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名刺を一枚残らず破り捨てた——小枝守が書かなかったこと

「名刺をくれないか」

1981年の夏、千葉県木更津市。

三十歳の誕生日を迎える直前の男が、二度目の面談に呼ばれていた。

相手は、創立三年目の高校の理事長である。

この日は、妻の同席まで求められていた。

話の途中で、理事長がこう言った。

「小枝さん、名刺をくれないか」

男は答えた。

「ありません」

嘘ではなかった。前の勤め先を辞めるとき、彼は名刺を一枚残らず破り捨てていた。

そのとき、隣に座っていた妻が、すっと手を出した。

「これでよろしければ——」

そう言いながら、夫の名刺を差し出したのである。



何も言われなくても、そういう準備ができる人だった、と彼は後年書いている。

理事長はこの夫婦なら間違いない、と思ったらしい。

男の名は小枝守という。

小枝守監督


ひと月ほど後、彼はこの学校の野球部監督になる。

そして三十三年間、九回甲子園に導き、1992年の夏には準優勝する。

しかしこの日の彼は、名刺を持たない男だった。

なぜ、彼はそれを破り捨てたのか。



「小枝じゃダメだ」


小枝守は二十五歳で、名門・日大三の十二代目監督になった。

1976年8月である。

前任の十一人は、全員が甲子園に出ている。

三年で行けなければ無能と言われる世界だった。

彼は最初に、「水を飲むな」という慣習を捨てた。
アイシングを入れ、ウエートトレーニングを入れ、プロテインを飲ませた。いまでは珍しくない。当時は、そうではなかった。

そのたびに、OBから批判を受けた。

「気合いと根性が足りないから、水が飲みたくなるんだ」

医学的な根拠を並べても、優勝という結果が出ていないという一点で退けられた。

1979年夏、就任四年目。

日大三は十七年ぶりに西東京を制した。

決勝の相手は国学院久我山で、4対2だった。

彼は胴上げされながら叫んでいる。

「バカヤロー」

スタンドには二十人ほどのOBがいた。誰も労わなかった。
優勝した直後に、全員から一人ずつ順番に説教を受けた。

彼は後年、当時こう言われたことを明かしている。

「小枝じゃダメだ」


消えた就職話


このとき、日大三には二十二歳の学生コーチがいた。

左から)小枝守監督、後の小倉全由監督


名を、斉藤全由という。

のちに小倉姓となり、関東一と日大三で甲子園に二十二回出場し、夏の全国制覇を二度果たす男である。

日大三では背番号13の控えだった。
両肩を痛め、本当は野球と決別するつもりで大学に進んだ。

ところが、高校時代のコーチで、その秋から監督に就くことが決まっていた小枝から声をかけられる。

「遊んでいるなら手伝ってくれよ」

当時は先輩の言葉が絶対だった。選択肢はなかった。

学生コーチを務めて四年目が、1979年である。
小倉にとって、日大三の十七年ぶりの夏は、初めて踏んだ甲子園だった。
試合前の外野ノックを任され、そのとき初めて、指導者という道を考えたと語っている。

その年の暮れ、当時の野球部長から声をかけられた。

「斉藤、学校に残れ」

そのつもりでいたから、就職活動もしなかった。

しかし新年度に入って、話が急に消える。

学校が新しい監督を迎えることになり、小倉の就職はご破算になった。

彼はこれを、【最初のこんちくしょう】と書いている。名門であればあるほどOBの発言力は大きい、とも。

コーチ時代、負けの報告に訪れた長老の家で、小枝が正座して頭を垂れる姿を、彼は何度も見ていた。


最後の夏


小枝守が日大三を離れたのは、1981年である。

小枝自身は著書で、【1976年8月から81年3月まで西東京の日大三】の監督だったと記している。

小倉全由も、自著の中で1981年夏の出来事を書いている。

西東京予選で敗れた直後、小枝と自分の解任が、年の離れたOBたちの話し合いで決まったという。

一方、取材記事には、1980年夏前に小枝が監督を辞し、1981年3月に学校を退職したとある。

「1980年夏前」という監督退任の時期だけが、小枝本人の記述とも、小倉の記述とも一致しない。

また、小枝が1981年から拓大紅陵で指揮を執ったことは、複数の資料で確認できる。


したがって本稿では、小枝本人が記した「1981年3月まで日大三の監督だった」という記述を基準にする。

ただし、一つだけ残る。

小枝が書いた「1981年3月まで監督」と、
小倉が書いた「1981年夏の敗戦直後に解任が決まった」は、
同じ1981年でも時期が異なる。

監督を退いた時期。学校を退職した時期。
そして、解任が決まったとされる時期。

これらがすべて同じ出来事を指しているとは限らない。

確かなのは——

1981年、小枝守は日大三を離れた。


願いと、意地


ここまでの話は、こう要約できる。
若い監督と、その下で学んだ学生コーチが、名門を離れることになった——

しかし、この人物には、もっと分かりにくい部分がある。


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過去の記事や書籍、集めてきた資料を何度も読み返しながら執筆しました。 記録の裏にある高校野球の物語を、少しでも立体的に伝えたいと思っています。 「読んでよかった」と感じていただけたら、チップでの応援をいただけると嬉しいです。 今後の取材・執筆費に使わせていただきます⚾️