見出し画像

【小説】時を超えた忘れ物#9

第9章 動揺

あれ以来、彼女とは連絡を取っていない。
それは突然の断絶ではなく、じわじわと、音もなく距離が開いていった。
まるで、それが最初から決まっていたことのように。

物理的な距離と、心の距離は、ときに反比例する。
再会は、その始まりだったのかもしれない。
いや、正しくは——終わりの合図だったのだろう。

気づかないふりをしていた。
けれど、どこかで分かっていた。
もう、二人の道が交わることはないと。

あの再会は、クライマックスではなかった。
何かが始まる予感ではなく、静かに物語が幕を閉じる音だった。
僕だけが、それに気づいていなかった。

それでも、まだ心の奥では彼女の名を探してしまう。
「やり残したことはないだろうか」
そんな小さな問いが、いまも胸のどこかに残っている。

僕はまた、過去を旅してしまう。
後悔でも、書き換えたいわけでもない。
ただ、自分が何を手放し、何を見過ごしていたのか——
それを確かめたくなるのだ。

けれど、そのたびに思い知る。
——もう、あの場所には何も残っていない。

彼女は、なぜ会ってくれたのだろう。
不思議と、その理由を知りたいとはもう思わない。
あの再会に意味を求めることすら、いまはもう必要ではない。

もう話すことはない。
それでも、時折ふと思う。
彼女が「そこにいた」という事実を、ただ確かめたくなる自分がいる。

——情けないと思う。
何ひとつ与えられなかったくせに、最後の一片まで
自分の感情だけを握りしめているなんて。

それでも心は、ふと揺れる。
もう二度と訪れることのないはずの場所に、
足を向けたくなるときがある。

彼女に会うためではない。
そこに立っていた“かつての自分”に、もう一度会いたくなるのだ。

忘れ物をした気がしている。
それが何なのかは、まだ言葉にならない。
でもきっと、あの場所に置き去りにした何かがある。

それは、彼女への旅ではなかった。
過去の自分に触れるための、自分自身への旅だったのだ。