【東京お仕事物語】渋谷|ファイヤー通りの畳
十八歳の春、私は渋谷で“立っているだけ”の仕事を始めた。
友人の紹介で登録した派遣会社から紹介されたのは、
某大手企業のキャンペーンガール。
本社は都内の一等地にあった。磨き上げられた銀色の壁は、グラスのように光を弾いていて、そこに映る自分が少しだけ大人に見えた。
研修の日、左右対称に完璧なメイクを施した八頭身の“お姉様方”が並んでいた。同じ学生なのに、まるでバービー人形のように完成されている。
プチプラのリップをつけている私は、場違いな場所に紛れ込んだような気分で、恥ずかしさと緊張が混じり合った唾液を飲み込みながら時間をやり過ごした。
勤務地は渋谷。
ファイヤー通り近くのビルの一角。
ロングパンツのコスチュームは、キャンペーンガールにしては珍しく、それだけで少し安心した。
本社で読み込んだ商品マニュアルを握りしめ、「自分にできるだろうか」と緊張しながらブースに立つ。
けれど、始まってみて知った業務内容は、拍子抜けするほど簡単だった。
――立っているだけ。
女の子二人に男性一人。私たちは笑顔で場にいる。
お客さんがブースに入ってくれば「どうぞ」とにこやかにご案内する。
説明や契約は男性の役目。ノルマもない。一時間立てば、一時間休憩。
節目には本社のおじさまが現れ、照れ臭そうに当時はまだ珍しかったスタバのQUOカードを差し出す。
「お疲れさま」。
常連に話しかけられることもあるが、当たり障りなく受け流す。
日給一万一千円。
最初は、なんてありがたい仕事だろうと思った。
体力も使わない。責任も重くない。けれど、あまりに暇だった。
ブースの外を流れる渋谷の人波を眺めながら、ペアの先輩の話を聞く。
「日本初出店のお店、行ってみる?」
と誘われることもある。
1つしか年が違わないのにご馳走してくれる人もいた。
「私もしてもらったから、今度はしてあげたいの。」
その言葉は、どこか大人だった。
広々とした休憩室には、三十台ほどのロッカーが並んでいる。畳に大の字に寝転び、ヒールを脱ぎ散らかし、床からそのロッカーを見上げる。
平日の昼間、このビルでは何百人もの社員が働いているのだろう。企画を練り、会議をし、数字を追い、責任を背負っている人たち。
私は何をしているのだろう。
寝返りを打って鼻先を近づけると、畳のうっすらと黒い染みが足の臭いを象徴しながら宙に立ち昇ってくるようだった。
戻ればまた笑顔で立ち、延々と雑談をする。時間が果てしなく長く、何度も時計を見る。
何もしないでお金をもらう。経済的には助かった。体力も削られない。
それでも、胸の奥に薄い虚しさが粉雪のように冷たく積もっていった。
若い女性が、愛想よくそこに“存在する”ことの対価。能力も努力も体力も求められない。ただ雰囲気に値段がつく。
自分が、無機質な演出装置の一部になっているような気がした。
大きいスケールの夢をもつ、華やかな先輩たちは違った。これは通過点だと知っている目をしていた。
美しい瞳はガラス玉のように鋭く光り、潔い覚悟が透けて見えた。
私はまだ、どこへ向かうのか決めていなかった。
だからこそ、立っているだけの長い時間が、自分の輪郭を少しずつ溶かしていく気がした。
後に、裏方のアルバイトも経験した。高いとはいえないお給料だったけれど、そこでは努力を求められ、工夫を歓迎され、長く働くことに意味を見出せた。“わたしである”ことを必要としてもらえたのだ。
あの頃、自己価値を下げていたのは、仕事そのものではなく、進路も覚悟も定まらない自分の迷いだったのだと思う。
今では街でキャンペーンガールを見ることも少なくなった。けれど、若い女性の雰囲気に対価がつく構造は、形を変えながら残り続けている。
世間の基準で美しくあること
期待されるようにふるまうこと
愛想よく相手を喜ばせること
自分という人間がどのようなもので、どう生きていきたいかという根源的な問いの答えを出すよりもずっと早く、
私たちは社会から価値づけされてしまう。
ファイヤー通りを行き交う人々をガラス越しに眺めながら、私はただ立っていた。
そして、
何者かになりたいと考え続けていた。
end.
