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カマキリとの出逢いと蟷螂山|祇園祭

大学に勤めていた頃のある日(2019年 11月)— 
一匹の大きなカマキリに出逢いました。
午前の授業を終え、屋外の階段を上っていた時のことです。

視線の先、コンクリートの階段の ど真ん中に、
鮮やかな緑色のカマキリが一匹佇んでいました。
周囲に草むらはありません。
  どこから来たの?
思わず声に出して話しかけていました。

踏みつぶされることを心配したものの、実に不思議なことに、人影はありませんでした。お昼休みだというのに。

秋の優しい陽ざしの中、静寂に包まれて、ただカマキリだけがいます。
階段全体をステージとすれば、その中央に堂々と。

なんとも美しい造形に、しゃがみ込んで至近距離で見つめながら
なんだかんだと話しかけましたが、
反応することもなく
ただ静かに佇んでいました。


写真を撮ることも忘れていました。
稚拙な絵で恥ずかしいのですが、こんな感じです。

帰宅して描いてみた 当時の絵
親しみを込めて


「ただ生きている」
カマキリの側に自我も思考もありません。

それでも私は、出逢いに意味づけをしたものです。
神様からの使いのように思われて。
カマキリは古代ギリシャ語で「預言者」だから
「何かを伝えるために来てくれた」のだと。
それが何かは分からないけれど、「きっと大丈夫」だと解釈しました。

ほどなくして(去年他界してしまった)イギリス人の同僚が
「見ててごらん。これから2年ほどで世の中がガラリと変わるよ」と言いました。なんとなく、感覚的に理解できたので、詳細は尋ねませんでした。
答え合わせを待つことに。


年が明け(2020年)コロナ禍が始まりました。
ただ生きるため命を繋いでいる、悪意をもたないウィルスが、大切な人命を奪っていく事実に悲しみや恐怖を覚えました。

多くの方々と同じように、私の生活も働き方もガラリと変わりました。
遠隔授業となり、初めての動画配信や zoomでのライヴ授業など、誰にも会って助けを求められない状況は苦しかったものの、外部と遮断されたことで感染を免れることができました。

神様から託された予告はこのことだったのでしょうか。

その年から2年間中止になってしまった祇園祭の山鉾巡行。
大好きな「蟷螂山とうろうやま」に思いを馳せました。
蟷螂はカマキリの別名です。

存在しているだけのカマキリに、古代ギリシャ人が預言者としての役割を充てたたように、室町時代の京都人も、鎌を振り上げるカマキリに、勇気ある挑戦者の姿を重ね、祭りに登場させました。

そんな蟷螂山についてお話ししたいと思います。
昨夜撮影した写真をご覧頂きながら、おつき合い頂けると嬉しいです。


* * * * * * * * * *


以下【 】は祇園祭に関する前置きです。
【祇園祭は、八坂神社の氏子による 疫病退散・厄払いのお祭りです。
「祇園」という名称は、八坂神社が江戸時代まで「祇園社」と呼ばれていた名残り。主祭神「牛頭天王ごずてんのう」がインドの祇園精舎の守護神であることに由来します。

7月1日から随所で伝統行事が行なわれ、期間は1ヶ月にわたります。
その一環として、17日(前祭さきまつり)と 24日(後祭あとまつり)に山鉾巡行が繰り広げられます。
前祭の巡行は、八坂神社の神様がお出ましになる際の露払い(お清め)。
後祭の巡行は、神様がお戻りになる際の露払い、という役割があります。】

前祭に巡行する山鉾23基の中で、一番のお気に入りが「蟷螂山」です。
通称「かまきり山」
からくり仕掛けがあるのは、この山だけです。
 羽をパタパタ
 右の鎌を上げて、右向きに
 左の鎌を上げて、左向きに
ポーズを決めるカマキリを初めて見たとき、一目惚れしました。
(人混みも猛暑も大の苦手なので、テレビの生中継で)

今年は、思い切って宵山(巡行前の3日間開催)に出かけることにしました。
7月15日、夕方からは気温が下がり、心地よい風も吹いています。
幸い、蟷螂山町は、山や鉾が割拠するエリアの西の端っこ。
アクセスも良いので、人混みに遭うのは最小限の時間で済みます。


15日と16日、四条通は歩行者天国に。
一番手前の提灯(綾傘鉾)を左に曲がると蟷螂山町です


巡行を待つ蟷螂山
提灯にもカマキリの意匠が


御所車の車輪もクルクル回る仕掛け
金の鯱(しゃちほこ)を載せた山はここだけです


ロボットのようなカマキリですが、からくり人形師の第一人者、玉屋庄兵衛による木像です。からくり仕掛けには、背美セミクジラの髭がバネとして使用されています。
長時間の巡行で前脚が折れてしまう可能性もあり、メンテナンスが大変とのこと。
実は昨年(2024年)、巡行中に左の前脚が取れてしまいました。観客から笑いが起こったものの、この日のために努力してこられた方々のお気持ちを思うと、切ないです。


なぜ、カマキリが祭のモチーフになったのでしょうか。

中国の故事に由来する「蟷螂とうろうおの」という言葉があります。
「弱小のものが、自分の力量もわきまえず、強敵に向かうことのたとえ」(大辞泉)です。

南北朝時代、四条隆資たかすけという公家がいました。
南朝の後村上天皇(後醍醐天皇の皇子)を守るため、北朝側の二代将軍 足利義詮よしあきら(尊氏の嫡男)に挑み、戦死した人物です。

実務面で天皇を支える公家でありながら、将軍に戦いを挑んだ姿が「蟷螂の斧」にたとえられました。

四条隆資が住んでいた辺りの人々が、御所車にカマキリ像を乗せて巡行したのが、蟷螂山の始まりです。
(祇園祭は平安時代が起源ですが、室町時代には現在に通じる山や鉾が建てられるようになっていました)

庶民から見れば雲上人のような権力者。
武力に勝る将軍側から見れば弱小者。
どちらから見るかによって、印象はガラリと変わるものです。

「昆虫物語みなしごハッチ」(1970年放送)では主人公の蜂(ハッチ)から見るとカマキリ(カマキチおやじ)は巨大で怖い「悪者」でした。しかし、改心したカマキチおやじは、最終回でハッチらを護るため、スズメバチの集団に身を挺して挑みます。

弱肉強食の世界をどのように切り取るかによって、同じカマキリなのに、獰猛な悪者にも、か弱き勇者にもなるのですね。
あまりに懐かしい番組を思い出してしまいました。

ただそこに「在るだけ」のものに象徴性を与えて、人間界と重ね合わせる。
神話も伝説も祭りもアニメも、このようにして生まれてきたのだと思います。
私もあの日のカマキリを、今でも神様の使いだと思っています。


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さて、蟷螂山には からくり仕掛け以外にもう一つ、唯一無二の特徴があります。
山を飾る懸物かけものすべてが「手描き友禅」であることです。
この山を建てる「蟷螂山町」は、かつて友禅染の職人の町でした。
「比類なき友禅山」とも呼ばれる所以です。

格子越しではありますが、前懸・左右の胴懸・後懸など、人間国宝 羽田登喜男による作品を見ることができます。

手描き友禅の華麗な懸物
右の胴懸

 

こちらのサイトでは 蟷螂が動く様子をはじめ、美しい懸物などを見ることができます。


応仁の乱、第二次世界大戦、そしてコロナ禍。
過去三度、中断を余儀なくされながらも復活を果たし、継続されてきた山鉾巡行。

疫病退散の神事であることを思い出し、山鉾それぞれに注がれる人々の思いを想像しながら、明日17日の巡行を楽しもうと思います。
至近距離で眺められる「おうち観覧席」で。

御所車を飾る煌びやかなカマキリに、あの日出逢った美しいカマキリの姿を重ねつつ。


撮影した写真の掲載は、保存会の方の許可を得ています。


読んで頂きありがとうございました。

【追記】今年の前祭の巡行は、大雨の中敢行されました。
ずぶ濡れになりながら懸命に山や鉾を進める人たちの姿や、ビニールで覆われていたものの 厳かに進む山や鉾に感動しました。
昨年アクシデントがあった蟷螂は、両前脚を新調されていましたが、からくりのお披露目は叶いませんでした。また、来年を楽しみにしたいと思います。


参考文献:白川書院編『祇園祭のひみつ』(2015)







 

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