佐世保・九十九島・浮瀬ダイビング(地形編)〜歴史と地形のミステリー
■ 浮瀬到着、歴史のミステリー
6月のある週末、佐世保市の九十九島(くじゅうくしま)へ行ってきました。福岡から佐世保までは、九州自動車道を使わず、海沿いの西九州道と一般道で唐津・伊万里経由のほうが距離も近くてラクチンです。
今回のポイント「浮瀬」は、佐世保パールシーの港からダイビングショップの船で、およそ3kmほど。
天気は快晴、気温28度、風はほとんどなく、ほぼ凪の状態で、快適な船旅でした。
透明度が残念でしたが、いつもの常連だけじゃなく、あの珍客にも遭遇しました。さてこれを記事にしようとAIさんといろいろ調べてたら、だんだん話が広がってしまい、連載化することとしました。まずは「浮瀬」の歴史と地形のミステリーです。

九十九島は208の島があり、大半が無人島です。瀬渡し船で渡ることもでき、大きな無人島ならキャンプも可能です。
見出し写真の浮瀬は、佐世保本土から4km位西にあり、もともとは海上に浮かぶ岩礁や瀬として認識されていた場所です。面積約0.09km²、周囲約400m、標高約15.5mの無人島で、潮通しが比較的良く、魚影が濃いエリアで、釣り人にも人気です。
壁面が縞々で、お菓子のミルフィーユみたいですね。
あ、海上に出ているところも浮瀬、ポイントも浮瀬では混乱するので、ここでは海上部分を浮瀬小島、海中部分を浮瀬ポイントと呼ぶことにします。
浮瀬小島の写真をよく見ると、右端に小さな突起物があります。コンクリートで作られた構造物で、何かの基準点かな? 拡大するとこんな感じです。

実は九十九島のいくつかの小島にも、同じような構造物が残っています。形から見ても明らかに古そうです。
佐世保はかつて旧海軍の要衝でした。私は以前から「レーダーもGPSもない海軍時代、標的演習や測量に使われていたのかも」と気になっていました。
そこで今回、少し調べてみました。
佐世保市の資料と国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)の記録をたどったところ、この構造物は佐世保要塞の「規正標柱」であることがわかりました。測距機器(距離を測る機械)の精度を修正・確認するために設置された基準点で、今となっては貴重な近代化遺産です。
さらに驚いたことに、建設に関する公文書も残っていました。

その日付は明治33年(1900年)。今から126~127年前です。
浮瀬小島の小さなコンクリート標柱は、日露戦争前夜の時代に建てられ、120年以上にわたって潮風と波に耐えながら、今も同じ場所に立ち続けているのです。
何気なく眺めていた小さな構造物でしたが、その背後には佐世保軍港の歴史が残されていました。
■ 浮瀬ポイント、地形のミステリー
1本目はこの浮瀬小島から西に離れたところ。水深は5~20mくらいで、複数の岩場と谷間からなる地形です。ここはウミトサカなどのソフトコーラル系が多く、谷あいにはいろんな魚やウミウシなどに遭遇し、季節によってはそれを狙った回遊魚もやってきます。
この季節、岩場の上にはいろんな海藻が生い茂り、林になってました。この中に産卵したり、餌を狙ったり、休んだりしてるようです。まさに生き物たちのゆりかごですね。
今回は水温は21-22度です。ドライスーツなら平気ですが、ウェットスーツだと辛いかも。流れが少ないためなのか、透明度は5mくらい。景観を撮影するのは難しいですね。私はもちろんドライスーツ。


巨大なミルフィーユが作った地形:地質学で解く谷の正体
浮瀬ポイントは、ほぼ長方形の岩礁が並んでて、その間がまっすぐの谷間になってます。岸壁はほぼ垂直です。谷間もほぼ平行で、谷底は平坦な岩でできています。まるで人工物みたい。この谷なんでこんな形になってるんだろう。




地理に関しては、高校の授業とブラタモリの知識くらいしかありません。謎を解明すべく、AIにも協力してもらいました。
九十九島はリアス式海岸、すなわち河川が刻んだ谷が海面上昇で沈水した地形です。したがって、この岩場は昔地上だったはずです。
私がよく潜る九十九島では、このポイントのように平行に走る谷や垂直に切り立った岩壁が多くみられます。谷底には角張った大きな岩が転がり、壁面には縞模様も見られます。
最初は単なる岩礁だと思っていましたが、写真を見返しているうちに、どうも規則性があることに気付きました。
現在の地質図によると、この地域は砂岩を主体とする地層からできています。浮瀬小島の壁面を見るとわかりますね。
数百万年前、この場所は海や河口付近で、砂が厚く堆積していました。その砂が長い年月をかけて圧縮され、現在見られる砂岩層になったと考えられます。
その後、地殻変動によって砂岩層には割れ目(節理)が生じました。さらに長い時間をかけて雨水や地下水、波浪による侵食が進み、割れ目は次第に広がっていきます。
特に砂岩は均一な岩石ではなく、硬い部分と軟らかい部分が存在します。巨大なミルフィーユをイメージすればいいかな。軟らかい部分が先に侵食されることで、壁面の下部が削られ、やがて上部が崩落します。
その結果、平行に並ぶ谷、垂直に近い岩壁、谷底に転がる角張った岩塊
が形成されたのではないかと考えています。
実際、谷底の岩は丸く磨耗しておらず、近くの岩盤から崩れ落ちたように見えました。これはミルフィーユの一部なんですね。
その後、氷河期が終わると海面は上昇します。
約2万年前の最終氷期には、現在より100m以上海面が低かったことが知られています。当時陸地だった浮瀬小島付近も、低い部分は海に沈み、高い部分だけが島として残りました。
現在私たちが見ている浮瀬ポイントの景観は、そんな遠い過去の地形を見ていると考えられます。
■ 浮瀬ポイント、谷間の景観のミステリー〜潮流が作る生態系
浮瀬ポイントの谷間を探索しているうちに、左右の壁で景観が少し異なることに気がつきました。
左側の壁にはソフトコーラルである大きなウミトサカが多く、崖の上には海藻が茂っています。


一方、右側の壁ではウミトサカは小さめで、下向きに伸びているものが目立ちました。海藻も少なめです。
なぜ同じ谷なのに、こんな違いがあるのでしょうか。

ウミトサカはプランクトンを捕まえて生きています。つまり、餌が運ばれてくる場所ほど成長に有利なはずです。そして、流れに対して最も効率よく餌を取れる方向に枝を延ばします。
そう考えると、景観の違いを作っているのは海流かもしれません。
私はおそらく、この谷では左から右へ流れる潮流が優勢なのではないかと考えています。
流れを直接受ける左側では、崖の付近で乱流が発生し、餌を補足しやすいためウミトサカが大きく育つ。一方、右側では潮の当たり方が異なるためか、小さめで流れに沿うように小枝が下向きに伸びる。。。
もちろん推測に過ぎません。しかし、そう考えると左右の景観の違いがうまく説明できるような気がします。
実は、私の専門である循環器にも似た現象があります。
動脈硬化の原因となるプラークは、血流が弱く乱流が多い場所にできやすいことが知られています。血管の分岐部では、流れが直接当たる側よりも、その反対側に形成されることが多いのです。
血管の中でも、海の中でも、流れが生き物や景観を形作る。奇妙な共通点。。。なんだか不思議。
数百万年前の地質構造が谷を作り、その谷が潮流を変え、その結果として現在の生態系が形成されている。
そう考えると、浮瀬ポイントの景観は地質・海洋・生物が長い年月をかけて作り上げた作品に見えてきます。
■次は生物編だよ
127年前の規正標柱と、数百万年前に始まった地形の物語。その上で、今もウミトサカや魚たちが暮らしている。
最初は撮った写真を紹介するくらいに考えてましたが、第一幕から寄り道しまくって、長編になってしまいました。
ということで、今回のダイビングレポートは連載になります。
次は出会った生き物達です。お楽しみに。
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