【登山】大朝日岳_2026/06 お花と稜線と狐穴小屋vol.1
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朝の4時に一度目を覚ました。確信を持って言えるけれど、私は確かに一度目を覚ましたのだ。しかし、その記憶は数秒後には二度目の睡眠という心地よい泥の中に溶けて消えた。次に時計の針を見たとき、世界はすでに6時になっていた。要するに、寝坊である。
幸いなことに、昨夜の私は珍しく気が利く人間だった。すでに登山口に近い道の駅まで車を走らせていた。過去の自分に静かな感謝を捧げ、トイレを済ませ、車内で朝食を摂りながら日暮沢登山口へと向かう。空はあいにくの曇天だ。まあいい、どこか一瞬でも晴れてくれればそれで十分じゃないか。人生の多くもだいたいそんなものだ。

日暮沢からの登りは、容赦のない急登だった。以前日帰りで登ったときの記憶が、脚の筋肉を通じて蘇ってくる。途中で登山道を整備してくださっている管理人さんに出会った。感謝を伝え、汗を流しながら再び黙々と高度を稼ぐ。

今日のバックパックには避難小屋泊の装備に加えて、約1.5キロほどの「液体状の幸福(=お酒)」が詰め込まれている。

思わずクスリと笑ってしまうような水場の
標識を通り過ぎ、予定よりも少し早く稜線へ出た。

さあ、ご褒美としての展望の時間だ——
そう思ったのだが、そこに広がっていたのは見事なまでに真っ白な世界だった。視界の向こう側は完全に無だ。
登山道脇に咲くヒメサユリやお花たちに
少し元気をもらいつつ、更に足を進める。






少し歩くと小さな雨粒まで落ちてくる。最初は折りたたみ傘で凌いでいたものの、風が強くなってきたので素直にレインウェアを着込むことにした。自分が世界のどこを歩いているのかさえ判然としない。だが、そういう曖昧な足取りの果てに、気がつけば竜門山に着いていた。

竜門避難小屋まで下り、外のテーブルでひと休みする。ちょうど小屋から出てきた男性と話すと、管理人さんだった。これから狐穴小屋まで行くという。「じゃあ、私もそこまで行きましょうか」と答えた。意思決定というのは、拍子抜けするほど簡単に下されることがある。
まだ先は長い。景気づけに一本開ける。昼の山で飲むビールには、あらゆる躊躇や後悔をまとめて正当化してしまう特殊な力がある。

そこから寒江山までの道のりは、心から楽しいものだった。理由は極めてシンプルで、そこが圧倒的な「お花畑」だったからだ。ヒメサユリ、ヒナウスユキソウ、オノエラン、トラノオ、コバイケイソウ、ハクサンイチゲ、チングルマ。次から次へと魅力的な花々が現れる。





私は立ち止まり、写真を撮る。少し歩き、またカメラを構える。まったく前に行進できない。いわゆる「お花トラップ」である。必死に稼いだはずのコースタイムは、花々を愛でる時間として美しく消費されていった。でも、それでいいのだ。ただ歩くことそれ自体よりも、立ち止まる時間の中にこそ価値がある山もある。
そうやって歩いているうちに、気がつくと雲がふわりと上がり、残雪の残る美しい稜線がその全貌を現した。




真っ直ぐ伸びる木道の両脇には、淡いピンクのヒメサユリが咲き誇り、その先に赤屋根の狐穴小屋がポツンと見えてきた。

ようやく本日の目的地である狐穴小屋に到着する。寝床を確保すると、夏限定のサッポロクラシックを手にして外の木道へ向かった。目の前には、圧倒的な存在感で以東岳が佇んでいる。
プルタブを引くと、静寂のなかに「プシュッ」という快い音が響いた。一口飲む。

「ああ、最高だ」
声が勝手に口から漏れ出していた。本当に心を満たす言葉というのは、頭で考えてから発するものではないらしい。ビールを飲み干し、続けてチューハイを開ける。気づいた時には、残されているのは小さな日本酒の小瓶だけになっていた。計画性という繊細な概念は、圧倒的な絶景の前では簡単に息絶えてしまう。
夕食は手軽なカレーで済ませた。山で手の込んだ料理を作る日もあるけれど、今夜の私はただシンプルでありたかったのだ。
途中ですれ違った二人組が小屋にやってきて、気がつけば一緒に食卓を囲むことになった。ピクルスをいただき、ビールをご馳走になり、こちらも手持ちのつまみを出す。そういえば東京から来た二人組からはサラダも分けてもらった。山の上において、人は驚くほど寛容に、そして惜しみなく何かを分かち合う。
空がゆっくりと茜色に染まり始めたので、夕日を見るために外へ出た。斜面のヒメサユリたちが夕日を受けて黄金色に輝き、足元には雲海が静かに広がっている。刻一刻と表情を変える空を見上げながら、「今日も本当にいい一日だった」と心から思った。


小屋に戻り、残った日本酒を少しだけ口に含む。
山を歩き、綺麗な花を眺め、美味しい酒を飲み、通りすがりの誰かと温かい言葉を交わす。
ただそれだけの一日。けれど、私たちの人生というものは、案外それだけの要素が揃っていれば、十二分に完璧なのかもしれない。
やがて小屋の夜は静かに深まっていく。私はシュラフに身を包み、ゆっくりと目を閉じた。驚くほど穏やかな眠りが、すぐに私をさらっていった。
