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1000文字掌編「砂糖の位置」

大根が安かったから、手羽元も買った。下茹でし、土鍋に入れてだし汁を注ぎ、コンロのコックをひねる。煮汁が沸騰したので、シンクの上の棚から、砂糖のケースを下ろす。土鍋に入れたらからになった。

くつくつくつ。

煮ている間に、砂糖のケースをぬるま湯に漬ける。二十年、この半端な奥行きの隙間に、きっちり収まってきたものだ。ぬるま湯にスポンジを浸す。蓋の溝に固まった白を、爪の先で、そっと崩していく。誰にも急かされない、この時間が、きらいではなかった。

くつくつくつ。

背後で、冷蔵庫の開く音。

「それ、かなり古くない?」

夫が冷蔵庫に首を突っ込んでいた。

「新婚のときに買ったから、もう二十年」
「買い換えればいいじゃん」
「まだ壊れてないし」
「壊れてなくても、買いたいって思えば、買い直していいんだよ」

食器棚からグラスを出し、冷凍庫を開ける夫。氷の鳴る音。自分の親切に少し満足したような、うしろ姿。

「ただ、この形が使い慣れてて。棚にも、ちょうど収まるから」
「そういうの、今、たくさん売ってるでしょ」
「うん、まあ」

スポンジの手が、遅くなる。

「だったら買い直せば。買い直さない言い訳ばっかり、してないでさ」

手が、止まった。
言い訳、という語が、残った。文字として視界に浮かんだようだった。明朝体だ。わたしは買い直したいなんて、一度も言っていない。ただ、洗っていただけなのに。

「――わたし、買い直したいって、一度も言ってないよね」

振り返ると、彼はきょとんとし、それから、ああ、と笑った。

「そうかと思って。要らぬお節介だったね。失礼失礼」

軽い足取りで、彼は出ていく。ポットは、出しっぱなしのまま。背後のリビングで、オーディオのスイッチが入る音がした。
わたしは、洗いかけのケースを、桶から上げた。溝の砂糖は、まだ半分、白いまま残っている。あと少しこすれば落ちる。落ちるはずだった。けれど、もう、洗いたくなくなっていた。心地よかったはずの時間が、ぬるんだ桶の水のように、よそよそしい。

水を切り、キッチンペーパーで拭いて、生乾きのまま、棚のいつもの位置に戻す。半端な隙間に、空っぽのケースのままでぴたりと収まった。誰に褒められるでもなく、あるべきものが、あるべき場所にある、という顔で。蓋のふちから、水滴がひとつ、伝って落ちた。

土鍋に醤油を入れる。くつくつ、ぐつ。

        *

翌日、わたしは三温糖を買ってきた。

なぜ、と問われても、うまく言えない。スーパーの棚。上白糖の隣に、それは、少し茶色く、少し高く、これまで一度も手に取らずにきたものとして、あった。

ケースは、そのまま。二十年物の、あの、ぴたりと収まるケース。中身だけが、白から、淡い琥珀に変わった。同じ棚、同じ器、けれど違うもの。
彼は、気づかない。コーヒーも飲まず、台所にも立たない人だ。食卓の甘さが、ほんの少しだけ深くなったことに、最後まで、気づきはしない。

尋ねられた時の"言い訳”を用意した。

「ケースもいいけど、中身を変えると味もコスパもいいから」

その晩の大根と手羽元の煮物に、三温糖が、わたしにしかわからない程度に、溶けた。



1000字掌編30日チャレンジ、21日目。
AIに、30日分のタイトルを作ってもらいました。一時間以内に制作という自主条件で、挑戦中です。
今回は「砂糖の位置」というお題でした。あるべきものが、あるべきところにあるだけの話を書きました。

 1日目「鍵の行方」
 2日目「氷の入ったコップ」
 3日目「母の字」
 4日目「朝の電車」
 5日目「塩の量」
 6日目「隣の声」
 7日目「写真の整理」
 8日目「友人の幸福」
 9日目「傘の骨」
 10日目「時間の貸し借り」
 11日目「声の高さ」
 12日目「週末の約束」
 13日目「名前を呼ぶ練習」
 14日目「コーヒーカップの欠け」
 15日目「雨の夜の帰宅」
 16日目「窓の外の木」
 17日目「忘れた約束」
 18日目「口紅の蓋」
 19日目「二つの傘立て」
 20日目「返事の遅さ」
★21日目「砂糖の位置」
 22日目「走る練習」
 23日目「先に寝る」
 24日目「知らない町の地図」
 25日目「誕生日の電話」
 26日目「夏と嘘」
 27日目「図書館の予約」
 28日目「夕方と影」
 29日目「手紙の封」
 30日目「ぬるいお茶」


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