SDGsとマテリアリティ
最近SDGsという言葉をあまり聞かなくなった。
数年前はどこに行っても目にした。会社のパンフレット、駅のポスター、偉い人のスピーチ。カラフルな17のアイコンがあちこちに貼られていた。
代わりにちらほら耳にするようになったのが、マテリアリティという言葉だ。
「サステナブル」のはずの言葉自身がサステナブルでなかったとすれば、皮肉な話だ。
マテリアリティは、自社にとっての「重要課題」を特定し、資源を集中させるという考え方だそうだ。
SDGsの17目標を全部抱えるのをやめ、うちに関係あるものだけ選んでやります、という宣言である。
例によってマテリアリティという言葉を使っているのは大企業が多い。
IRレポートに「当社のマテリアリティ」と書けるのは、そういう余裕のある会社だけとも言える。
マテリアリティの定義自体は合理的に聞こえる。ただ、大企業がいくら「マテリアリティ」を掲げても、投資家が見ているのは結局ROIと株主価値だ。数値化できない課題は、どれだけ丁寧に言語化されても決算説明会では空気になる。
そして大企業がマテリアリティを定義するとき、定量化できないものはこぼれ落ちる。
定量化できるコストやリスクであっても、誰かが引き受けなければならない。その「誰か」は、たいていサプライチェーンの下流にいる。
重要でないと判断されたことは誰がやるのか。それが外部化と呼ばれるものであり、昔から変わらない構造だ。
そもそも「マテリアリティ」が実現したとして、恩恵を受けるのは誰か。
本来、サステナビリティとは社会全体のベースアップのはずだ。だが自らが拡大した格差が社会不安に転化すると、今度はそこから身を守るセキュリティに金を積む。
広がった格差が社会不安を生み、その不安から身を守るためにさらに富を囲い込む。これは本末転倒というより、最初から目的がすり替わっている。
トリクルダウンは本当に起きているのか。介護や配送のような、社会の基盤を支える仕事が低く見られすぎてはいないか。
もちろん人口減少や国の競争力は重要だ。
一方で、付加価値という言葉が幅を利かせるほど、数値化できない貢献は見えなくなる。マテリアリティも同じ構造の上に乗っている気がしてならない。
過去を振り返るとCSR、PRI、ESG、SDGs、サーキュラーエコノミー、そしてマテリアリティ。流行り言葉は数年で陳腐化し、言葉だけが変わってきた。
マテリアリティも同じ道をたどるだろう。次はどういった言葉が来るのか。
ネイチャーポジティブ、リジェネラティブ、とかそういう方面だろうか。
いいなと思ったら応援しよう!
気ままに、思いついたことを書いています。誰かに届けようというより、自分の頭と言葉の整理ですが、ここまで読んでくださったあなたに、何かひとつでも引っかかるものが残っていれば幸いです。