見出し画像

🌕心の太陽が傾くとき ― ユングと易経に学ぶ「人生の午後」

人生の午後 ― ユングと易経が導く成熟の知恵


一冊の本との出会いが、
この記事をを書くきっかけになりました。

それは、松浦要蔵さんの著書
『ユングと共に生きる ― 人生の午後』

人生の折り返しを迎えた著者が、
ユング心理学と出会い、
「人は何のために生きるのか」「自分とは何者か」という問いに
静かに向き合う姿に深く共感しました。

私自身も、今まさに人生の午後を歩き始めています。
ユングが晩年、易経の教えに共鳴し、
東洋の叡智と心理学を融合させようと探究していた姿勢に、私は深く惹かれます。

人生に迷う人の心に、
ほんの小さな光が届けばと思い、
この文章を書きました。


「人生の午後」という比喩

ユングは人の一生を、太陽の運行に例えました。朝に昇り、正午に輝き、そしてやがて静かに傾いていく。
そして、人生を「朝(午前)」「正午」「午後(夕方)」という比喩で表現しました。


午前(人生の前半)
個人として成長し、外の世界と関わり、社会的な目標や成果を追求する期間

正午(人生の頂点・転換期)
40代前後を指す場合が多く、これまで築いてきた人生観や価値観を見直す転換期

午後(人生の後半)
人生の後半期、年齢を重ねることを受け入れながら、自己の内側に向かう課題が中心になる期間

ユング自身は、「人生の午後も意味に満ちている。ただし、その意味や目的は午前と異なる」 と述べています

また彼は、「人生の午後を、人生の午前のプログラム通りに生きようとしてはいけない」とも語りました

すなわち、若い時代の価値観や、やり方をそのまま持ち越すことは、後半生においては不適切だと警鐘しています。

この言葉に込められているのは、
「人生の後半期には、別の法則が働く」という深い洞察が感じられます。

「人生の午後 」とは、内に沈む太陽

ユング曰く、「人生の午後」は、内面への転換期です。
およそ40代から50代になると、
家族・仕事・社会の中で一定の地位を得たあと、
ふと心の奥で「空虚さ」や「むなしさ」を感じる人が増えていきます。
いわゆるミッドライフ・クライシス(中年の危機)です。

ミッドライフ・クライシス(中年の危機)とは、
おおよそ40歳前後から50歳ごろにかけて、
多くの人が直面する心理的・精神的な転換期のことです。

では、何が「危機」なのか?

それは単に老いを感じるという生理的なことではなく、
これまでの生き方や価値観が揺らぐ時期を意味します。

成功しているのに、なぜか満たされない

若い頃の夢や情熱を失ったように感じる

このままの人生でいいのか、と漠然と不安になる

社会的役割(親・上司など)と本当の自分との間で葛藤する

このような感覚は、
人生の午前(外に向かって築き上げる時期)から、
人生の午後(内に向かって深化する時期)へと移行する境目のサインです。

ユング的視点から見る「中年の危機」とは、

ユングはこの時期を、
「意識と無意識の均衡が崩れ、自己の再編が起こる時」と捉えました。
魂が新しい次元へ成長するための「揺り戻し」です。
魂が「次の段階へ進む準備」をしている証だと、

「午前の価値観を、午後まで持ち越してはならない。それは破滅への道である。」と述べています。

若さの象徴であった「外の成功」から、
成熟の象徴である「内なる意味」へ。
その転換が、人生の午後の本質です。

人はこの時期に、
心の深層、無意識との対話を始めます。
「私は何者か」「この人生に意味はあるのか」
と問う声が、内側から湧き上がってくるのです。
静けさや孤独な時間に安らぎや喜びを見出せるのも「人生の午後」だからなのかもしれません。

危機の正体は、内なる問いかけだと言えます。

易経に学ぶ「人生の午後」

易経的に「人生の午後」を論じるなら、これは「陽極まって陰に転ずる」時と捉えます。
太陽が最も高く昇ったあと、静かに傾き始めるように、
人生の流れもまた、拡大から内省へと向かいます。

易経六十四卦の第六十三卦は「既済(きせい)」
すべてが整い、完成した状態を示します。
しかし、最後の第六十四卦「未済(びせい)」は、
「まだ終わらない」「未完成」を意味します。

つまり、易はこう教えるのです。

「完成のあとには再生がある。」

「人生の午後」ミッドライフ・クライシスは、
まさにこの“未済”のとき。
人生の後半が新たに始まる扉の前なのです。

「人生の午後」を生きるとは

人生の午前では「社会的自我」を育て、
午後では「魂の自己」を目覚めさせる。

午前が「獲得」の時代だとすれば、
午後は「統合」の時代だと言えます。

表面的な成功や若さへの執着を手放し、
より深い精神的成熟へと進むこと。
それは「危機」を通してしか訪れない、
魂の成長のプロセスかもしれません。

東洋と西洋が交わるとき

ユングは、仏教、道教、易経といった東洋の思想に深く共鳴し、
そこに「心の全体性」を見出しました。

西洋が「分析」によって心を理解しようとしたのに対し、
東洋は「全体」として心を感じ取る。
その西洋と東洋の融合点こそ、
ユングが「人生の午後」に見つけた道(タオ)だったのかもしれません。


易経が教える「変化の理」と、
ユングが見た「無意識の宇宙」は、
同じひとつの道(タオ)へと収束していきます。

最後に、ユングは言いました。

「人は人生の午後において、はじめて“自分”として生まれる」

私は40代に入り、まさに「人生の午後」の扉を開きました。
ユングと易経の教えは、その道を照らしてくれる力強いガイドです。


あなたは、今、人生の何時を歩いていますか?


最後までお読み頂きありがとうございます😊

いいなと思ったら応援しよう!