降りてみたら、満ちていた

我が家は、統計上の「平均世帯年収」という物差しで見れば、かなり下のほうに分類される。


かつての私は、その数字に追われるように、もっと稼がなければ、もっと上を目指さなければと必死だった。家族のために豊かさを持ち帰ろうと、まるで「24時間戦えますか」と言わんばかりに心身を削って働き、文字通り全てを仕事に注ぎ込んでいた時期がある。

しかし、手元のお金と引き換えに、大切なものが指の隙間からこぼれ落ちていった。


次第に心の余裕が消え失せ、あんなに大好きだった家族とのコミュニケーションや、共に過ごす笑顔の時間は消えた。


ただ疲弊し、殺気立つ私を見て、家族が本当に望んでいたのはこんな姿だったのだろうかと自問する暇すらなかった。

限界は突然訪れ、私は休職を経験することになる。



まさに本末転倒だった。


家族を幸せにするための努力が、家族の平穏を脅かす凶器になっていたのだ。

四十歳の手前、私は人生の舵を大きく切った。

いわゆる「出世階級」のレースから降り、自分の心にブレーキを取り付けたのだ。
それは諦めではなく、大切なものを守るための積極的な撤退だった。
レースを降りて気づいたのは、豊かさとは収入の高さと同義ではないということだ。


年収が低くても、身の丈に合った支出の抑え方を知り、会社一択ではない別の収入源を小さく確保し、生活コストのかからない住まいへと環境を変えれば、人は驚くほど楽に、そして軽やかに生きていける。


現在の我が家には、かつて追い求めた派手な贅沢はない。

しかし、ここには確かな「心の豊かさ」が満ちている。

定時に帰り、家族と一緒に囲む食卓の温かさ。休日に何もしない贅沢を分かち合える心の余白。


お金をかけずとも、工夫次第でいくらでも笑い合える日常がここにある。

かつて必死に稼ごうとしていた頃よりも、今のほうがずっと、私たちは幸福だ。

世間の平均や誰かが作った幸福のテンプレートに、もう自分を当てはめる必要はない。


ブレーキを踏み、速度を落としたからこそ見えてきた、我が家だけの豊かな景色が、今もしっかりと足元に広がっている。


それにしても心のブレーキ


取り付けるの遅すぎた笑

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