1000文字掌編「二つの傘立て」
私の名前は日傘ちゃん。今年で三歳。
美月ちゃんが、そう呼んでくれる。
美月ちゃんの家の傘立ては、白くて細い。私の場所は、いちばん手前。夏のあいだはいつも一緒で、涼しくなると布を拭いてもらって、クローゼットで冬眠する。春になれば、また会える。
だから私は、美月ちゃんの友達だ。たぶん。
その日、美月ちゃんは春人くんの家で泣いていた。私は玄関の、ドアにくっついた傘立てで待っていた。ふたりは大きな声を出し合った。やがて美月ちゃんは鞄をつかみ、靴もきちんと履かずに出ていった。
私を置いたまま。
きっと戻ってくる。美月ちゃんは、私を忘れたりしない。
そう思っていたら、夜になって、知らない匂いの女の人が来た。春人くんに抱きついて、顔をくっつけた。体もくっつけた。
なんだろう。私は、もう少しよく見ようとした。
苦しそうに、ふたりともうめいてる。美月ちゃんも、こないだまであんなふうにしていた気がする。でも、ちょっと違う。
「明日も暑いんでしょ」
何も着ていない女の人が、私を見つけた。
「この傘、誰の?」
「母親の」
口から煙を吐きながら、春人くんはすぐに答えた。違うもん。美月ちゃんの、だもん。
女の人は笑った。
「嘘でしょ。まあいいや、借りてくね」
そうして私は、知らない女の人と旅に出た。
女の人は、ローズと呼ばれていた。地下にある店で、みんながそう呼んでいた。控室には鏡がたくさんあって、甘い匂いと煙の匂いが混ざっていた。
その店に、傘立てはなかった。私は壁際に立てかけられた。
「ローズ、また人のもの?」
「どうせ返さないでしょ」
女たちは笑った。ローズは聞こえないふりをして、鏡の前で何かを塗っていた。
夜遅く、ローズは誰かと店を出ていった。私は連れていかれなかった。ずいぶん経って、ローズはひとりで戻ってきた。髪が乱れていた。椅子に座ったまま眠った。閉じた目から、お水がひとすじこぼれた。
ごめんね。私は、お水を弾けない日傘なの。
空が白くなってから、ローズは私を連れて店を出た。朝日がまぶしくなると、ようやく私を開いた。私はローズの頭に影を作った。
「へえ、使えるじゃん」
それが、私に言った最初の言葉だった。
途中、ローズはラーメン屋に寄った。
家の玄関は、物でいっぱいだった。傘立てには、靴べら、半分潰れたAmazonの箱、丸めたポスター、先の折れたビニール傘まで刺さっていた。傾いて、埃をかぶって、誰かがぶつかった跡もあった。
美月ちゃんの、白くて細い傘立てとは、ぜんぜん違う。
ローズは私を、そこに雑に放り込んだ。他の傘と同じように。
しばらく、私はそのままだった。
数日経って、ローズが戻ってきた。買い物袋を下ろすと、傘立ての前でしゃがみこんだ。靴べらをどかし、ポスターを引き抜いて捨てた。私の布をそろえ、紐を巻いた。そして、少しだけ空いた場所に、そっと挿し直した。
そのとき、電話が鳴った。
「もしもし」
ローズは、しばらく黙っていた。
「ーー若葉だよ。いま帰った。うん、金なら月末に送るから」
若葉ちゃん。ローズじゃなかった。
私はその名前を、心の中で二度呼んだ。
電話を切ると、若葉ちゃんは傘立ての前に戻ってきた。私を手に取って、レースのふちを、指でゆっくりなぞった。
それから、私の自慢のレースの穴に、若葉ちゃんは指を入れた。
なんども、なんども。
ため息をひとつ。そして、私を傘立てに戻した。
白くもなく、きれいでもない傘立て。でも、片付けられて、隙間がひとつだけあった。それは、私のための隙間だった。
もう。
仕方ないなぁ……。
かわいそうだから、若葉ちゃんの日傘ちゃんになってあげてもいいよ!
1000字掌編30日チャレンジ、19日目。
AIに、30日分のタイトルを作ってもらいました。一時間以内に制作という自主条件で、挑戦中です。
今回は「二つの傘立て」というお題でした。早くすっきりと晴れるといいですね。
1日目「鍵の行方」
2日目「氷の入ったコップ」
3日目「母の字」
4日目「朝の電車」
5日目「塩の量」
6日目「隣の声」
7日目「写真の整理」
8日目「友人の幸福」
9日目「傘の骨」
10日目「時間の貸し借り」
11日目「声の高さ」
12日目「週末の約束」
13日目「名前を呼ぶ練習」
14日目「コーヒーカップの欠け」
15日目「雨の夜の帰宅」
16日目「窓の外の木」
17日目「忘れた約束」
18日目「口紅の蓋」
🌂19日目「二つの傘立て」
20日目「返事の遅さ」
21日目「砂糖の位置」
22日目「走る練習」
23日目「先に寝る」
24日目「知らない町の地図」
25日目「誕生日の電話」
26日目「夏と嘘」
27日目「図書館の予約」
28日目「夕方と影」
29日目「手紙の封」
30日目「ぬるいお茶」
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