【試行回数】「目的」というバッターボックスに視線は向いているだろうか?
商売において、短期の成果に一喜一憂するのではなく、「打席に立ってバットを振った」という事実にモチベーションをつなげよう、という話
先日、家族の予定がバラつき、偶然にも次男と夕食を取ることになった。
そんな二人っきりの夕食時、こんな話題が上がった。
「勉強に対してのやる気があったりなかったりするんだよね」
次男は中学2年生だが、入学してからの成績は安定しない。
半年前のテストではやる気がMAXだったらしく、自身で計画を立て黙々と課題をこなしたところ、自己ベストを大きく更新。
その次のテストでは気が緩んだのか、勉強に身が入らず結果は散々だったのだ。
自身ではやる気も成果も右肩上がりに上がる理想を持っているようだが、どんな目的も成功や失敗を繰り返すことで磨かれるのであり、それには目的と対峙するために「バッターボックスでバットを振る」という試行回数を積み重ねる必要がある。
アクションを起こすこと自体に意味がある
テスト勉強を工夫してみる、知らないことに手を出してみる、人前で意見を言ってみる。
結果がすぐに伴わなかったとしても、それ自体が大きな一歩だ。
挑戦しなければ「空振り」すら経験できない。
成功も失敗も“材料”でしかない
一度の成功や失敗は、単なる通過点にすぎない。
成功は「なぜうまくいったか」を学ぶ材料
失敗は「次はどうすればいいか」を教えてくれる材料
どちらも価値があり、次の一歩にどうつなげるかが本質だ。
「当たったかどうか」より「振ったかどうか」が未来をつくる。
打席に立った人にしかわからない感覚
挑戦した人にしかわからない感覚がある。
緊張して足がすくむような感覚
思い切って振ったときの開放感
空振りした悔しさと、当たったときの手応え
それらは、見ているだけの人には決して得られないものだ。
振った人だけが持ち帰れる感覚であり、次の挑戦の糧になる。
上記のようなことを次男には伝えたが、それがすぐに身につかないのは当たり前。
ただ、何かの折に伝えた話の断片でも思い出してくれれば「目的」というバッターボックスに視線が向くのかもしれないと思っている。
何よりも、バットを振り続ける人だけが、成長の景色を見ることができる
