当り前過ぎるゆえ馬鹿らしいが)、
●まず、これは殺人の対象が『他人』ではなく『自分』であるだけの、全くの殺人罪である。自分を殺すことは他人を殺すことと、本質的な相違は何ら無い。
●そして、誰もが承知とは思うが、自殺とは、単に個人の問題のみに留まらず、その周囲に少なからぬ影響を及ぼす。
家族 友人は言うに及ばず、或いは見も知らぬ誰かが、救えなかったひとつの生命に悲嘆するかも知れない。
安易に真似をする者が出るかも知れない。
所謂『反出生主義』なる "自己中心の我利我利の利己主義" の塊たる厭世主義の蔓延に加担することになるかも知れない。
賃貸物件内の自殺であれば、事故物件となってしまい、貸主に多大な損害を与える。その他諸々、社会全体に及ぼす損害が少なくないのだ。
●そして更に、そもそも生命とは、単に自分、生みの親、家族親族、或いは社会全体の占有物などではない。
誰のものでもない、これは造り主のものである。造り主が、その一つ一つの生命に任務を負わせ、それを全うするように望んでおられるのだ。ゆえに、これは最後の最後まで、各個人が責任を持って生き尽くさねばならない。たとえどのような最後 (孤立死であれ殺人被害者であれ) を遂げようとも。自ら死を欲するなど、もっての外である。その意味に於いては『尊厳死』も、決して両手を上げて賛同するという訳にはいかぬと言えよう。
結局のところ、問題の本質は、筆者一個人の重度自閉症者としての苦痛が、重々承知している『社会通念上の道徳、倫理、造り主への畏敬』すら超える程の苦痛である、ということなのである。
天涯孤独の重度自閉症者…一見、健常者同様に見えるために誤解され、幾度となく " 私は自閉症なので負担が大きいので無理だ " と主張しても無理を押し付けられて来た重度自閉症者が、社会で生きていく上で味わわねばならぬ塗炭の苦しみ、大苦痛。
更にそのうえ、この地球上に生きること自体に酷い違和感、異質感を感じてしまうという、この世界との断絶感を生じさせている " 目視出来ぬ隔壁 " を生まれながらに背負わされ、人と心を通わし交流することを為し得ぬように " 作られて " しまった、人間らしさの欠落した欠陥品としての悲しみを、一体誰が分かるというのか ( 誰も分かりはしない)。
或いは、発達障害 者 ASD 当事者は、この筆者に共感するかも知れない。しかし遺憾ながら、筆者はその当事者達に酷い嫌悪を抱いている。
彼らの、健常者のそれをまさに凝縮したかの如き " 恐るべき自己中心性 エゴの塊、あらゆる局面に於いて自己本位にしか物事を捉えられぬ厚かましい幼児性 " を、筆者は嫌悪して憚らない。
筆者は健常者、発達障害者いずれにも、底しれぬ違和感 断絶感を感じているのだ。筆者の本来居るべき場所は、少なくとも、あなた方の存在するこの次元では無い。
*
安楽死を決断し実行した先人達も、筆者が冒頭で述べた如く、『安楽死とは基本的には容認すべきではない』ということなど重々承知の上で、それでも、自己の耐え難い苦痛から解放されることを望んだのかも知れない (これもあくまでも推測。己の不幸をもとに拡大自殺を図る、視野狭窄の極端思想『反出生主義』と安楽死を結びつける、
『物事のある一面のみを観て、単純に、自分の思い通りにならぬ世界を全否定し破壊せんとする、単なる自己中心の塊』に過ぎない者も存在するようなので)。
▲Wais-Ⅲ「理解」との関連--- 筆者は自閉症にも関わらず、何故俯瞰的視点を以て物事を観、判断し得るか
筆者は自閉症にも関わらず、何故俯瞰的視点を以て物事を観、判断し得るか、これには 知能検査wais-Ⅲ に於ける「理解」の高さが関係している。これが筆者は事実上満点であるのだ。しかるに知覚統合たるや、軽度知的障害のレベルである。
筆者のwais-Ⅲ検査結果を折れ線にて示す↓

IQの「落差(ディスクレパンシー)」は、数字が大きくなればなるほど、頭の中で働く複数のシステムの「ギヤが噛み合わなくなる」ことを意味する。
筆者の群指数に於けるディスクレパンシー「31」という落差は、社会生活の中で凄まじい摩擦と疲弊を生む極めて珍しいレベルと言えるものであり、かつ、筆者の中に 老成した大人と幼稚な子供 が同居し、その老成者が子供の愚行を絶えず監視して辛辣極まる自己批判を行うという、このサイトに見られるような、極めて厄介な状態を生む要因となっているのだ。
■これからの若者に、筆者より… 苦しみの意味、本質
▲積極的分離 云々は、いわゆるギフテッドの専有などではない
所謂『ギフテッド界隈』とか称されるクラスタに見られる、やれ積極的分離は云々… のなんのと小理屈、或いは思考の遊戯に耽るなど、実は人生に於いては重要なことではない。
人種性別を問わず生きとし生けるもの誰もが、精神的人格的に成長するためには … 即ち、自己の欲求を満たすことのみに汲々とし、他を顧みようとせぬ自己中心の「悪しき自我」から解放され、宇宙万物の同胞と一つとなるために善く働き得るようになるためには、
『己の成長を妨害せしめる " 悪しき自我 " を乗り越えんとする際に生ずる、凄まじい意識下の抵抗による、時として発狂する程の苦しみ』
を、味わわねばならぬということ、、、こんなことは当たり前すぎるほど当たり前なのであるから。
しかしながら、世の中にはこの当たり前すぎること、即ち苦しみの意味、苦しみの本質を毫も分からぬ者が大多数であることも、確かではあるのだが。
この単なる自閉症の筆者にですら、精神と人格が崩壊する程の塗炭の苦しみ、安楽死を切望せざるを得ぬ程の苦悩が、現に今に至るまで続いている。
この苦しみが、見知らぬ誰かの幸福のためになり得るのか、人格の向上に寄与するのか、筆者のこの世界に存在している間に…?
或いは多分、この苦痛の報われるのは来世に於いてではないのか… と近頃では観念しつつはある。この、筆者の内面を反映した複雑怪奇なサイトは、その観念する過程における副産物、と言ってもいい。
ともあれ、要するに、所謂 積極的分離理論 云々… これは、その苦痛に程度の差こそあれ、誰にでもその人生に於いて生起しているものなのであって、所謂 ギフテッドの専有物 などでは全く無い、ということである 。余りにも分かりきったことだ。勿体をつけて云々するほどのことでは無いのである。
人生の謎或いは苦悩の意味とは、幾らアタマで考えて理由付けし理論化しようと、歳を重ね、己が身を以って知らされなければ分からぬことも多い。50、60、70歳台、否、いまや消えゆかんとする人生の黄昏になって、ようやく知らしめられることすら少なからずある。
まして血の気の多い若者達に、人間知 人生知を、或いはギフテッドとは積極的云々とは…と、基本的なことのみならばまだしも、微に入り細を穿って幾ら熱心に説こうと、容易にその真意真相を解し得るものではないのである。
せいぜい各自 手前勝手な解釈を為し、SNS等を介して自説を開陳する程度が関の山であろう。特に、思考に著しい偏りを有する、 自称他称の 2e などは。
▲これからの若者に
…若いうちは、自傷他害にだけは十分に気をつけて、あとは思うままにやってみることだ。
ネット上にある、どこの誰とも知れぬ賢しらな者が記した記事を読んでばかりいては、だめだ。
また、たかがネット上の玉石混交たる情報の集積分析に長けているに過ぎないばかりか、いまだに多くの欠陥を抱える AI 相手に、単なる暇潰し程度ならばまだしも、人生を捧げるなどもってのほかである。
AI なる電子の或いは量子の隔壁の中に逃げ込み、無機質の物質に霊も心もあげて隷属し、ヌクヌクと惰眠を貪り…自ら考えることを放棄してしまってはいけない。
自分で考え、その苦しみの中…時には発狂する程の苦しみ、否、たとえ発狂したとしても、廃人になろうとも、社会の中でたった一人になろうとも、傍目には悲惨な孤立死が待っていようとも、その中から自分自身の何かを掴みとらねばならない。それが、自立 自律した人間なのだ。
更に視野を広く、己の身を以って試行錯誤していくことだ。これは若い者にしか出来ないことなのだ。
例えば、第一次アニメブーム以来いまだに低賃金 重労働の劣悪な状況が続いているアニメーター、或いは声優なども、皆さんが強い関心があるのなら、たとえ周囲から反対されたとしても、やってみればいい。
気力体力のある若い間なら、いくらでもやり直しがきくからだ。しかし歳をとると、なかなかそうはいかなくなる。
「何歳からでもやり直せる」と言われたりするが、これは半分は嘘。その理由は、皆さんが歳をとれば分かる。
若者に対して、老人の筆者が言えることは、こんなところである。若き諸君の人生に実りのあらんことを、祈る。
P.S.
This isolated aged person,I,with ASD,foolish,no one can be with,hardly get any advices,is difficult to live in social. After all,I just take this way,Die. You understand?
But never die,you,young men. W hatever happens,live!
Copyright©Hermit G Zan
2025,2026 All rights reserved
Manuscript revision May 2026
