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平安時代⇒鎌倉時代...極東島国に住んでいた海賊たちの『霊性』が目覚めたとき 

 前回この記事(⇒鈴木大拙(すずき だいせつ)先生の『日本的霊性』と昭和日本)を投稿しましたが、、、

 すると、何故か不思議と偶然こちらの⇩動画が目に留まりました。
 実は今までも同じような動画があったのかしら、でも気にならずに全部スルーしてたのか。(笑)
 兎に角、鈴木大拙先生のご著書『日本的霊性』を読んで丁度記事をアップしたところだったので、”おお!!凄い偶然だ!”と、早速視聴させて頂きました。 が・・・😑😑😑
 

 
 動画の題名が【空海と日本的霊性】なのに、、、何と言いますか、ワタシが読んだ鈴木大拙先生著『日本的霊性』の内容と全然違う。(笑)😅

 無名一暇人主婦の考えをぶつけること位は問題ないハズ。。なので、早速これを題材に記事を書いてみます。。😀😀

 動画の中で『日本的霊性』に触れられている部分を簡潔に要約して書き出してみました。(執行氏=執、聞き手=聞。詳細は全編を是非ご視聴になって下さい。)⇩

聞:社長ー。今日は、弘法大師空海について。

執:空海について大きな言い方をすると、平安初期、弘法大師空海と伝教大師最澄の2人によって初めて日本的な仏教が始まった。それまでは奈良の東大寺とか大きい寺を中心とした仏教文化だったが、これは基本的にまだ理論も含め全部中国のもの。だが、平安京になって高野山(弘法大師、真言宗)と比叡山(伝教大師、天台宗)で始った、これが日本的霊性、日本的仏教、日本思想の始まりです。だから、単なる仏教者ではなく、思想家、文化人としても日本史上最大の人間の双璧がこの2人。
 空海の密教は、非常に面白い。はじめ、仏教(中国仏教)は凄い理論的だったものに対して、密教=神秘、宇宙の神秘を仏教に思想として取り入れた、これが真言密教。そして、この時代に『日本的霊性』としてこれを取り入れた。仏教理論の中に神秘を持ち込んだ、これが密教。神秘、これが空海の最大の特徴であり、これは日本の特徴でもある。本当は日本人はあまり感じていないけれども、鈴木大拙が『日本的霊性』という言葉で呼んだが、日本人は実は宗教を上回って、すごく神秘に生きていた民族だった、これを理解すべき。あらゆる外国思想を日本化して日本的に、鎌倉仏教などをよく『日本的』と言うが、その鎌倉仏教全部を鈴木大拙は『日本的霊性』と呼んだ。その『日本的霊性』の最初の2人が伝教大師と弘法大師空海で、それは仏教を密教化したからだ、だから神秘が多い。この神秘が日本人の特徴だと分かると、日本文化とは何か、神道とは何か、神道が生み出した日本文化の特徴である『武士道』が『どんな道』なのか、この『神秘思想』が解ると分かって来る。

聞:空海は、『神秘』を元々天才的に持っていたのか。或いはかなり修行したのか。

執:差別的発言になるかもしれないが、空海は日本最大の古い家柄、大伴氏と佐伯氏の出身。天孫降臨の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の随伴の先兵として一緒に天から下って来た民族。空海も、日本神道の伝統に則り自分の家柄にものすごい誇りを持っていたので、天孫降臨をした家柄だと空海が認識していた、その認識体である空海が、仏教を神秘化した。

聞:ああ~、そうか!!

執:仏教を神秘化して密教を作ったことで、鈴木大拙の言葉を借りると、仏教を『日本的霊性』にした、だから彼は凄いのだ。

聞:おお~、すごい。。。本当にすごい方。血筋もあったし、空海がそれを誇りに思って認識したところから始まっている。どれが欠けてもダメ?

執:ダメ。仏教はインドでも中国でもすごい理論体系で、哲学だ。ところが、空海や最澄によって仏教は本当の『人間の霊性文明』にされた。それは、外国人には笑われるかも知れないが、今でも高野山奥の院では空海が生きている、今でも毎日お坊さんが日に2度ご飯を届けている。日本人なら分かる、本当に生きていると。これが、日本的霊性だと思う。天孫降臨から始まった国の人間が持つ、仏教を通り越した『日本的霊性』だ。観光客、特に中国人などはこれを全く感じない。やはり日本人だからこそ感じることができるし、感じることができる人は、全員非常に日本人であることを誇りにしている人で、日本の古い家系に自分が属しているという意識が強い日本人だ。自分もそうだ。

聞:(奥の院で)、霊性に生きている人はそれを感じやすい?

執:そうだろう。これは本当。だからこそ、高野山では千年も食事を届け続けているんだろう。

聞:すごいですよね、本当に。空海に真言密教を教えた恵果阿闍梨も空海の神秘等を感じていた?

執:当然そうだ。恵果は当時の国師で、唐で一番有名な坊さんで、門弟の数は3千人。中国人なのに『日本的霊性』を持っていた特別な人。恵果は空海に印可を渡した。密教的な仏教は中国ではもう死ぬ、密教=神秘仏教が本当に栄えるのは、東の国、倭(やまと)日本であると予言した、予言者だ。天才と天才を、宇宙の神が2人を結び合わせたんだろう。これがなかったら、『日本的霊性』が日本で起こらなかったという位に凄いこと。

聞:まさに啐啄(そったく)の機ですね。
 
 

 えー、、くれぐれも要約ですので、詳細は本編を。感じ方、受け取り方は其々だと思います。。😃 
 しかし、どうやら『日本的霊性』という言葉はやっぱり鈴木大拙先生のご著書『日本的霊性』から引用されてる模様、、デス。

 でも、、実際、ご著書中の鈴木先生のお話は、こんな話ですヨ。⇩(順序を多少入替します。)⇩
 

第一篇 鎌倉時代と日本的霊性
 
 …結論を先に出すとこうである。古代の日本人には、本当に言う宗教はなかった。彼らは極めて素朴な自然児であった。平安時代を経て鎌倉時代に入って、初めてその精神に宗教的衝動を起こした、…。この衝動の結果として、一方には伊勢神道なるものが起こり、他方には浄土系統の仏教が唱えられるようになった。日本人はこのとき初めて宗教に目覚めみずからの霊性に気が付いた。…
 
 千二百年前に編集を了えたと思う「万葉集」は、我等の祖先の精神生活を赤裸々に歌ったものである。…この中にはどんな生活が歌われてあるかというに、一言にして尽くせば、古代の純朴な自然生活である。山を愛し水を愛し、別れを悲しみ、戦いに挑み、男は女を女は男を恋い、慕い、死者を悼しみ、君を敬い、神々を畏れるなど、すべて自然人の心持が歌われている。
 …彼らの精神世界には、まだ宗教は入っていない。…日本的霊性なるものの目覚めはまだなかった。
 万葉人の「宗教」思想が、平安時代の永き陶治を受けて、いよいよ深き内省に入り、初めて日本的に宗教的自覚に到達すること、それは鎌倉時代であることをこれから説く。…

 
 平安の時代はずいぶん長い。…京都には政治があり文芸があり、美術・宗教・学問など、文化の各方面は華やかに展開していった。…
 『万葉』が平安以前の日本的情緒と言えるなら、『古今』を以て平安人の情調と言われるであろう。…彼らのいかに涙多いことよ。…『源氏物語』のような文学的作品は世界にないと思うが、…貴族生活の恋愛葛藤・政治的陰謀・官能的快楽・文学的遊戯気分・修辞的技巧などで充たされている作品は、あまり持てはやさぬがよい… 
 享楽主義が現実に肯定せられる世界には、宗教はない。万葉時代は、まだ幼稚な原始性そのままだから、宗教は育たぬ。平安時代に入りては、…都の文化教育者はあまりに現世的であった。…日本的霊性的自覚はまだ光り出ない。
 …奈良朝時代には、お寺ができ、仏経論が読誦・研究せられた。また仏像などの立派なものができ、仏教的儀礼も盛んに執り行われた。それから平安時代には、伝教大師や弘法大師を始め、立派な仏教学者も仏教者もずいぶん出ている。しかしわしは言う、--日本人はまだ仏教を知らなかった、仏教を活かして使うものを、まだ内にもっていなかった。…(平安時代の)中に見られる如き憂愁・無常・物のあわれなどというものは、いずれも淡いものである。人間の魂の奥から出るような叫びは、どこにも聞こえぬ。 
 …宗教は、親しく大地の上に起臥する人間--即ち農民の中から出るときに、最も真実性を持つ。…

 …都の貴族たち、その後にぶら下がる僧侶たちは、大地と没交渉の生活を送り続けた。…平安時代を通じて一人の霊的存在・宗教的人格と見るべき人の出てこなかったのは、当に然るべきでところである。弘法大師の如き、伝教大師の如きといえども、なお大地との接触が十分でない。彼らの知性・道徳・功業は実に日本民族の誇りである。が、彼らは貴族文化の産物である。…彼らの仏教は、南都の仏教に対して一時は清新な溌剌なものであったが、時を経るに従い、他の文化形式と同じく形式化・儀礼化・審美化・技巧化の一路をたどって、仏教本来の意味から離れるようになった。大陸からの刺激を受けず、島国に閉じ籠り、京都の山々に囲まれ、地方からの経済的支援で生活した貴族たちは、風雅な遊びで一生を暮らすほか、権力筋へ何かで渡りをつけて「栄位」につくことを、「一門の誇り」としたものであった。その跡を逐う僧侶たちは、出世間の人として彼らを導くことの代わりに、彼らにひきずられていった。…

 鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、即ち霊性の生活に目覚めたと言える。平安時代の初めに伝教大師や弘法大師によりて据え付けられたものが、大地に落ち着いて、それから芽を出した…。
 法然上人--親鸞聖人--の霊性的経験は、実に大地から獲得せられたもので、その絶対的価値はまたここに在るのである。…今までの日本的霊性は、伝教大師や弘法大師やそのほかの宗教的天才によりて幾分か動き始めていたことは確かであるが、まだ十分に大地との関連を持っていなかった。即ち十分に具体性を持っていなかった。

 鎌倉時代は、実に宗教思想的に見て、日本の精神史に前後比類なき光景を現出した。  

鈴木大拙著『日本的霊性』より

 平安時代も意味があったが、それだけでは足もとは危うい。。。
 平安文化はどうしても大地の文化へ、地方に地盤を置き、農民と直接交渉していた武士が、公卿に代わって出でずにはいられなかった、と鈴木大拙先生は言ってます。

 でも、平安時代があったからこそ、鎌倉時代における『武士道』の展開もあったとも。⇩

 感性も精密に研究すると、個別的に民族的に、それぞれの量的・質的な差等があると思うが、…文学の上に現れた例を挙げると、左記の如きものがある。
 「鎌倉武士の何ともいえぬ潔き気風の真髄になっているものも、やはり平安朝時代の『あわれ知ること』である。...その下相をおいて、その真生命について見るときには、同じ情韻が溢れているのである。…(平)忠度、…新羅三郎、…(源)義家、…(梶原)景季もある。…実に鎌倉武士は武健であった。忠君の情が厚かった。そしてその武勇や忠義に一種の気韻を与えて、花よりも美しからしめるものは、この「あわれを知る」という気風であったのである。武士道は決して文字の上の解釈で知られるものでもなく、理屈や教条で組み立てられるものでもない。理屈や条規は、ただその形体である。その真体、精神はただ身照証体得するほかには、これを捉える術はないのである。」(堀維孝『国民道徳に関する講和』稿本。大正2年)
 
 鎌倉武士と禅との交渉に関しては、また別に述ぶるつもりであるが、とにかく武辺一方のものとのみ想像せられ得る人々が、風流韻事を解するということは、人生にどれほどのゆとりを与えてくれるかわからぬ。この伝統精神、即ち日本的情性的直覚と言うべきものが、武士と言わず「町人」にあいだにも流れているということは、大いに留意すべき歴史的事実である。

鈴木大拙著『日本的霊性』より

  鎌倉時代が平安時代にとって変わったんじゃない。平安時代の優雅、風流があったからこそ、鎌倉時代の日本に『武士道』が成り立ち得たんだろうと。。
 そしてその頃、我らが『神道(しんとう)』は。。⇩

 「神道」は元来が政治思想であって、厳密には、宗教的信仰性のものでない。霊性そのものの顕現ではない。これをそこまで転向させようとするときは、「外来」と言われている思想および情緒に接触し、これを摂取して自分を育て上げねばならぬ。…
 「神道」家者流の宇宙生成論であるが、それは直線的・時間的で生成の真義に称わぬところがある。直線的時間性で歴史的記憶を解釈しようとすると、その中からは現在と未来とが出てこないのである。過去さえも限られる。…
 

 神道思想を刺戟して、自覚を高めしめた一つの外的要因は、これまた蒙古襲来であると思う。平安時代このかた東方アジアの孤島で桃源の夢を貪っていた我らの祖先が、急に敵性をもった外力が加わってくるのを見て、自分というものを見直さねばならなくなった。国家に由緒ある神社に祈祷を捧げるもさることであるが、思想的に神社を存在せしめているものはなんだろうかと考えることもまたしなければならなかった。…蒙古襲来は日本人の内省的生命の発展に非常な影響を与えたものである。…
 
 近代日本の歴史的環境がまたよく鎌倉時代のに似ていて、さらに切迫したものがある。国際的政治は言うに及ばず、思想および信仰および技術などの諸方面に渉りて、異質性の諸勢力が激しく襲来する。これは必ずしも敵性のものではない。異質性は敵性を意味していない。が、異質性だけに、鎌倉時代や、それ以前およびそれ以後に、日本文化が逢着した時と、大にその趣を異にしている。単に排外的態度でこれに対抗してはならぬ。それは事実のうえには自滅をたどる心構えである。一時はいかに元気よく動いて、またいくらか成功の片影が見えても、幻滅の時節は必ず来るのである。…
 
 …シナの仏教は因果を出で得ず、インドの仏教は但空の淵に沈んだ。日本的霊性のみが、因果を破壊せず現世の存在を減滅せずに、しかも弥陀の光をして一切をそのままに包被せしめたのである。これは日本的霊性にして初めて可能であった。そうして鎌倉時代がこれを可能ならしめる契機であったのである。

鈴木大拙著『日本的霊性』より

  。。。まあ、人により感じ方、受け取り方は様々です。。😅

 只、鈴木大拙先生は、これはハッキリと書いてます。。。⇩😑

 親鸞は罪業からの解脱を説かぬ、即ち因果の緊縛からの自由を説かぬ。それはこの存在--現世的・相関的・業苦的存在をそのままにして、弥陀の絶対的本願力のはたらきに一切をまかせるというのである。そうしてここに弥陀なる絶対者と親鸞一人との関係を体認するのである。絶対者の大悲は、善悪是非を超越するのであるから、こちらからの小さき思量、小さき善悪の行為などでは、それに到達すべくもないのである。ただこの身の所有と考えられるあらゆるものを、捨てようとも留保しようとも思わず、自然法爾(じねんほうこ)にして大悲の光被を受けるのである。これが日本的霊性の上における「神ながら」の自覚にほかならぬのである。…
 
 この特殊が鎌倉時代に初めて明らかにせられた。そうしてそれが親鸞によりてであるというのが、本著者の意見である。

鈴木大拙著『日本的霊性』より

 ( ´∀` )。。。。。

 。。。個人的な話で、海辺の片田舎に住むワタシの親族は偉い人とか頭いい人は昔から皆無です。(笑)😅
 それでも、初日の出を拝み、春桜にもののあわれを感じ、義理人情に厚く、暮と盆は必ず先祖の墓を参り神社も祭りも大好きで、今世日本に生まれた奇跡に感謝してます。
 正に自然法爾(じねんほうに)と、絶対者の大悲を光被したお蔭か。。。😌😌

 いやあ、そうじゃない!
 『日本的霊性』は、そんなモノじゃない!
 血筋。血統。家柄。神話の神々に近くて古いほどエライ!
 神道も密教も武士道もワカラナイ! 見えないモノが、見えナイ!
 そんなの『日本的霊性』ではナイ! 日本人ではナイ!
 ナイナイナイ!

 もし。。。誰かにこう言われても、ワタシは全然気にしません。。
 だって、もう鈴木大拙先生のご本を読んじゃったから。😀😀
 
 
 

 


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