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【長野移住】なぜ、私たちは"原村"にこだわるのか。通い続けた数年間と、移住で手に入れたいもの

前回の記事では、工務店さんとの打ち合わせで突きつけられた現実を書きました。土地が出てこないこと、条件のマッチが難しいこと、お金とスケジュールが噛み合わないこと。

正直、書きながら思いました。

「自分たちはなぜ原村が好きで、なぜ原村にこだわるのか」

もっと土地が出やすいエリアはいくらでもあります。それでも私たちは、原村・八ヶ岳の麓を第一候補から外せずにいます。

今回はいったん、土地やお金の話を脇に置きます。 そもそも私たちがなぜこの場所にこだわるのか。移住して何を手に入れたいのか。自分たちのために、一度ちゃんと言葉にしておきたいと思いました✏️




▶︎1. 始まりは、ただのキャンプと山だった

私たちはもともと、山とキャンプが好きな夫婦です。

八ヶ岳の周辺に通うようになったのは、大それた理由があったわけではありません。テントを張れて、山が近くて、空気がいい。最初はそれくらいの気持ちでした。

でも、通う回数が増えるうちに、だんだん「行き先の一つ」ではなくなっていきました。気づけば月に1回くらいのペースで、車に荷物を積んで中央道を西へ走っている。子どもが生まれる前から、ずっとそうでした。

数年通って、四季を何周も見ました。夏の涼しさも、秋の澄んだ空気も、冬の凛とした寒さも、春の遅い芽吹きも。観光で一度来ただけでは分からない表情を、少しずつ知っていきました。


▶︎2. 「行く場所」から「帰りたい場所」に変わった

いつからか、原村に着いて車を降りた瞬間の空気で、体がほどけるようになりました。

東京での生活は、嫌いではありません。便利だし、刺激もある。ただ、どこか常に気を張っている感覚がある。その張りが、あの場所に着くとふっと緩む。

「観光地に来た」ではなく、「帰ってきた」に近い感覚。 自分でも不思議なのですが、通い続けるうちに、原村は私たちにとってそういう場所になっていました。

だから「移住先を探そう」となったとき、他のエリアも一応調べはしたものの、心はほとんど動きませんでした。条件で選ぶ前に、もう気持ちが決まっていたんだと思います。


▶︎3. 原村の、何がそんなに好きなのか

改めて、具体的に書き出してみます。

空気と気温 夏でも涼しい。標高が高いぶん、東京の熱帯夜とは別世界です。窓を開けて眠れる夏があるということを、私たちはここで知りました。

山が見えること 八ヶ岳が、暮らしのすぐそばにある。遠くの絶景ではなく、日常の視界に山がある。これが私たちには効きます。

静けさ 夜になると、本当に静かです。都会の「なんとなくいつも鳴っている音」がない。その静けさの中で、星がとんでもなくよく見える。

自然との距離の近さ 少し歩けば森があって、川があって、季節がはっきりしている。「わざわざ出かける自然」ではなく、「すぐそこにある自然」。

一つひとつは、たぶん他の高原エリアにもあるものです。でも、これが全部そろっていて、なおかつ私たちが数年かけて愛着を育ててきた場所は、ここしかありませんでした。


▶︎4. 子どもが生まれて、意味が変わった

決定的だったのは、子どもが生まれたことです。来月で1歳になります。

それまで原村は、私たち夫婦の「好きな場所」でした。 でも子どもが生まれてから、見え方が変わりました。

この子を、どんな環境で育てたいだろう。

そう考えたとき、頭に浮かんだのが原村の景色でした。窓から山が見える家で、四季をはっきり感じながら、土や森が身近にある場所で育ってほしい。夏は涼しく、夜は静かで、星がよく見える場所で。

物心つく前に移りたい、とずっと言ってきたのは、ここに理由があります。この子にとっての「ふるさとの風景」を、できるだけ早く、この場所にしたい。


▶︎5. 移住して手に入れたいもの ——「特別」を「日常」にする

ここが、今回いちばん書いておきたかったことです。

今の私たちにとって、原村は"月1で通う特別な場所"です。準備をして、荷物を積んで、時間をかけて会いに行く。ご褒美みたいな場所。

移住するというのは、この関係が変わるということだと思っています。

会いに行っていた山が、毎日の背景になる。 特別だった空気が、当たり前の空気になる。 非日常だった景色が、生活そのものになる。

朝起きて、カーテンを開けたら八ヶ岳が見える。それが特別な日の出来事ではなく、ただの火曜日の朝である。子どもが「山」を、遠出して見るものではなく、いつもそこにあるものとして覚えていく。

私たちが移住で手に入れたいのは、たぶん「すごい景色」でも「広い家」でもありません。好きな場所が、暮らしになること。それに尽きる気がしています。

キャンプや登山も、"わざわざ行くイベント"から、"暮らしの延長"に変わる。休みのたびに何時間もかけて通っていた場所が、生活の圏内にある。その時間とエネルギーを、家族との時間そのものに使える。


▶︎6. 正直に。「通い続ける」ではダメなのか

ここは、自分たちにも何度も問い直したところです。

これだけ好きなら、無理に住まなくても、今のように通い続ければいいじゃないか。土地探しに苦しんで、仕事も変えて、ローンで悩んでまで、なぜ「住む」なのか。

考えて、こう思いました。

通うことは、たしかに楽しい。でもそれは、いつまでも「お客さん」でいるということでもあります。いちばんいい季節の、いちばんいい時間だけを味わって、東京に帰る。生活の面倒な部分は引き受けない関係です。

私たちが欲しいのは、たぶんそれではない。 雪かきも、虫も、冬の寒さも、不便さも込みで、その土地の一員になりたい。いい時だけ会いに行く関係ではなく、暮らしをまるごとそこに置きたい。

だからこそ、「通う」ではなく「住む」なんだと思います。


▶︎7. 私たちにとっての、移住の意義

最後に、いま思っていることを書いておきます。

この移住は、「東京から逃げる」話ではありません。東京での暮らしにも、感謝しています。

そうではなく、「好きな場所へ、暮らしごと近づいていく」話だと思っています。

  • 子どもに、山の見える風景をふるさとにしてあげられる

  • 夫婦が心からほどける場所を、非日常ではなく日常にできる

  • 好きなこと(山・キャンプ・自然)が、特別な休日ではなく生活の一部になる

  • いい時だけの「お客さん」ではなく、その土地に根を張った「住人」になれる

  • いつかは、そんな好きな原村で原村のために仕事がしたい

土地はなかなか出てこないし、お金の段取りも大変です。それでも原村を外せないのは、条件で選んだ場所ではなく、数年かけて心が決めた場所だから。

たぶん、ここまで理由を並べても、最後は「好きだから」の一言に戻ってきます。でも、その「好き」の中身を一度ちゃんと言葉にできたことは、これから土地選びで迷ったときの、自分たちの軸になる気がしています。

このnoteでは、東京から長野・原村への移住と家づくりのプロセスを、うまくいかなかったことも含めてそのまま記録しています。同じことを考えている方の参考になればうれしいです。


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