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夢の跡

10年間同じ大学で働いた友が突然この世を去りました。イギリス人男性でしたが、京都文化に詳しく、「大田神社のカキツバタがきれいだよ!」などと絶好のタイミングで教えてくれたものでした。毎月21日の弘法さん(東寺の市)や、25日の天神さん(北野天満宮の市)に出かけ骨董品を買うのが大好きな人でした。
 
私より若く、頑強な体格の元・体育教師だった人が、あっけなく亡くなったのです。
最後に会話した時「よぼよぼの爺さんになるまで働く」と杖をつくポーズで茶目っ気たっぷりに言っていたのに、です。
 
度重なる災害の報道もあり、誰もが死と隣り合わせで現世を生きていることを改めて思い知らされる中、虚しさを感じる日が続きました。


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秋の気配が漂い始めた「一粒万倍日」、やっと心が“活動したい”と言い出しました。
 
京都御苑のムラサキシキブはもう咲いているかな。
廬山寺ろざんじのキキョウの花はまだ残っているかな。
図らずも、「光る君へ」の舞台。久しぶりに歩いてみることにしました。
 
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平安時代にタイムスリップです。
鴨川の西側堤防に接しているので「堤邸」と呼ばれる大邸宅がありました。
建てたのは 藤原兼輔(通称、堤中納言)、紫式部の曾祖父です。
紫式部は、この屋敷を譲り受けた父の為時と暮らし、藤原宣孝との結婚生活を送り、娘の賢子かたこを育て、源氏物語を執筆しました。
源氏物語第三巻『空蝉』はこの屋敷を舞台としています。
紫式部は40年ほどの生涯のほとんどをこの邸宅で過ごしたとされています。
 
もちろん平安時代の邸宅形式である寝殿造りなど跡形もありません。
現在は廬山寺ろざんじとなっています。

「源氏の庭」 キキョウがまだ咲いていました

かつて 寝殿造りの建物の前庭には、池と州浜が作られていました。
その様子が、白砂と苔で表現されています。
 
紫式部もここで、この場所で、庭を眺めていたのだ…と想像します。
夫の死を悼み、宮廷で目の当たりにする人々の栄華や儚さに思いを巡らせ、執筆を続けたのでしょう。
源氏物語の根底には、仏教的因縁思想が流れています。
 
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紫式部邸から西へ200mほど行くと、土御門第つちみかどていがありました。
藤原道長の邸宅です。
実際に歩いてみると紫式部と道長がご近所同士だったことが分かります。
 
現在は京都御苑の一角で、痕跡はなんにも残っていません。
それでも、ポツンと立つ説明版をよすがとして、思いを馳せてみます。

土御門第跡
奥に見える門の向こうに紫式部邸がありました

まさにこの場所で、一条天皇の中宮となった彰子が 皇子(後一条天皇・後朱雀天皇)を産みました。
天皇の外祖父となった道長は栄華を極めます。
「この世をば わが世とぞおもふ 望月の欠けたることもなしと思へば」は、どのあたりに座って詠んだのでしょうか…。

まさに夢の跡

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京都御苑内をさらに進むと京都御所が見えてきます。
しかし、当初の内裏はここではなく、2㎞ほど西にありました。
 
内裏は火災の類焼からの再建を何度も何度も繰り返しましたが、ついに鎌倉時代初期に再建されなくなりました。
焼け出される度に天皇は 公家の邸宅を借りて内裏としました。
 
時代が下り(1331年)、光厳こうごん天皇が土御門東洞院殿つちみかどひがしのとういんでんを間借りする形で即位したのをきっかけに、この地が皇居として定着しました。
現在の京都御所です。
東京に遷都されるまでの五百数十年間は、ここが皇居でした。
しかしその間も、大規模な火災や応仁の乱により焼失、その度に 再建が繰り返されました。

現在の内裏は、厳密な考証に基づき江戸末期に完成した、まさに「啼くよウグイス平安京」当時の内裏の姿です。
宮内庁管轄ですが、事前申し込み不要で見学できます。

この日は御所の公開日ではなかったので人影も無く
夏の花 サルスベリがまだ咲いていました

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明治維新が起こり、天皇は(京都人曰く)「ちょっとの間東京に行ってくる」ことになりました。
しかし、事実は東京遷都です。
内裏の周辺にあった宮家や公家屋敷などはことごとく取り壊され、広大な苑池となりました。
それが京都御苑です。
Googleマップで「24時間営業」と出るとおり、いつでも散策できる国民公園になっています。
 
栄華を極めた人々の夢の跡には、樹木や花々が植えられ、四季折々を彩っています。
 
京都御苑の北西角付近(近衛邸跡)にムラサキシキブが咲いていました。
正確にはコムラサキ(ムラサキシキブの園芸種)です。

紫式部にちなんで名づけられました

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執拗に襲いかかる災害や戦火や政変によって、形あるものはことごとく壊されてきました。
波にさらわれる砂の城のように、永遠ではないと分かっている物を作り上げては壊され、また作り直しては壊されてきた歴史。
 
無常であることは千年前も現在も変わりません。
 
それでも、思いきり喪失感を味わったなら、また前を向いて歩きたくなる、何かを作りたくなるのが人間なのだと思います。


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