#5 父と母の出会い
母を育ててくれた叔父夫婦は、とても愛情深い方たちでした。
その叔父の後輩が、のちの私の父です。
叔父は、よく友人を家に招いて、お酒を飲みながらにぎやかに過ごすのが好きだったそうです。
中でも、よく食べ、よく飲んで、よく笑う父のことを、叔父は特にかわいがっていたのだとか。
ちょうど父が、柔道の道を断念した頃のことだったと聞いています。
母はというと、当時、叔父夫婦の家で家業や家事、甥っ子たちの世話、そしてたくさんのお稽古事を抱えながら、日々を懸命に過ごしていました。
そんな母と父は、叔父の家を通じて自然と顔見知りになっていったようです。
母は、当時身長160cmと当時では珍しく高く、「大女で嫁のもらい手がないんじゃないか」なんて言われたこともあったそうです。
グラマーだったこともあり、滋賀から京都の高島屋まで特注の下着を作りに行っていたという話も、母の笑い話として聞いたことがあります。
そんな中、叔父夫婦から持ちかけられたのが、父との縁談でした。
母は昔からスポーツマンに惹かれるところがあり、以前はアイスホッケーの選手に片想いをしていたこともあったとか。
父も当時としては背が高く(178cm)柔道で鍛えた体格の持ち主で、叔父の勧めもあって、縁談はとんとん拍子に進んだそうです。
婚礼家具は、私が子どもの頃にも目にしていました。
そこにはたくさんの着物や、写真に残された母の美しい花嫁姿。
実の娘のように育ててくれた叔父夫婦が、愛情いっぱいに送り出してくれたことが、よく伝わってきます。
新婚生活が始まってからは、父が叔父そっくりに夜な夜な同僚や友人を家に連れて帰ってきたそうで、狭い部屋はいつもにぎやかだったとか。
母はそのたびに料理や片付けに追われ、大忙しだったようです。
それに加えて、当時の父はまだ若く、お給料も決して多くはなかったので、母のやりくりには相当な苦労があったのだと思います。
そんな日々の中で、3年後にようやく授かったのが、私です。
次回は、そんな私が2度目の“生死の境”をさまよったお話をお届けしようと思います。
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