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私の略歴➕α21 高3時代4️⃣ やはり厳しい現実、発音問題、大凶、そして運命の共通一次

 高3時代の続きです。流石に共通一次も近づた晩秋頃に私のような受験あきらめモードにただでも入っている受験生に迷わせるようなニュースが入りました。高校1年でだけの限定科目だけど共通一次には、入っている理科Iと現代社会が翌年から共通一次からも消されると言うニュースが舞い込みました。これらの科目は、要は高1限定の内申書だけの科目に次からはなってしまうのです。つまり、理科と社会は、選択科目だけになるので1000点満点から800点満点に変わります。現役で受かる気がほとんどしない私にとっては,浪人したら、もういらない科目の勉強だと思うとどうも力が入りません。本当にこれから受験を考える時期になんで急激な変化をつけるのだとものすごく変な気持ちがしたのを覚えています。

 そもそも、我等の近辺の学年は、かなり突然のカリキュラム変化に苦労しました。私達の2つ上までが旧課程でした。一つ上の新課程からは、英語は、中学までにやる範囲が狭まりました。理科は、物理では、モーメントと空気抵抗が習わず、化学は、π電子雲とかsp軌道のような分子構造が無くなりました。二つ上までは、数学は、一年で数学Iをやり、な2年は、数学IIbで3年で数学IIIでした。新課程からは、I年が数学Iは、名前は、変わりませんが、旧課程の数学Iでやっていた指数関数と対数関数と平面ベクトルと確率が無くなっていましました。II年からは旧課程の2年の内容に先程言った所を除いたものが入りこれを代数幾何と基礎解析に分けて三年生で確率統計と微分積分をやると言う具合いに変わりました。

 しかし、数学には、更にややこしいことがあります。共通一次は、数学Iと数学IIという変な規定があり、数学IIと言う一部の高校でしか多分やっていないだろうと思われる科目の範囲なのです。だから、共通一次の数学は、数学Iだけて100点満点で残りの数学IIで100点満点です。その数学IIの内容の出題部分は、代数幾何と基礎解析の分野の中で平面ベクトル、数列、三次関数レベルまでの微分積分と3年で理系に行かないとやらない確率を含めた問題です。その中から二つ選択です。だけども、理系も文系も確率は、まず選びません。文系は、やらないし理系も3年生になるまでしないので選ぶ気になりません。だから、新課程の人は、確率の問題が苦手とか嫌いな人が凄く多いのです。
本当に変な感じです。

 旧課程の共通一次の数学は、旧数学Iだけなので、実は、共通一次での数学の負担は、新課程の人は、旧課程の人より実は増えています。それから、理科Iとか現代社会と言う科目は、旧課程には、ない科目です。だから、私のように兄弟が2つ上以上だとお古がかなり使いにくいし、新科目となると一から探すしかありません。だから、参考書を買いに本屋に行けば行くでまだ、本屋には、旧課程の本が置いてあるので紛らわしくてたまりません。実際に間違えて旧課程の物理の本を買ってしまい苦労した事もあったりしました。そして、入試対策とかになると過去問を探したとしても、物理化学については、旧課程で出るけど新課程には、無いものを外して考える必要もあります。本当にややこしい事この上無しです。

 だから、2つ上以上の人の旧課程の人は、入試の際に旧課程用の問題があるような措置もとられていたりします。考えてみれば、一つ上の先輩は、もっと嫌だった事でしょう。2つ上の先輩方と言えば、医学部など二浪以上は、平気でいますが、旧課程の人用の措置も私達の現役時のこの受験が最後なのでプレッシャーは、余計にかかった事でしょう。とにかく、このような入試制度の変革期に当たった言うなれば、第一期のゆとり世代も大変です。例えば、英語のように中学部分を間引いてしまうとその分だけ、高校でやる英文法が厚くなるだけなのです。中学生の時は、これが楽に見えて私のように一部復習出来て助かる事もあると言う利点もあります。しかし、高校で英語をやる際には、その分足枷になるのですから。

 とは言え、ここまで気づいたら、糸の切れた凧のような感覚で浮遊してやる気なく、高3に入って過ごしてきた私も試験1ヶ月前になったら、流石にやる気になれました。もう卒業も決まり、学校という縛りが無くなり気楽になった事と周囲の空気が後押しした部分もあります。そして、近所の地元大手予備校の冬季講習に行く事にしました。ただ、それは、講習そのものが取る理由では、ありません。大事なのは、たった一つでもいいから講習を取るとその予備校生と同様に一日中朝から夜まで自習室を使いたい放題になる権利が手に入る事でした。実際、私も一枠しか講習をとりませんでした。中には、何枠もとり自習時間を少なめにする受験生も少なからずいて、上手くこなしきれずに困っていたようです。

 ただ、ここ一月での勉強は、これまで余りにも勉強していなかった分だけ吸収する事が多く、自分が向上して行っている実感をかなり、感じて充実感がありました。この時は、もっと早く自分のやるペースを確立出来ていればと思ったものでした。また、そんな時にでは、ありますが、苦手分野を集中的にやり解決も出来た事もありました。私は、英語が得意では、ありました。そして、英語は、とにかく単語と思っていましたので短時間に多く覚えるため発音は、ガン無視に近い格好で覚えていました。だから、共通一次英語の発音問題なんて全てカンでしたし、それで乗り切るつもりだと英語の家庭教師のE先生に話した所、やる気になれば一週間もすれば出来るぞと言われて発音だけに特化した本を渡されたのです。

 折角いただけたものだし、一週間もすれば出来そうだし全得点の10%くらいの点しか無いけど逆にそこさえ取れればと言う所でやり出してみたら1週間足らずでやり遂げることが出来てその後は、後述する正月の模試から最後に受かった年の共通一次まで模試も含めてこの発音分野は、ずっと満点を取れるようになりました。よく苦手分野は、外して考えるとか言いますが、コツが分かれば取れて確実に一割は、点になるのは、精神的にも大きいものだと大いに感じられました。そんなこんなで充実した冬休みも終盤になり、受験前の最後の元旦から二日間の共通一次模試があったので受けました。英語が終わった後の事でした。学年で出来るやつまで時間が足らなかったと言っていだのです。余裕でやれてたのにおかしいと思いました。何と私は、最後の文章題を丸まま解いてなかったのです。

 自己採点して凄くビックリしました。そんなミスをしていた英語が学年平均より上でしかも上位だったからです。大体からして模試は、本番よりは、難しいものが多いのですがこの模試は、平均点も本番より2割近く低いものでした。あと3週間後の本番前にこんな問題出すなんて鬼だと私も含めてみんなボヤいていました。それから、模試が終わった後に図書委員会のメンバーを中心に男女合わせて10人くらいの集団で合格祈願の初詣に地元の神社から行きました。この時に大凶を私は、引いてしまいました。みんなにそこをイジられているともう1人同じ中学出身のFK君も大凶を引いていました。しかも、全メンバー中で成績が間違いなく一二を争う下の2人が引いたと分かったのか、イジっていた友達も少し苦笑いしていました。実際2人とも二浪しました。20年ぶりくらいしてFK君に会ってこの話で盛りあがりました。

 FK君は、ぽっちゃりしていて色白でやや濃い顔をしていました。天然なお茶らけキャラで面白い奴でした。ともかく、見たら一発で覚えられるキャラで彼の姓は普通によくある名前ですが中村とか山本とか言う名前に比べれば一般的で無いのに先生も生徒もみんな、彼の下の名前でしか呼ばないくらいでした。ただ、図書館委員会は、ほとんどが出来る奴でしたが例外が私とFK君の他に1人いて中3時代の塾からの付き合いであるTS君もいます。ただ、彼にも珍しく真剣になったエピソードがあります。私は、産まれてこの方、引越しがなかったのですが、引越し楽しそうと言うと彼は、真剣な顔で引越しって楽じゃ無いぞと言いました。彼は、親が転勤族で引越しが多くその度に苦労していたそうです。彼のお茶らけもその裏返しだったのかもしれません。彼は、英語が苦手で毎年追試を受けて進級していました。

 そんな感じで気づいたら、一月も終わり頃になり、ついに国立大学入試の第一弾である共通一次試験が始まります。この後にこの試験は、センター試験、更に今は、昔のような紛らわしい名前である共通テストに変わっています。実は、今やこの試験は、私立大学入試に利用されるようになりましたが、当時は、この試験を受けるイコール国立大学を受けると言う事になります。地方の進学校は、国立大学にどれだけの数が通るかが重要なのでほぼ全員がこの試験を受けます。私立高校のような私立特化クラスもありません。そして、受験票は、学校が一括して送付しますので、会場になる地元の大学の教室は、殆どが我等がK高生で占められます。学校が一括して送るのは、普段と同じ環境で本番を迎える事で力を出して欲しいと言う親心だったのかなと今では思えます。その後の事は、次の記事にします。

PS   締めは、当時の私の心を多いに暖めた最高のバラードソングにします。アメリカ音楽界の大御所ディオンヌワーイックと他にも豪華なメンツで送るチャリティーソングのThat's What Frends Are For (邦題:愛のハーモニー)です。



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