見出し画像

1000文字掌編「先に寝る」

0時。日付が変わって、ドラマ配信サイトに最新話が追加された。再生ボタンをタップしかけたが、やめて、妻はサイドランプを消して布団を肩まで引き上げた。

  *

17時。2時間にわたる画面越しの会議が終わった。妻は文書作成ソフトを立ち上げた。

18時。帰宅した夫は靴を脱ぎ捨てるなり、ソファへ倒れ込んだ。すぐに寝息が聞こえた。妻は夫のコートを片付け、首元のボタンを外し、ベルトを極限まで緩めてやった。分厚いタオルケットを胸元まで掛け、途中で目覚めさせぬよう、テレビを消した。

新婚のころは、疲れた、寝る、という言葉さえ嬉しかった。寝顔をひとりじめできる「この人の伴侶」というラベルを愛おしく抱きしめた。

18時半。台所に立ち、夏野菜を淡々と刻み、鍋で炒めて煮込む。夫の好きなエビフライも揚げる予定だったけど、油の跳ねる音がするのでやめた。

コンロの前に立つと、結婚3年目のハンバーグが浮かんだ。できたよ、と呼んだ。すぐ行く、と返事があった。10分待って、もう一度呼びに行った。すぐ行くから、これ片付けたら、と言われた。さらに5分待って、妻は先に箸をつけた。熱いものを熱いうちに食べるのが好きだった。ハンバーグはもう冷めていた。半分ほど食べたところで夫が来た。皿を見て、それから妻を見た。

「夫が来てないのに先に食べたの? 普通待つでしょ。夫より先に食べる妻とか、え? 本当にそれでいいと思ってやったの?」

何度も謝ったが、夫は食事に手をつけず、一週間、口を利かなかった。

そのころ夫は、冷めたくらいのほうが食べやすいと言っていた。俺、猫舌だから。熱いものを熱いうちにって、どうでもいいよね。熱いものを食べると舌癌になりやすいんだよ、知らないでしょ?

知識のある人の伴侶として、冷めたものを喜んで食べてきた。

  *

19時。ラタトゥイユが完成し、ソファの夫に声をかけるが起きない。

「うるさいな。寝かせてよ。もうほっといて」

妻は棚からクッキーを一枚だけ摘まんだ。

20時。「ご飯だよ」と再度肩を叩くも、夫は低い唸り声を漏らして背を向けた。鍋ごと冷蔵庫に入れた。

21時。シャワーを浴びる。すぐに自室に戻る。

22時。明日の朝の米を静かに研ぎ、炊飯器にセットした。リビングの電気を少し落とした。

23時。スマートフォンの薄青い光で動画をひとつ眺め、日記を開く。

『・報告書を仕上げる。瀬戸さんとオンライン会議
・スーパーに行く時間なし。明日は行こう
・今日も夫が』

手を止める。ペンをひっくり返して、「夫」を消して、「✖️」に変える。日記を閉じ、今日は押し入れの奥に入れた。

0時。日付が変わる。ドラマ配信サイトに、刑事ドラマの最新話が追加された。犯人が捕まるのを見てスカッとしたかったが、スマホを消した。サイドランプを消して静かに目を閉じた。隣が空いている。

ハンバーグの一週間が明けた夜のことだ。仲直りの証のように体を重ねて、汗が引くのを待っていた。夫の腕がまだ肩の下にあった。二人でぼんやりと天井を見ていた。腕の重みも、そのうち体の一部のようになった。まどろみが降りてくる。意識が沈んでいく。シュルッ、と腕が引き抜かれた。

「は? 寝てんの? 普通、先に寝る?」

口を開いた。何か言おうとして、言葉が出てこなかった。

  *

——ノックの音が、静寂を割った。

0時30分。ドアの隙間から、目を擦る夫が顔を覗かせる。妻は暗闇の中で身を起こして応える。

「……もう寝たの? なんで起こしてくれなかったの?」

「ごめん」

「俺、何食べればいいの?」

「ラタトゥイユが冷蔵庫にあるから。鍋ごと入ってるので、器に入れてチンして」

「何分?」

「えっ、適当に……1分ぐらいから」

「どの皿使えばいいの?」

「……どの皿でも。ごめん、皿に入れてラップしておけばよかったね」

「いいや、もう、めんどくさいから食べない」

「そんな。ちゃんと食べて、今起きるから」

「いいよ、起きないで。俺が無理に起こしたみたいじゃん。寝てたいから寝てたんでしょ。じゃ、寝てればいいよ。おやすみ、ごゆっくり」

すーっと、ドアが閉じられる。暗がりが戻り、妻は息を吐いた。枕元のスマホを取り、刑事ドラマの最新話をタップした。



1000字掌編30日チャレンジ、23日目。
AIに、30日分のタイトルを作ってもらいました。一時間以内に制作という自主条件で、挑戦中です。
今回は「先に寝る」というお題でした。字数が超過してしまいました。

 1日目「鍵の行方」
 2日目「氷の入ったコップ」
 3日目「母の字」
 4日目「朝の電車」
 5日目「塩の量」
 6日目「隣の声」
 7日目「写真の整理」
 8日目「友人の幸福」
 9日目「傘の骨」
 10日目「時間の貸し借り」
 11日目「声の高さ」
 12日目「週末の約束」
 13日目「名前を呼ぶ練習」
 14日目「コーヒーカップの欠け」
 15日目「雨の夜の帰宅」
 16日目「窓の外の木」
 17日目「忘れた約束」
 18日目「口紅の蓋」
 19日目「二つの傘立て」
 20日目「返事の遅さ」
 21日目「砂糖の位置」
 22日目「走る練習」
★23日目「先に寝る」
 24日目「知らない町の地図」
 25日目「誕生日の電話」
 26日目「夏と嘘」
 27日目「図書館の予約」
 28日目「夕方と影」
 29日目「手紙の封」
 30日目「ぬるいお茶」


いいなと思ったら応援しよう!

佐藤りぷ よろしければ応援お願いします。いただいたチップは、創作時のコーヒー豆のグレードアップに使わせていただきます。