【エッセイ】闇の中のうごめく面々(早朝ジョグですれ違う高齢者たち)
まえがき
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
酔いどれBowzRunner 我流迷走です。
本作のタイトルは、1986年に出版された安部譲二氏の著書、『塀の中の懲りない面々』への、ささやかなオマージュです。
とはいえ、こちらは塀の中ではなく、闇の中。舞台は冬の早朝5時台、街灯もまばらな田舎道。
そこで私が遭遇するのは、なかなかクセ強めの“うごめく面々”であります。
黒づくめの影の散歩老人、田んぼの畦道を攻略する翁、橋を無限ループする坂道ハンター、そしてピンクがまぶしい美ジョガー婆ちゃん。
正直、最初は「怖いっちゅーねん」と心で叫びました。だがよく見ると、彼らは誰よりも真面目に「健康寿命」と格闘している猛者たちなのです。
気まぐれランナーの私が、闇の中で少しずつ“うごめく面々”に引き寄せられていく記録。
コミカルで、ちょっとシニカルで、しかしどこか胸がざわつく早朝の群像劇。
煎餅でもかじりながら気楽にお読みいただけると幸いです。
ではどうぞ。
人は、何歳から「老い」を自覚するのだろう。
白髪が増えたときか。老眼鏡を鼻先にずらしたときか。立ち上がるだけで「よいしょ」と声が出たときか。
2000年、WHOが「健康寿命」という概念を提唱した。長く生きるだけでなく、元気に自立して生きる時間をいかに延ばすか。やがて日本でも「健康日本21」が掲げられ、「人生100年時代」という言葉が当たり前のように語られるようになった。
ただ長く生きるのではない。
どう生きるか、を問われる時代。
その答えの一端を、私は冬の早朝5時台、真っ暗な田舎道で目撃している。
しかも、たった5km、30分のジョギングの中、なかなかインパクト濃いめの強めで。
真っ暗闇と、犬のウンコ
冬の朝は遅い。日の出は7時過ぎ。
5時台はまだ夜だ。空気はしんしんと冷え、月がやけに明るい。
街灯も少ない道を、胸に小さなライトを装着し、蛍光反射襷をかけて走る。まるで夜間工事の交通整理員である。
なぜそこまで装備するのか。
第一に、安全のため。
第二に、犬のウンコを踏まないため。
これは切実だ。
さぁ白湯も飲んだし、軽くだがストレッチもした。そろそろ行きますか、とランニングシューズを履く。
ほんの少しだけ、昨夜の酒が残っている気もするが…… 気のせいということにして走り出す。
早朝の身体は固い。動きは鈍い。加えて暗い。足元が見えない。
だからペースは自然とゆっくりになる。
まるで初老の自覚が滲み出るようなスロージョグで、ライトに照らされた路面を確認しながら進む。
1km手前。身体がほぐれはじめたころ、不意に視界に「影」が現れる。
影の散歩老人
蛍光反射材もなく、ライトも持たず、全身黒づくめで歩く老人。
闇の中では完全に「影」だ。
曲がり角で出くわせば、心臓が跳ねる。
「うわっ!」
声を上げたのはたぶん私だ。黒い「影」は動じることなく、通り過ぎる。
一歩間違えれば徘徊と誤解されかねない。きっと朝んぽなのだろうが、判断がつきにくい。だが足取りは意外としっかりしている。ゆっくりだが迷いがない。
ミッション遂行中、といった雰囲気だ。
きっと毎朝、同じ時間に、同じ道を歩いているのだろう。
闇で出会うと不気味だが、考えてみれば、それは「健康寿命」への静かな挑戦なのかもしれない。
とはいえ、何らかの反射材をつけ、できればライトなどで自己主張してほしい。マジで。
あれじゃ新聞配達のバイクにひかれちまうぞ。
ちょっと心配になる。
田んぼの中の動く物体
2km地点。
月明かりに照らされた田んぼの畦道に、何かがいる。
最初は草かと思った。だが違う。一定のリズムで動いている。
……人だ。
なんでこんなところに人? それもこんな時間に。
今は冬。田んぼは収穫を終えて静まり返り、次の春を待ってるはずで、朝早くから農作業してる人なんている訳がない。
目をこらす。
早朝5時台、冬の田んぼの畦道を、ぐるぐる歩く老人。
思わずペースを落とし、観察する。
どうやらウォーキングらしい。畦道という天然のバランスボードの上で、真剣に足を運んでいる。
だが、そんな場所に人がいる前提で世界は設計されていない。
「怖いっちゅーねん!」
だがその姿は、どこか凛としている。
人生100年時代。
フィットネスジムに行かずとも、田んぼの畦道は無料で開放されているってか。
究極のサステナブル・トレーニング。
そう考えると、少しだけ格好よく見えてくる。
橋梁坂の無限ループ爺ちゃん
川に架かる橋の坂道を、登っては下り、登っては下りを繰り返す老人がいる。
距離にして150mほど。
2度目に見たとき、私はGARMIN(ランニングウォッチ)を一時停止し、体操のフリをして観察した。
登りは慎重に。
下りは……やや危うい。
前傾姿勢で、重力に身を任せる。スピード制御が怪しい。
「コケるなよ、コケるなよ……」
「おっ、おっ、大丈夫か?」
私は心の中で実況中継をしながら、コケたらすぐに助けに走る心構えをする。
だが彼は転ばない。
ギリギリのバランスで踏みとどまる。
あれは経験値だ。
長い人生で培った“勘”てやつか。
そしてまた登る。
橋は、彼にとってただの橋ではない。
攻略対象であり、日課であり、たぶん人生そのものだ。
登っては下り、また登る。
止まらない限り、まだ現役なのだ。
ピンクの美ジョガー婆ちゃん
3.5km地点。闇の中でひときわ目立つ存在。
派手なピンクのウェアにサンバイザー。
シルエットだけなら美ジョガーだ。
だが揺れるグレイヘアが年齢を物語る。
誰も見ていない早朝。
流通トラックが通るくらいの時間帯。
「それ、誰に見せるん?」
と、心の中でツッコミを入れる。
だがすれ違うたびに、なぜかこちらのテンションが少し上がり嬉しくなる。
ああ、そうか。
あれは他人のためじゃない。
自分のためだ。
鏡の前でウェアを選び、少し背筋を伸ばして家を出る。その一連の行為が、「私はまだいける」という宣言なのだ。
若さとは年齢ではない。
意地とプライドだ。
彼女はきっと、自分の機嫌を自分で取れるポジティブな人なんだ。
それは、最強のアンチエイジングかもしれない。
白い影の怪
見晴らしのよい直線道路。
街灯の届かない駐車場に、白い影が揺れている。
たまに車のヘッドライトがかすめ、遠くからでも動いているのが分かる。だが人と認識はできない。何か動き方が変なのだ。
はじめて見たとき、私は本気で思った。
「見えてはいけないものが見えたのか?」。
だが近づくと、白いアウターのお爺ちゃんが、独特すぎる体操をしているだけだった。
腕を振り、腰を回し、膝を揺らし、屈伸らしき動きをしている。
正直、どの動きも中途半端過ぎて、どこに効いているのか分からない。
だが、本人はものすごく真剣にやっているようだ。そんな気配を感じる。
効果より、継続。
フォームより、習慣。
健康寿命とは、正解の形ではなく、続ける姿勢なのかもしれない。
同じ時間、同じ場所
私が気まぐれに走る日。
必ず、同じ場所で同じ老人たちとすれ違う。
ということは、彼らは“気まぐれ”ではない。
毎日だ。(天気の悪い日はどうかは知らないが)
もし、ある日あの影が消えたら。
あのピンクが現れなくなったら。
橋の無限ループが止まったら。
そう考えると、少し胸がざわつく。
闇の中で出会う名も知らぬ他人だが、私の“気まぐれ”な朝の風景の一部になっている。
人は知らぬうちに、誰かの景色になっている。
なんかとても考えさせられる……
そして、こちら側へ
健康寿命を意識する「意識高い系」高齢者たち。
……と、どこか他人事のように眺めていた。
がしかし、よく考えれば私ももう57歳。アラ還。
立派に“こちら側”の入り口に立っている。
早朝5時に起き、蛍光襷にライトをつけ走るオッサン。
十分、闇の中のうごめく面々だ。
将来、私はどんな「影」になるのだろう。
歩いているのか走っているのか分からないヨボヨボランナーか。
橋を攻略する無限ループ爺さんか。
はたまた、ピンクを着こなす爺さんか。
早朝にすれ違う彼らは、私をどう見ているのだろう。
「お前もそのうちこっちだな」。
それとも、
「今からやっとけ。金より健康だぞ」。
聞いてみたいが、暗闇でいきなり話しかけ、びっくりして倒れられても困る。それともこの風貌(強面坊主)、通報されるかな?
気まぐれ中年ランナー
高齢者たちのインパクトが強過ぎて触れてこなかったが、私と同世代らしき2人の中年ランナーともすれ違う。
だが、毎回ではない。
たまにしか見ない。
きっと彼らも、私と同じで、「気分次第」、「仕事次第」、「酒次第」なのだろう。
健康寿命を本気で延ばしにきている老人たちと、どこか覚悟が違う。
本気と気まぐれ。
その差が、10年後を分けるのかもしれない。
そう思いながら、
今夜もハイボールを作る自分がいる。
「健康寿命」も気になるが、この一杯もいつまで楽しめるのか……
人生は、なかなか矛盾している。
闇の中の希望
闇はすべてを同じ色に染める。
若さも、老いも、肩書きも。
だが、動いている者だけは分かる。
うごめく影として、確かに存在を主張する。
最後にものを言うのは、
今日、一歩を踏み出すかどうか。
橋梁坂の無限ループ爺ちゃんも。
ピンクの美ジョガー婆ちゃんも。
白い影の体操翁も。
彼らは静かに宣言している。
「まだ、終わらんぞ」。
私もまた、闇の中で息を切らしながら、小さくうなずく。
老いは止められない。
だが、うごめくことはできる。
そしてたぶん——
10年後、誰かが私を見て、
「怖いっちゅーねん」と思うのだろう。
それならそれで、悪くない。
何なら、少し誇らしい。
合掌。
そして、Love & Bowz ✌️
今回の教訓
一、健康寿命は特別な努力ではなく、「同じ時間に同じ場所に立つ」覚悟に宿る。
一、闇の中で動き続ける人は、すでに勝っている。若さとは年齢ではなく、「まだやるぞ」という意地である。
あとがき
早朝5時台の闇に浮かぶ「影」たち。最初は不審者扱い寸前だった面々が、読み終えるころにはどこか愛おしく見えてきたなら、このエッセイは成功です。
実際、私は「うごめく面々」のことが愛おしくたまらない。
私の席も取っといてくださいね。とお願いしたいくらい。(笑)
彼らに共通するのは、派手な理論でも最新ギアでもなく、「同じ時間に、同じ場所に立つ」という静かな覚悟。
一方で、酒と仕事と言い訳に揺れる気まぐれ中年ランナーの私。
健康寿命を本気で延ばしにきている人々と、自分との差に苦笑しつつ、ハイボールを作る矛盾。
ここに共感してしまったあなた、きっと同志です。
闇は平等です。若さも老いも黒く塗りつぶす。だが、動いている者だけは“うごめく影”として確かに存在を主張する。
10年後、私自身が誰かの「怖いっちゅーねん」になり、いつもの風景になる日も、そう遠くないのかもしれません。
さて次は、闇の中でうごめくのは高齢者か、それとも完全にこちら側へ足を踏み入れた私か。
どうやら物語は、まだ終わりそうにありません。
次回もぜひ、暗闇の片隅でお会いしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。「我流迷走」では、「走る(ラン)」にまつわる「エッセイ(風?)」なものお届けしています。次回作へのモチベアップのため、スキ、フォローいただけると嬉しいです。Love & Bowz✌️
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