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「みいちゃんと山田さん」批判アカウントの差別心と存在否定の残酷さ

本稿では、「みいちゃんと山田さん」批判アカウントに共通する分析枠組みを抽出し、「逸脱する存在」としてみいちゃんの生き方を対比する。次に、障害者セックスワーカーと接してきた鈴木大介氏の発言を取り上げ、批判アカウントの抑圧的フレームを批判する。最後に鈴木氏の作品への要望を示す。

1 批判アカウントに共通する分析枠組み


批判アカウントは、インプレッション順に収集したのち、「みいちゃんの人格への言及」を抽出し、その共通項を解析している。批判アカウントに共通する分析枠組みは、「被害者=女性」という図式の絶対化である。みいちゃんは、知的、あるいは発達特性を強く連想させる女性が、性売買の現場で傷つき、搾取され、最終的に無残な結末を迎える存在として描かれる。批判側はこの描写を「弱者女性の失敗や破滅を娯楽として消費する」「差別を助長する」「当事者を傷つける」と位置づけ、アニメ化や配信の制限を求める。
具体的な語彙は次の通りだ。

「みいちゃんは悪質さが違います」「恰好ないじめ・からかいの道具」「女の子の親御さんたちにとっては切実な重大事」「大変な脅威であり侮辱」「いじめと障害者差別を生む悪書」

@2030mirai

「当事者を傷つける見え方のまま、広げないでください」「知的発達特性ある人を安易に笑いや消費の対象にしないで欲しい」「有害性の証」「加害性の問題」

@Koiramako

「みいちゃんはすでに悪意的に拡大解釈されて…ミームとして消費され」「ぼんやり『それっぽさ』を叩く記号になる」「新たな差別的呼称や蔑称を生み出して当事者を傷つけている」「醜悪」

@cobta

「社会的に弱い立場の女性の失敗や破滅を、ただの娯楽として消費したら、理解ではなく偏見を広げる可能性がある」

@nursehahha

21歳の身体に、女児の中身の女性は、適切な支援がうまく届かなければ、ここまで社会で酷い扱いを受けることになるのか」

@sodium

「特権側の溜飲を下げるための消費」「当事者の尊厳を弄んでいる」

@zukizuki_kun

彼らの語彙は一貫して「脅威」「悪書」「有害性」「ミーム」「記号」「消費される弱さ」に偏る。みいちゃんを「保護・管理されるべき純粋な被害者」の枠に押し込めようとする。枠外の主体性——保護を拒み、不完全なまま足掻き、被害者であることを拒否する選択——は、ほぼ完全に無視されるか、否定される。

2 みいちゃんの逸脱

みいちゃんの生き方は、この枠組みから明確に逸脱している。彼女は「正しい弱者」ではない。救いを拒み、失敗しながら戦い、汚れを伴う選択をしながら、存在し続ける。自覚的に「被害者ではない」生き方をしているキャラクターであり、そこに魅力と、危うさがある。

批判側が「ステレオタイプを助長する」と攻撃するとき、実際に起きているのはである。彼ら自身が持つ「弱者女性は保護されるべき純粋な被害者である」というステレオタイプに、みいちゃんが挑戦しているのだ。

3 鈴木大介の眼差し


鈴木大介は、実際に障害者セックスワーカーと接してきた人間として、明確な対極の視線を示している。

彼女たちを見てくれ。ずっとそこにいる。戦後も高度成長期もバブルも失われたなんとかも令和も。ずっと、いなくなったことなんてない。見てくれ、そして彼女らを尊重してくれ 

何より尊重すべきは今身体を売ってでも生き抜こうと足掻いている当事者の尊厳じゃないんか

当事者が描かれる作品をなんでも福祉の基準に押し込める傲慢の方が差別ではないか


鈴木は、きれいな保護対象に収まらない、汚くもがく人間の尊厳を正面から認める。福祉は選択肢の一つに過ぎず、保護を拒否する生き方にも意義がある。『最貧困女子』『里奈の物語』『貧困と脳』から変わらぬ、一貫した主張である。

4 抑圧フレームの差別性


批判アカウントの抑圧フレームは、この視線を拒絶する。彼らが「有害」「加害性」「差別を助長する」と作品を否定する行為は、枠外の存在を「いなかったことにする」ことだ。セックスワークに従事する障害者女性が、正しく保護・管理された「望ましい弱者像」から外れた瞬間に、その存在自体を脅威として消去する。これは、ステレオタイプの保護のために、セックスワーク障害者の隠蔽・存在否定を行う差別的な言説にほかならない。
「弱者を守る」という名目の下で、実際に進行しているのはステレオタイプの維持である。みいちゃんのような存在を「いなかったこと」にすることで、批判側が守ろうとしている「正しい弱者像」だけが維持される。鈴木が繰り返し指摘してきた「ずっとそこにいる」事実は、この消去作業によって覆い隠される。

5 鈴木氏の作品への要望


鈴木が作品に求めたのは、ただ一つである。

「アニメ化に際して、みいちゃんが救われるような、半端な物語への改変だけはしないでほしい」
「救われない、救えない、救えなかったというリアリティから、学び取ることのある人たちはいると思う」


救えないまま、不完全なまま、そこにいる事実を、そのまま描く。
それは、社会が隠蔽してきた罪と対峙する機会を提供するのかもしれない。

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