タイダイ染めに挑戦した記録
昨年、初めて家族と一緒にフジロックへ行きました。
僕とフジロックとの出会いは、2006年のことです。
大学生だった僕はあの広大な山の中で鳴る音楽にすっかりやられてしまい、それから毎年、夏が来るたびに苗場を目指しました。
けれど、長男が生まれたのを機に足が遠のき、気がつけば10年という月日が過ぎていました。
子どもたちがようやく小学生になった昨年、思い切って家族を連れて行くことにしたのです。あの場所にもう一度立ったとき、会場の雰囲気は何も変わっていないのに、隣にいる人たちだけが変わっていて、なんだかとても不思議な気持ちになりました。
僕がサマソニではなく、フジロックに魅了された一番の理由は、Field of Heavenというステージの存在にあります。
このステージは、もともとアメリカのジャムバンド、Phishというバンドに3日間演奏してもらうためにつくられたと言われています。
Phishのために森の奥にステージをひとつ用意してしまうというのが、まずフジロックらしいと思いませんか。
それ以降、Field of Heavenでは、アメリカのジャムバンド(ヒッピーミュージック)と呼ばれるバンドが何組も出演してきました。
曲と曲の境目がいつの間にか溶けて消え、ひとつの大きなうねりになっていく。
観客もまた、踊り続ける人、寝転がって空を見上げる人、ミラーボールの下でただ揺れている人、それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。
そこにはヒッピーカルチャーの空気が自然と根づいていて、都市型フェスでは決して味わえない、ゆるやかで自由な時間が流れているのです。

昨年、10年ぶりにField of Heavenを訪れてみると、あの頃の濃密なカウンターカルチャーの匂いは、正直なところ少し薄まっていました。
近年はアメリカのジャムバンドの出演も減っていて、ラインナップを眺めながら寂しさを覚えたのも事実です。
けれど、そこには小さな子どもを連れた家族が竹で組まれたベンチに座り、初めてフェスに来たような若いカップルが音に合わせてゆっくり揺れている。
かつてのような濃さはなくても、あの自由でおおらかな精神は、もっと広く、もっと多くの人に開かれた形で息づいていました。
ヒッピーたちが大切にしていた「誰も排除しない」という空気は、形を変えながら、ちゃんとここに残っていたのです。
そんな思いの中、フジロック期間中、僕はタイダイ柄のTシャツを着ていました。
タイダイ(tie-dye)というのは、布を紐で縛って(tie)から染める(dye)技法のことです。
縛り方や染料の重ね方によって、渦巻きやまだら模様が偶然のように生まれます。ひとつとして同じ柄にはならない。その一回性が、タイダイの本質です。
ここ数年、日本のフェスでも若者が着ているのをよく見るようになりましたが、この技法が広まったのは、1960年代のアメリカでした。
既製品を大量に消費する社会への静かな抵抗として、ヒッピーたちは自分の手で服を染め始めました。工場で作られた均一なものではなく、自分だけの色を自分で作る。
それは小さいけれど、確かな自己表現であり、既存の価値観に対する「自分なりのやり方で生きる」という宣言でもあった僕は感じます。
そしてタイダイは、ジャムバンドの文化と深く結びついていきます。その象徴が、1965年にサンフランシスコで結成されたGrateful Deadです。
彼らのライブは、毎回セットリストが異なり、一度として同じ演奏がないことで知られていました。その会場では、観客たちがタイダイのTシャツを着て集まるのが儀式のようになったのです。
Phishのツアーでも、駐車場には色とりどりのタイダイを纏った人々があふれます。ジャムバンドの音楽が即興と偶然を大切にするように、タイダイもまた、染めてみるまでどんな模様になるかわからない。コントロールを手放し、偶然を受け入れ、そこに生まれたものを愛する。
その姿勢が、音楽とTシャツの柄を、ひとつの思想として繋いでいるのだと僕は思っています。
だから、タイダイのTシャツを着てField of Heavenに立つというのは、僕にとってただのファッションではありません。
あの場所の精神に敬意を払い、自分もその一部であると示すための、ささやかな所作なのです。
前置きが長くなりましたが、今回はそんなタイダイ柄を自作した時のことを書きたいと思います。
ヒッピーカルチャーから受けた自由さ。偶然を受け入れるという姿勢。それをTシャツとして着るだけでなく、自分の手で作るところから始めたい。
誰かの作った「自由」ではなく、自分だけの色を、自分で生み出してみたい。そう思い始めたら、もう止まりませんでした。

まずはキャンバスを用意しなければなりません。タイダイにおけるキャンバスとは白い布。
妻に声をかけると、おもしろがってクローゼットの奥から着なくなった白いシャツを何枚か引っ張り出してきてくれました。それから、靴下なら日常にさりげなく取り入れられるなと思いつき、ユニクロで白い靴下をまとめ買いしてきました。
染料は、Rit(リット)というブランドのものをネットで購入しました。

Ritは1917年にアメリカで生まれた家庭用染料の老舗で、もう100年以上の歴史があります。タイダイカルチャーとともに歩んできたブランドと言ってもいいかもしれません。
Grateful Deadのライブ会場で売られていたタイダイTシャツも、Phishのツアー先の駐車場に並んでいたカラフルなTシャツも、その多くがこのRitで染められていたそうです。
僕が選んだのはパウダータイプ。お湯に溶かして染料液を作るのですが、濃度を自分で調整できるのが良いところで、濃く溶けばはっきりとした色に、薄めれば淡いニュアンスになります。
パウダーを溶かした染料液は、そのままでは狙った場所に色を置けません。
そこで、100均で先の細いスクイーズボトルを何本か買ってきました。ここに染料液を移し替えれば、狙ったポイントに色を垂らしていけます。
このボトルが、実はタイダイの仕上がりを大きく左右する隠れた主役だったりします。
まずは、シャツやソックスを縛る工程です。タイダイでは、この縛り方ひとつで仕上がりの柄が決まります。
僕が目指したのは、スパイラル柄。あの渦を巻くようなサイケデリックな螺旋模様で、タイダイといえばまずこれを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
やり方はシンプルで、シャツを平らに広げ、中心を指でつまんでくるくるとねじっていきます。するとシャツ全体が巻き込まれて、シナモンロールのような丸い塊になる。それを崩れないように凧糸できゅっと縛れば、準備完了です。靴下も同じ要領で、小さな渦を作っていきました。

縛り終えると、もうすぐにでも色を入れたくなります。でも、ここで焦ってはいけません。固定剤に浸す工程が待っています。
食塩をぬるま湯に溶かし、そこに縛ったシャツとソックスを20分ほど浸けておきます。
食塩が繊維と染料の結びつきを助けてくれるので、洗っても色が落ちにくくなります。
地味な工程ですが、これを省くと仕上がりの発色がまるで違ってくるようです。
そして、いよいよお待ちかねの染色です。
固定剤から引き上げたシャツとソックスを軽く絞り、タオル用の物干しの上に置きます。そこに、先ほどのスクイーズボトルで染料液を垂らしていきます。
凧糸で仕切られた区画ごとに色を変えていくと、スパイラル柄の場合は渦の流れに沿ってグラデーションが生まれます。どこに何色を置くかは完全に自由。仕上がりを頭の中で想像しながら、赤、青、黄と色を重ねていくこの時間が、正直いちばん楽しい工程でした。
ちなみに僕はベランダで作業しましたが、染料は想像以上に飛び散ります。新聞紙やビニールシートを広めに敷いておくことを強くおすすめします。手もしっかり染まるので、ゴム手袋も忘れずに。

色を入れ終えたら、シャツとソックスをラップでぴったり包み、そのまま24時間ほど置いておきます。この待ち時間に、染料が繊維の奥までじっくり浸透していくのです。
焦って早く開けたくなる気持ちをぐっと堪えるのが、ここでの最大の試練かもしれません。僕はリビングのテーブルの上に並べて、何度もちらちら眺めていました。
一晩経ったら、いよいよ凧糸を外して布を開きます。この瞬間が、タイダイづくりで一番ドキドキするところです。
ここですぐに広げて眺めたい気持ちを抑えて、まずは水で丁寧に濯いでいきます。
最初は冷水で、余分な染料が出なくなるまでしっかりと。水が澄んできたら、今度はぬるま湯に少量の中性洗剤を溶かして軽く洗います。こうすることで、着てから色移りする心配がなくなるようです。
あとは脱水して干すだけ。洗濯バサミで吊るされたタイダイのシャツがベランダで風に揺れているのを見たとき、ああ、本当に自分で作ったんだなと、じわじわ実感が湧いてきました。

正直に言えば、仕上がりは胸を張って外に着ていけるほどのクオリティではありませんでした。
色の入り方にムラがあったり、思い描いていた渦とは少し違う形になったり。でも、それがタイダイなのだと思います。偶然を受け入れるというのは、こういうことなのだと。
今回である程度の要領をつかんだので、次はもう少し欲を出してみたいと思います。
アメリカ産のしっかりしたヘビーコットンのTシャツを一枚、本気で染めてみたいし、タペストリーにも挑戦してみたいと思っています。壁に飾れるくらいの大きな布を、自分の手で染め上げる。考えるだけでわくわくします。
ちなみにサムネイルに設定したトップ画像は、アメリカのタイダイアーティストの作品です。色の入り方が絶妙で、サイケデリックで、お気に入りの一着です。
