日頃から溜めてきた毒の開示
『神と人間と悪魔と』と題して、2回にわたり、聖霊から教えられてきた事柄を書かせていただきました。
弁明を急がねばならないという思いから今、筆を走らせている次第であります。
すなわち、「与えられている」ことと「できている」こととは無関係です。
実際、私は罪を犯し続けていますし、自分の苦手なこと-他者とのコミュニケーションづくりなど-からは、あいも変わらず逃げている有様です。
己の罪と向き合い、すべては自己投影であると本当に受け入れているのならば、他者のことは気にならないはずですが、実は気になることが山ほどあります。
そこで今回は溜めている毒の一部を開示したいと思います。
大らかな心で見守っていただけたら幸いです。
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私はようやく悟った。何故私は己のアニマとは似ても似つかない若い女性の動画に惹かれることがあるのか。
三つ思い当たった。
つまり、
1.神から与えられた己を軽視するという逆らい(アニマの軽視)。
2.肉体は必ず老いて尚且つ必ず滅びゆくという神の摂理に逆らって若い肉体に依存するという逆らい(偶像崇拝)。
3.自分と同様に神から愛されている他者を軽視する逆らい(姦淫)。
という3重の罪を同時に働いていたのである。
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さて、ところで、自分の妻以外に対して情欲を抱かないのは、上に示された神の律法、摂理に従う為で無ければならない。律法、摂理に意識が向かわない正しさは個人的宗教に過ぎないのだから。
早くから結婚してしまえば姦淫の罪からは逃れやすいのかもしれない-そのような集団意識から結婚は世間的な隠れ蓑となる。実際には結婚していても姦淫の罪は犯し得るし、仮に姦淫から離れていたとしても、姦淫の原因をガチで突き止めていなければ、姦淫に対して霊的成長をしているものでもない。
にもかかわらず、明らかにキリスト教信者の世界では、未婚者は既婚者より下に見られている。
この現状は取りも直さず、圧倒的多数のキリスト教信者の霊的成長が遅れていることを示唆している。
因みに私は未婚である。
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ペンテコステ派(現代においても預言、異言、奇蹟の身体的癒しなるものがあると信じるキリスト教信者の集まり)の兄弟姉妹へ。
あなた方によれば、異言を話さない者は霊的に未熟であるとのこと。
しかし、異言は知性を養わないことが聖書にはっきりと書かれているのだから明らかにそれは違う(Ⅰコリント14:14)。
むしろ私は言いたい。
本筋の霊的成長は、キリストという生けるパンを食すること=みことばに生きることによって与えられる。
異言など「おやつ」のようなものではないのか?
イエス・キリストが異言で養われた話など私は知らない。
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「先生信仰」から離れない兄弟姉妹へ。
あなたがたには神への恐れがないのか?
マタイ23:8にはっきり書かれている。
また私は聖霊との交わりを通して、兄弟姉妹の敬称として「先生」が用いられていることを神は憎んでおられることを、何回も確認している。
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社会的地位の高さを伏し拝む兄弟姉妹へ。
この世の権威=空中の権威につく者は、この世を通して光の子が権威というものを学ぶため、仮に据えられている悪魔に従っていることを、聖書から学んでいないのか?
(エペソ2:2、ローマ13:1-7)
ついでに言わせてもらえば、個人的な10年弱の観察によると明らかに、社会的地位は霊的深みに寄与していない。
こんなのも「先生信仰」の弊害か。
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神秘主義を否定する兄弟姉妹へ。
それらに現れるすべての概念が狂っているとは、また無用であるとは、限らない。
結論が狂っている、いわゆる「異端」には必ず悪魔により歪曲されているポイントがある。
神は何故にふぐ料理をこの世に用意されたのか、考えてみたことはないのか?
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社会的地位の低い兄弟姉妹へ。
あなた方は選ばれた霊的エリートではなかったのか?
霊的貧者に惑わされず、生けるパンを食し、人知れず、神には知られて聖霊のお働きを世に示すための器へと成長を遂げよ。
もしそうしているのだったら、ごめんなさい。
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「伝統的教会」を「保守する」兄弟姉妹へ。
あなた方は生きながらも干からび続けている。
あなた方は聖書にも書かれていない伝統を創作してきた「変革者の末裔」である。
本来ならば改変に改変を重ね、必要とあらば変革をも辞さない先鋭部隊である。
ところがあろうことか、創作した伝統の守りに入り、自らを「保守」とすることで、その活力を失ってしまった。
人の歩み(創作)が神のみこころにかなっているとしたならば、それは凄いことである。
リベラル神学という死神から決別し、リバイバルを起こそうではないか!
(「先生信仰」は止めようね。)
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