父の餃子
わが家には仏壇がありません。理由は簡単、居住空間に余裕がないから。無神論者じゃない証拠に、毎月、奥さんと自転車で墓参りしています。昨日は、気温は14度ほどで、絶好のサイクリング日和。iPhoneを不携帯ながらも、ルンルン気分で、いざ出発。
わが家の場合、墓と言っても機械式の納骨堂。立地は抜群で、そばには歴史ある神社があります。よって、自宅に神棚がないことも負い目になりません(笑)。
お参りが済んでお昼を食べたら、書店のある大型ショッピングセンターに行くことに。飽きっぽい性格のオイラ、いつもと違う道にチャレンジしちゃいます。ところが、途中にある陸橋、専用の自転車道がなく、車道の脇にラインが引いてあるだけ。
先行するオイラ、陸橋を降りたところにある信号の前で一旦、自転車を降ります。ところが、待てど暮らせど奥さんの姿が一向に見えてきません。携帯は不携帯ですから、連絡の取りようもないですし・・・。
そこは、ルビー婚の間柄、携帯なんかなくても平気の平左。なにしろ、奥さんの心の内が手に取るようにわかる訳ですし(笑)。怖がりで慎重派の奥さんのこと、走れないと判断して、元来た道を引き返したに違いありません。
ということで、携帯に奥さんからのLineがないと、買い物ひとつできないオイラの頭に浮かんだのは、水餃子。餃子が「焼き」でなく「水」なのは、若い頃、満州で過ごした父にとってのソウルフードだったから。
平家物語の冒頭
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者(じょうしゃ、しょうしゃ)必衰の理(ことわり)をあらわす
受験生の頃、この「盛者」がオイラには「餃子」にしか聴こえなかったのは、父の影響が大きかったからでしょうか?(笑)
