(短編小説)名前をつけてやる
それなりに腕に自信はあった。最低限守るだけの武力。
なぜかいつも濡れている繁華街の路地でアスファルトの温度を感じながらおれは知った。
それが通用しない日もあるということを。
酒場でのなんだかんだのいざこざの後、おれは殴り倒されて今ここにいる。
譲れないものを譲らなくて良かった。
人は人であるために自分の想いを曲げてはならない。
たとえ濡れた路地裏に横たわることになったとしても。
地面が黒く濡れている。今日は雨は降ってなかったはずだ。
この黒い水はどこから来るんだろう。
頭痛が酷い。だが歯は折れてない。致命的なダメージではない。
なんだあの筋肉ダルマも大したことない。
ただ頭が痛くて、身体がだるくて動く気がしないだけだ。
めんどくさいな。このまま寝てしまおうか。明日のことは考えなくていいか。
視線を感じる。
どうせ世界を彩るその他大勢の人たちだろ。あんたらはおれに関係ないんだ。放っておいてくれていい。街ではお節介は無用だ。
おれは自分の想いを守ろうとしただけだ。
声を掛けるなんてしちゃいけない。それはヒトの尊厳を傷つけるんだ。わかるだろ。
視線の元が少しずつ近づいてくるのがわかる。
そうか、第二ラウンドね。いいよ。起きて相手してやるよ。
手負いの熊は強い。覚悟してこいよ。やってやる。
おまえが悪いんだ。放っておかなかったのがおまえの罪だ。
心の中でそう悪態をつきながらおれは閉じていた瞼を開くことにした。
視界に入ったのは小さな茶色。じっとおれを見つめる小さな眼。
なんだ猫か。
野良猫が夜の繁華街にいるのは当然のことだよな。
もしかしておれが横たわってるこの場所がお前のねぐらだったか。
だったらおれが悪いな。すまない。
茶色い野良猫はじっとおれを見つめている。
視線を合わせてもそらさない。
猫が前脚で顔を拭った。
ああ、明日は雨か。大丈夫。雨が降る前には起き上がるさ。
視線をそらさないまま、彼女は「にゃー」と鳴いた。
ありがとう。大丈夫だ。君の想いは受け取った。
そうだ、名前をつけてやる。
誰よりも立派で誰よりも馬鹿みたいな。
おれが名前を思いついた時には猫の姿はもう見えない。
名前をつけてやる。
残りの夜が来た。むき出しの出っ張りを誤魔化せない夜が来た。
(2020年)
(2023/01/20 改稿)
