【エッセイ】Bowz(坊主)の美学
まえがき
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
酔いどれBowzRunner 我流迷走です。
人生は足し算だと信じてきた男が、50歳の夏、ついに“引き算”に手を出した。肩書きも筋肉も酒量も増減する中、最後に決断したのが――髪。
盛るのをやめ、削ぐと決めた夜。バリカン片手に「Let’s Bowz!」と叫ぶ中年の覚悟は、果たして美学か、ただの酔狂か。
坊主は宗教ではない。思想でもない。たぶん半分はネタ。
けれど刈ってみて分かったことがある。減らすとは、案外、増やすことなのだと。
煎餅でもかじりながら気楽にお読みいただけると幸いです。
ではどうぞ。
静かに、そして大胆に、削ぐ
人生は足し算だと、ずっと思っていた。
肩書きを足し、実績を足し、経験を足し、友だちを足し、筋肉を足し、貯金を足し、そして――髪の毛まで足そうとする。
足りないものを補い、足りているように見せる。
それが大人の作法であり、男の矜持であり、社会人の嗜みだと信じていた。
だが、50歳の夏。
私は、あるものを「足す」のをやめ、「削る」ことにした。
――もう、盛らんでええやろ。
鏡に映る自分の頭。
ライトの角度によっては、やけに未来が明るい。
――気になる。とっても気になる。
出家する予定はない。
謝罪会見も控えていない。
衛生意識が急に爆上がりした訳でもない。
ただ、覚悟である。
50歳という節目に、私はふと立ち止まった。
この先、何を持ち、何を捨てるのか。
どんな顔で、どんな頭で、生きていくのか。
50歳という年齢は、なぜか「何かを決めろ」と迫ってくる。
ならば私は決めよう。
足す人生から、削ぐ人生へ。
もう、隠す時代じゃない。
それが、Bowz(坊主)の美学である。
「まだ大丈夫」と言われる男の葛藤
数年前から、うっすら願望はあった。
「いっそ、坊主にしたろかな」
ランニングで汗をかくたび、髪がぺたりと額に張り付き、シャワーのあと、排水溝に絡まる抜け毛を見つめ、私は何度も小さくため息をついていた。
だが妻は言う。
「まだ全然大丈夫よ」
ありがたい。
愛である。
だがその言葉、実は一番判断が難しい。
“まだ”って、いつまで?
洗面台の前に立ち、鏡を見る。
ライトは正直すぎる。
「おや?」
地肌が、自己主張をはじめている。
そこでドライヤーとブラシで格闘してみる。
……思ったのと違う。
私は気づいてしまった。
妻は優しい。
だが、こんなの私の中の美学が許さない。
大丈夫かどうかは、問題じゃない。
“どう在りたいか”なのだ。
若い頃は、速くなるために走り、カッコよく見せるために髪を整え、たくさん飲めることが誇りだった。
今は違う。
崩れないために走り、隠さないために刈り、二日酔いを翌々日まで引きずりながら反省している。
白髪は増える。
タイムは落ちる。
酒は弱くなる。
老いは、静かに、だが確実に迫ってくる。
ならば、こちらから迎えに行こうじゃないか。
よしっ、潔くいこう。
50歳、夏、そしてバリカン
その夜は、やけに蒸し暑かった。
50歳になったばかりの、ある夏の夜。
私は大好きなお酒の力を、ほんの少し借りた。
ほろ酔いという名の追い風が、覚悟を後押しする。
脱衣所でバリカンを握る。
やけに軽い。
だが、人生は重い。
風呂場へ。
Let’s Bowz!
最初の一刈り。
ジョリジョリジョリ――。
振動が頭蓋骨に直撃する。
「あ、これ戻れんな」
床に落ちる髪。
それは迷い。
それは見栄。
それは育毛系広告への未練。
憑き物が落ちて行くようだ。
段々と変なテンションになり、楽しくなっきたところで、私は妻を呼んだ。
「ちょっと見て」
振り向いた私の頭は、見事なモヒカン状態。
左右いがぐり、真ん中だけ残る未練の一本道。
妻は一瞬固まり、「あ〜あっ」と声を漏らし、次の瞬間、ニコニコしながら踵を返しスマホを取りに行った。
戻ってくるなり、動画撮影開始。
やっぱりな。こいつ楽しんでる。
夫の覚悟なんてどうでも良くて、ネタ優先かよ。
だがもう止まらない。
どうせなら笑いを取りにいく。
ジョリジョリジョリ――。
完成。
鏡の中には、妙にスッキリした男。
そして背後には、爆笑している妻。
これが、Bowz誕生の瞬間である。
坊主、まさかのハイスペック
やってみて驚いた。
坊主は、思想である前に、実用である。
便利すぎる。
シャンプー不要。
石けん1個で頭のてっぺんから足の先まで、オールOK。
なんなら頭で泡立てられる。
自家製泡立てネット。
風呂場の排水溝、永遠にクリーン。
抜け毛ストレス、ゼロ。
散髪代?
バリカン一発。セルフカット。
財布に優しい男、それがBowz。
寝癖?
セット?
そんな概念は、すでに絶滅危惧種。
帽子?
ヘルメット?
脱いだあともノーダメージ。
白髪?
薄毛?
「だから何?」で終わる。
減らしたのに、得している。
Bowzは、“減らす”ことで“足す”美学なのだ。
だが、現実は直撃する
しかし、甘くはない。
まず、強面に見られる。
コンビニで微妙に丁寧語を使われる。
子どもにガン見される。
たまに「見ちゃダメ?」。……小声が聞こえる。
違う。
ただのオッサン市民ランナーである。
「何か悪いことした?」
「野球部?」
「修行中?」
違う。
ただの覚悟。
坊主コーデも、なかなか難しい。
まず、似合うものと似合わないものがはっきりする。
チョイスを間違えると目も当てられない。
――妻にネタを提供するだけになる。
四季もまともに受け止めるようになる。
夏は暑い。
冬は寒い。
風は“抵抗”ではなく“直撃”。
汗はダイレクトに目に入る。
前髪というクッションを失った男の宿命。
衝撃も直。
うっかり棚にゴン。
星が見える。
髪という緩衝材は、意外と優秀だったことを知る。
日焼け止めを頭皮に塗る日が来るとは。
しかも皮が剥ける。
はじめての体験でホント驚いた。頭が脱皮。
意外とマメに刈らないといけない。
伸びかけは、ただの中途半端。
坊主、意外と手がかかる。
直で受けるという覚悟
それでも私は刈る。
なぜか。
坊主は、全部“直”だからだ。
年齢も。
衰えも。
視線も。
隠さない。
盛らない。
誤魔化さない。
マラソンのゴールで、汗だくの坊主。
PB更新してないのに、なぜか悟り顔。
たぶん、何かを超えている。
「もうええわ」の境地。
髪は減った。
タイムも減った。
酒量も減った。
だがネタは増えた。
7年経った今も、坊主健在。
むしろ進化している。
覚悟は増し、気合いも増し、今は泣く子も黙る1mm坊主。
本当のことを言うと、今はスキンヘッドに憧れている。
だが、それだけは妻に全力で止められている。
全力阻止。
「それはイヤッ」
家庭内ストッパー、優秀である。
それもまた、人生。
50歳からの引き算
若い頃は足し算。
今は引き算。
削ることで、軽くなる。
飾りより本質。
ボリュームより覚悟。
老いを隠すより、笑う。
50歳で髪と訣別した男は、実は少し自由になった。
軽い。
潔い。
ちょっと寒いけど。
だから私は今日も刈る。
何かを隠すためじゃない。
何も隠さないために。
合掌。
Love & Bowz ✌️
今回の教訓
一、減らす勇気は、足す努力より難しい。だが、減らした先に、本当の軽さがある。
一、老いを隠すな。直で受けよ。笑って受けよ。そこにしかない“美学”がある。
あとがき
バリカンの最初の一刈り。床に落ちたのは髪だけでなく、見栄や未練や“まだ大丈夫”という曖昧さだったのかもしれません。
モヒカン状態で固まる妻、スマホを構える笑顔、そして完成した1mmの世界。
あの瞬間に共感してくださった方、きっと何かを削ぎたい衝動を抱えていますね?
シャンプー不要の快適さ、直撃する風、強面扱いの副作用。
便利と不便が同居するのもまた人生。隠さず、盛らず、直で受ける。坊主とは頭髪の問題ではなく、姿勢の問題なのです。
さて次は、1mmのその先へ行くのか、家庭内ストッパーに屈するのか。
Bowzの進化は、まだ止まりそうにありません。
次回もどうぞ、お楽しみに。
最後までお読みいただきありがとうございました。「我流迷走」では、「走る(ラン)」にまつわる「エッセイ(風?)」なものお届けしています。次回作へのモチベアップのため、スキ、フォローいただけると嬉しいです。Love & Bowz✌️
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