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セックスワーク非犯罪化に、全面的には賛成できない理由

データを見る限り、非犯罪化がセックスワーカーの福利を改善する点については、筆者に異論はない。既存のセックスワーカーを法的保護の外に置き続け、暴力や搾取にさらし続けるより、非犯罪化によって権利と安全を確保する方が現実的だ。しかし、それを超えて「普通の職業」として公に認めることには、慎重な議論が必要と考える。

女性におけるセックスの認知・生理メカニズム


売春を「普通の労働」として扱う議論では、見落とされがちなのが、セックスを「どう位置付けるか」には性差があることだ。まずは、女性のセックスに関する認知・生理メカニズムを確認する必要がある。平均的に見て、女性はセックスをより強い情緒的文脈や絆形成と結びつける傾向が強い。オキシトシンをはじめとする神経内分泌の反応は、性行為を単なる身体的行為から親密性の構築へとつなげる方向に働く。このため、感情を切り離した性交渉は、心的外傷や後のパートナーとの親密性障害を招きやすい。カジュアルセックス後の後悔率は、複数の大規模調査で女性が男性を一貫して上回る(Galperin et al., 2013; Kennair et al.)。満足度の低さやオーガズム達成率の差が主要な媒介要因として示されているが、根本には「心を許す前に体を許す」ことへの内的ハードルの高さがある。この身体的・心理的メカニズムを無視して「同意があるから労働だ」と単純化するのは、やや単純化しすぎと考える。

心的外傷と自傷的サイクル


普通の労働では、身体や精神の限界は早い段階で自覚される。疲労、怪我、燃え尽きの兆候が、まだ引き返せるうちに現れる。しかし、売春では、感情を切り離した性行為の反復が内側に傷を蓄積させても、本人は「まだ大丈夫」と誤認しやすい傾向にある。心的外傷に気づいたときには、自己感覚や親密性の感覚などの神経回路が大きく変質している。
この時間差は決定的だ。自己肯定感が低い人、先行するトラウマを抱えた人は、身体を通じてしか承認を得られない状態に陥りやすい。一時的な金銭や承認は、短期的には自己を支える。だが長期的には「自分の価値は身体と若さにある」という自己認識を強化する。心と身体の乖離が進み、感情を麻痺させる習慣が固定化する。これが一種の自傷行為に近いサイクルを生む。病める魂が体を売り、売れば売るほどさらに病む。

若さ換金による収益構造


収益性の構造もこのサイクルを加速させる。需要側の嗜好は若さに強く偏る。キャリアのピークは短く、続けるほど稼げなくなる。誇りを持って働ける期間は限られ、三十代以降の稼働は、すでに換金した若さの残滓として扱われやすい。若さと貞操(身体の私的な領域を守り通す感覚)を換金する行為は、単なる「選択」では済まない心的負荷を本人に課す。

データが示すメンタルヘルスの実態


データはこの構造を明確に示す。女性セックスワーカーを対象とした系統的レビューとメタ分析では、抑うつの有病率は41.8%から44%(95%信頼区間35〜54%)、PTSDは19.7%から29%(同18〜44%)、自殺念慮は22.8%から27%、自殺企図は20%前後に達する(Beattie et al., 2020; Millán-Alanís et al., 2021)。一般女性集団の有病率を大きく上回る数値だ。幼少期の逆境体験や性的・身体的暴力の既往が極めて多く、参入の背景になっているケースが目立つ。仕事そのものが解離症状を誘発・増幅させる側面も、質的研究で繰り返し確認されている。日本のソープランド従事者を対象とした調査でも、職業上の「仮面」の下に未熟な私的自己が隠れ、解離とトラウマ的体験が蓄積する構造が指摘されている(Ozawa & Okano, 2014)。

結論



非犯罪化を進める議論は、現実的な対応として合理性がある。すでに従事している既存のセックスワーカーにとって、法的保護の外に置かれ続けるより、最低限の権利と安全が確保する必要は認める。暴力や搾取のリスクが下がり、福祉や医療へのアクセスが改善される
しかし、それを超えて「普通の労働」として公に肯定することは、慎重であるべきだ。公認は、精神に摩耗する女性を増やしかねない。心理的に脆弱な者の新規参入、ひいては「病める魂」を増やす方向に傾く。保護の名目でそのサイクルを拡大させるなら、本末転倒である。
既存者の短期的な保護と、新規参入者の長期的な被害の拡大が、同時に生じてしまう可能性がある。短期的な危険の低減と、長期的な人間の自己感覚・親密性・尊厳の保護を、同時に満たすことは容易ではない。両方の害を最小化する議論が必要だ。


参考文献


  1. Millán-Alanís, J. M., Carranza-Navarro, F., de León-Gutiérrez, H., et al. (2021). Prevalence of suicidality, depression, post-traumatic stress disorder, and anxiety among female sex workers: a systematic review and meta-analysis. Archives of Women’s Mental Health, 24, 867–879.
(抑うつ44%、PTSD29%、自殺念慮27%、自殺企図20%などの有病率を報告

  2. Beattie, T. S., Smilenova, B., Krishnaratne, S., & Mazzuca, A. (2020). Mental health problems among female sex workers in low- and middle-income countries: A systematic review and meta-analysis. PLOS Medicine, 17(9), e1003297.
(LMICにおける抑うつ41.8%、PTSD19.7%、自殺念慮22.8%などのプール有病率を報告)

  3. Martín-Romo, L., Sanmartín, F. J., & Velasco, J. (2023). Invisible and stigmatized: A systematic review of mental health and risk factors among sex workers. Acta Psychiatrica Scandinavica, 148(3), 255–264.
(セックスワーカーのメンタルヘルス問題の全体像と危険因子を整理)

  4. Farley, M., et al. (2003 ほか). Prostitution and traumatic stress. 複数国調査でPTSD症状が戦闘帰還兵や被虐待女性と同程度の重症度を示した研究群。

  5. Ozawa, C., & Okano, K. (2014). Psychological features and problems among commercial sex workers: based on qualitative analysis of semi-structured interviews and psychological tests. The Japanese Journal of Mental Health, 29(1), 77–86.
(東京のソープランド従事者を対象とした質的調査。解離・偽自己・トラウマの蓄積を指摘)

  6. Galperin, A., Haselton, M. G., Frederick, D. A., et al. (2013). Sexual regret: Evidence for evolved sex differences. Archives of Sexual Behavior.
(カジュアルセックス後の後悔率で女性が男性を大きく上回ることを示した大規模調査)

  7. Kennair, L. E. O., Bendixen, M., & Buss, D. M. (2016 ほか). Sexual regret: Tests of competing explanations of sex differences. 複数論文。
(女性のカジュアルセックス後悔の性差を確認し、満足度・社会的性向などの媒介要因を分析

  8. オキシトシンと絆形成に関する神経内分泌研究群(例: 性行為後のオキシトシン反応が女性でより顕著で、情緒的接続を促進する方向に働くことを示した一連の研究)。

これらの文献は、女性セックスワーカーのメンタルヘルスの高有病率、幼少期トラウマとの関連、解離症状、および女性におけるセックスの情緒的・認知的意味づけ(絆形成・後悔の性差)を示す。

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