大理石としてのDrakeについて
寒い季節となると、Drakeでしょ
布団から出たくない季節だ。出なきゃなぁ、とは思うのだが、どうも怖くて困る。布団からはみ出した頭や手が伝えてくる気温に、全身が耐えられる気がしなくて、変にビビり散らかしてしまうわけだ。そんな季節の中に今年も我々は置かれている。だとしたら、Drakeについて語るしかないだろう。春や夏にDrakeについて語るなんて、まああり得なくはないだろうが、冬のふさわしさにはとても敵わない。
何故?と思う人もいるかもしれない。説明がてら、結論まで語っておくと、Drakeが大理石だからだ。大理石という言葉を聞いた時、あなたはまず何を思い浮かべる?あるいは何を感じる?自分に問いかけてほしい。
言い切ってもいいが、あのひんやりとした質感だろう。畳にも、フローリングにもあのひんやり感はない。体が火照っている時に、ひんやりとした大理石に寝っ転がれるとしたら、たまらないだろう。少々下品な言い方を許してもらえるならば、玉袋の裏までひんやりとした大理石に触れさせたくなるはずだ。いかなる畳も、いかなるフローリングも熱くしつこいものとして感じられてしまうような状態に陥った人間に、大理石のひんやりさは、実に気持ちよく助け舟を出してくれる。
さて、Drakeのラップには今まで語ってきたような大理石的ひんやり感がある。そして、この大理石感が最も似合う季節、ひんやりした大理石的世界に包まれることのナルシシズムを最大限味わえる季節こそ、冬なのだ。つまりDrakeを聴くにしても、その魅力について語るにしても、冬以上にふさわしい季節はない。
ひんやりしている質感を味わうなら、夏に聞いた方がいいんじゃないの?冬にさらに大理石的ひんやりさを重ねると体調を崩しちゃうんじゃないの?といった疑問を持つ方もいるかもしれない。まあ、そう取ることもできるだろう。夏にDrakeを聴く人がいても一向に構わない。そのことのメリットも、なんとなくわかるしね。でも、そう思う人も是非一度冬にDrakeと向き合ってほしい。ひんやりした大理石的世界に立っているというナルシシズムに、気持ちよく迎え入れてもらえることだろう。こんなひんやりした世界に、自分は今立っているのだ。その中で口を大きく開けずに、控えめに、クールに呼吸しているのだ。そんな実感が、寒さすら心の装飾品にしてしまうほどの勢いを持ってあなたを包み込むだろう。このナルシシズムの喜びは、夏にDrakeのひんやり感を味わう時のそれを確実に凌駕しているって話だ。
大理石性の具体例
その一
改めていうが、Drakeのラップには大理石的な質感に満ちている。そしておそらくこのことには、彼自身も気づいている。いや、気づいているという言葉では足りない。おそらくDrakeは自らのラップの大理石っぽさに気づき、キャリアを通してそれを育ててきている。したがって彼は、他の誰よりも(勿論、今この文を書いている僕よりも)、自分の大理石っぽさを意識しているはずだ。
何故こうまで言い切れるのか。試しに、キャリア初期の彼のラップと最近の彼のラップを、サブスクかなんかで聴き比べてみてほしい。例えば2011年リリースの〈Headlines〉と、2025年リリースの〈CRYING IN CHANEL〉でも聞いてみるといいだろう。明らかにラップの大理石度が増している。前者の時点でもすでにそこそこひんやりしているが、まだ大理石と言えるレベルまでは到達していない。精々寒い日のフローリングといったところだろう。
だが後者はどうだ。こんなの、大理石以外のなんなのだろうか。歌もラップも見事にひんやりし切っている。歌とラップを行き来し、時に「fuck it」というフレーズを多用してキャッチーなリズムを作るなど、いくらでも熱くなりそうな要素があるにも関わらず、そのいずれもが、固く、研ぎ澄まされ、何よりひんやりとした大理石的な質感に収まっているのがわかる。異様にシンプルなトラックが彼の大理石性をより強化する。
ちなみに言っておくと、このトラックのシンプルさは、大理石のもう一つの要素、すなわち高級感をも高めている。高級感とはつまるところシンプルさとひんやり感に宿るものだろう。チカチカ様々な色に光るゲーミングPCと、シルバーと黒だけで構成されたMac。どちらに高級感があるのかって話だ。シンプルでひんやりしたデザインは、完成されるまでに削ぎ落とされた数々の要素を思い起こさせる。そして、その削ぎ落としにこそ、我々は高級感を感じるのだ。大理石にも確実にそういった高級感としての魅力がある。僕がDrakeを大理石に重ねる際には、当然こういうニュアンスもふんだんに入ってるってことを、覚えておいてもらえると嬉しいぜ。
その二
近年のDrakeの大理石っぷりは、早口でラップを詰め込むタイプの曲にも現れている。2023年のCentral Ceeとの共作〈On The Radar Freestyle〉を聞いてみてほしい。イギリスの若手実力派Central Ceeを牽制するかのように、Drakeは初っ端から早口と長めの押韻を小節に詰め込んでいる。にも関わらず彼の歌い方は妙に力が抜けていて、決して熱を帯びない。淡々としているといってもいいくらいだ。「zero zero zero」と同じ言葉を連呼する場面なんか、よくこんなに力を抜きながら連呼できるものだと驚くほど。
ここらで〈On The Radar Freestyle〉と同じく、若手実力派とスキルをぶつけ合うDrakeが聴ける2013年の〈Fuckin’ Problems〉を聞いてみてほしい(A$AP Rockyの曲にDrakeが参加している形だが)。この10年の間に、いかにDrakeの大理石っぽさが進行しているか、さらにわかってしまうだろう。見事なスキルでほとんど切れ目を作らずラップし切るDrakeの声には、確かにしっかりとした力が入っている。同じ曲に参加しているA$AP Rocky、Kendrick Lamer、2Chainsと比べるとかなりひんやり目ではあるが、十年後の大理石具合とは全く別物だ。
Drakeがわからなかった頃
熱さとぴったりが全てだった頃
さて、ここらで打ち明け話がしたい。ぶっちゃけヒップホップを聞き出した頃の僕は、Drakeの魅力がイマイチわからなかった。先ほどあげた〈Fuckin’ Problems〉なんかは好きでよく聞いていたけども、「こういう声、こういう声の出し方じゃなかったら、もっと好きなのになぁ」と歯痒い思いをしながらDrakeのヴァースを聴いていた気がする。
もっとトラックにピッタリ合っていれば、もっとくっきりしていれば、もっと詰め込んでいれば、もっと感情むき出しでいれば、もっと熱ければいいのに。そうに決まっているのに、なぜDrakeはこんなにもカサついていて、ボヤけていて、間を空けていて、冷たいのか。しかも、どうやらその冷たさを強化しようとしているようにも見える。そんなことが許されるのか。ふざけてるのか。
今思えばダサすぎる感想だが、このダサすぎる感想を覚えてしまった少年のことも、ちょいと擁護しておきたい。なんせ当時の僕はEminemをきっかけにヒップホップにハマったばかりだった。Eminemを起点にして2PacやらKendrick Lamarやらを知っていっている最中だった。そして当時チャート上位に君臨していたFlo Ridaの驚くべきチャラ曲の数々を学校の行き帰りで聴きまくったりしていた。
信じ難いことだが当時の僕は、Flo RidaがEminemなどと同じジャンルの、同じ感性のもとに評価できるアーティストであると何の疑問もなく思っていた。というより思いすらしなかった。Flo Ridaのチカチカ様々な色に光るゲーミングPC性と、その他のラッパーたちのシルバーと黒だけで構成されたMac性の違いを、中一ごろの僕はほとんど見極めていなかったわけだ。言っておくが、僕は別にFlo Rida及び当時のEDM風チャララップを貶したいわけではない。ただ、それらが別物であることに気づかないほど、当時の僕は、トラックと分かりやすくフィットしていて、声がくっきりしていて、詰め込まれていて、感情が伝わりやすくて、熱を帯びているものにベタに惹かれていたのだ。なんならそういうのが、ラッパーのスキルの、いや、あらゆる表現のスキルの全てだと思っていた。
そんな感性に満ち満ちている少年がDrakeを聞けるだろうか。その大理石的魅力を解することができるだろうか。まあ、できないに決まっている。
かつてDMXは言った。Drakeにまつわるすべてが嫌いだと。Drakeの声も、しゃべる内容も、顔も歩き方も、何もかも嫌いだと。そんな彼の言葉を再利用してKendrick LamarがDrakeを罵倒しまくったこともあった。
まあヒップホップを聞き出した頃の僕も、Drakeに対してそんな印象を持っていたわけだ。
だが、色々なヒップホップを聴く内に気がついてきた。熱いように見えるラッパーたちも、いつ何時も熱いわけではないことに。トラックにぴったりとくっついているように聞こえるラッパーたちもいつ何時もくっついているわけではないことに。そして、それゆえに僕を含めたリスナーたちは、彼らのラップに魅せられているのだということに。
つまり、Eminemにしても、Kendrickにしても、熱のなかに微量の冷たさを忍ばせたり、ぴったりとくっついているなかに微量のズレを忍ばせたりしていたのだ。
例えばEminemの〈Rap God〉。熱量あふれる早口ラップで知られているこの曲の中盤、速度も声量も押さえ、静かにシンプルなライミングを重ねる場面がある。その部分のリリックのゲイ差別的な側面には乗れないにしても、あの見事な静けさが曲に深みを与えているのは間違いない。熱い早口に収まらない部分があるからこそ、この曲は単なるスキル自慢に収まらず、何度も聴き返せる名曲となっているのだ(その抑揚のつけ方も含めてEminemのラップスキルなのも間違いないのだけれど)。
あるいはKendrick Lamarの〈untitled 7〉や〈hey now〉。どちらの曲も、かえって不自然に感じるほどトラックのリズムや抑揚に張り付いたラップをしている部分がメインに据えられている。その一方で、〈untitled 7〉ならあらゆる言葉にnoをつけるところ、〈hey now〉なら「Magneto」のところなど、あえてリズムからラップを溢れさせている箇所も目立っている。こういう過剰な適応と過剰な逸脱が張り巡らしているからこそ、Kendrickはいつまでもリスナーに尻尾を掴ませない、ミステリアスな魅力を放ち続けることができるのだ。
冷たさとズレ
この辺の事情に気づくと、熱さやぴったりに回収されない部分にも、なかなかの魅力があることに意識的になり始める。そして、いかに気持ちよくひんやりさせてくれるか、ズラしてくれるか、あるいはいかに熱とぴったりとそれらを両立させてくれるかを気にするようになる。
この段階になってふと、あれ?、と思うのだ。Drakeって実は凄いんじゃね、気持ちいいんじゃね、めちゃ大理石なんじゃね?、と。
もちろん僕はDMXもKendrickも好きだ。Kendrickなんか正直Drake以上に好きだし、僕の中では完全に史上最高のラッパーとなっている。ゴーストライター疑惑や未成年淫行疑惑など、Drakeにも様々な問題があるのは確かだし、彼らがdisをカマしたくなる気持ちもわからなくない。DrakeのKendrickに対するアンサーには、納得できないものも少なくなったしね。
それでも今で語ってきた通りDrakeの、ひんやり加減は、硬さは、高級感は、つまるところ大理石感は本当に素晴らしい。現時点での僕ならはっきりそう言い切ることができる。
大理石は収まらない
パクリで済ませちゃいけない
最後に、Eminemの〈Superman〉とDrakeの〈Chicago Freestyle〉を聴き比べながらこの文を締めさせていただきたい。
聞けばわかることだが、後者は前者のサビをほぼそのまま使っている。Eminemがかつて歌ったメロディと歌詞をDrakeが自分の曲に合わせて使い回しているわけだ。
Drakeが多用するこのような手法を、パクリだと指摘する声も沢山ある。だが〈Superman〉と〈Chicago Freestyle〉を聴き比べれば、Drakeの歌い直しが単なるパクリに収まっていないことがじわじわわかってくるだろう。恋愛とセックスに溺れ、女を取っ掛えひっかえする男の心が歌われているこの箇所を、EminemとDrakeがどう響かせているのか。各々の耳で確かめてみてほしい。
どうだっただろうか。Eminemの方からは、後ろのギター音も相まって、ダークで病的な印象を受けるだろう。すでに恋愛やセックスのダークサイドに触れてしまっている人が、その危険性を感じ取りながらも、さらに危険な領域に身を沈めていくような、そこに取っ替え引っ替えしている女たちも引き摺り込んでいくような感覚が、普段からすると少々低めなEminemの歌声からやってきたはずだ。
自傷でありながら自傷の枠に収まらない傍迷惑なセックスの世界へ、リスナーたちを誘う力が、この曲には、このラップには、そしてこのサビには(特に曜日を連呼し、最後にyoをつけるところのダークな脱力感には!)あるってことをしっかり確認してくれたかなと思う。
その上でDrakeの〈Chicago Freestyle〉に行こう。こっちにも〈Superman〉同様、ダークな空気感は漂っている。ただ、色々な女とセックスするぜ!、と熱く自慢するのではなく、そのことの危険性や悲しさにも自覚的でなければ決して出ないような質感が、こちらにもしっかり漂っているわけだ。
だがDrakeの歌声からは不思議と、Eminemのそれに溢れていた病的なスリルが感じられない。〈Superman〉はダウナーかつ病的でありながらも、どこか病につきまとう熱みたいなものが宿っていた。かさぶたに指を当てると少しあったかく感じるような、そんなじんじんくるような熱が、確実にEminemの歌声には響いていたわけだ。
だがDrakeにそんな熱はない。熱「すら」ない、と言ってもいいかもしれない。Drakeの鼻歌的で、どこかトラックに馴染みきっていないような質感の歌声は、一切の熱が抜け落ちていて、吹いたら飛んでいくかのように軸足が定まっていなくて、それでいてその定まらなさが定まっているような妙な硬さがあって、何より冷え切っていて、詰まるところとてつもなく大理石だ。2回目のサビの時の「saturday to」の後に一瞬間を開けるところなんて凄まじく色っぽい大理石性となっている。エロエロだ。
もはや病むこともないような、大理石的恋愛マシーンとして交わりを続けるDrake。おそらく歌詞に出てくる女たちもそんなDrakeの虚無性、大理石性に惹きつけられてやってきたのだろう。スカスカであることの重み、みたいな変な色気に誘われて、大理石的ナルシシズムの中にDrakeと共に漂っていくつもりなのだろう。
〈Chicago Freestyle〉のようなDrakeの大理石性が極まった瞬間に触れると、もしかしたら光源氏やカサノヴァも、Drakeみたいな妙に重いスカスカ性を持った人だったんじゃないか、みたいな気もしてくる。そんな大理石性をあたためようとして、あるいは自分も同じような大理石になろうとして、物語の女たちは彼らに惹かれていったのではないかと。
ここまで読み、聞き、そしてまた読みと繰り返してくれた人々はわかったはずだ。DrakeによるEminemのサビの再利用は決して単なるパクリには収まるものではないと。DrakeはEminemと同じ歌詞、同じメロディ、同じリズムをたどりつつも、その大理石性でもって、元とは異なったニュアンスをしっかり生み出している。まるで井上陽水『少年時代』に視点の転換をもたらしたあの森七菜によるインスタライブでのカヴァーのように。
皆さんによい冬を
皆さんの寒い季節に十分なナルシシズムを付け足せるほどに語っただろう。ここらでこの文を終わらせたい。
最後の最後に。僕はDrakeが丁寧に歌を歌おうとする時の声があまり好きではない。普通に上手い歌になっていて、どうもつまらなく感じてしまうのだ。逆に鼻歌みたいなテンションで歌っている時は大好きだ。〈Serch & Rescue〉みたいなやつのことね。てなわけでみんな、鼻歌Drakeをしっかり味わってくれよな。
