天使たちと歩いた15年─医療的ケア児と家族を見つめて
「私しかこの子を守れない」—そう思いながら、母たちは夜を越えてきた。
医療的ケアのある子どもと家族のそばに、15年間、静かに寄り添ってきた看護師の記録です。
あなたは、「生きる意味」について、立ち止まって考えたことがありますか?
答えを探すたびに、私は子どもたちのまなざしに出会ってきました。
私は今、「ひだまりの家」(仮名)という多機能型通所支援施設で、看護師として働いています。
医療的ケアが必要な重い障害をもつ子どもたちと、家族の暮らしを支える現場です。
気がつけば、ここに勤めて15年が経ちました。
たくさんの親子と出会い、別れ、笑い合い、泣き合いながら、ただただ“そばにいること”を大切にしてきた日々でした。
これは私自身の物語ではありません。
子どもたちと、その家族の人生を、静かに見つめ、そっと寄り添い続けてきた看護師としての、ひとつの記録です。
子どもを受け入れられない母たち
ここに来る親たちは、最初から子どもを「天使」だなんて思っていません。
医療的ケアが必要な子。 表情がない子。 抱っこを嫌がる子。 何度話しかけても、目も合わない子。
「かわいいと思えない」 「こんな風に産んでしまってごめんね」
そんな言葉を何度も聞いてきました。
それでも、お母さんたちは、毎日子どもの顔を見て、おむつを替えて、吸引して、注入して、夜中の呼吸の確認をして。
その繰り返しのなかで、だんだんと、少しずつ、子どもとの距離が変わっていく。
私たち看護師ができることは限られています。 “そばで一緒に泣くこと”しかできない日もありました。
孤独と、医師の一言
ある日、ひとりのお母さんが、買い物に出かけたはずなのに、うちの施設の駐車場に来ていました。
「なんかここに来ちゃった」と言って、しばらく一人で泣いていたそうです。
前の日、お母さん自身が体調を崩して病院に行ったとき、医師にこう言われたそうです。
「何でこんなになるまで放っておくんだ!子どもは預ければいいんだ!」
その言葉に、お母さんは、自分の努力ごと、否定されたように感じたのでしょう。
でも私たちは知っています。
そのお母さんが、どれだけ自分を削って、子どもを支えていたか。
自分の体調なんて、いつも後回し。
「私しかこの子を守れない」という気持ちで、夜も眠れぬ日々を過ごしていたのです。
だからこそ、その一言が、心に突き刺さってしまった。
「私の頑張りって、間違ってたのかな…」
そんな風に、自分を責めてしまう。
そうやって、少しずつ心が疲れていってしまうのです。
だから、私たちは何も言わず、ただ隣に座っていました。
「あなたの頑張りは、ちゃんと見えているよ」と、ただその想いだけを込めて。
命と向き合う覚悟
体調が安定している子なんて、ほとんどいません。
小さな頃は、入院と退院を繰り返し、そのたびに、死について考え、覚悟をしてきた親たち。
でも、子どもたちは生きるんです。
死を覚悟したその先に、生き続ける子どもの姿がある。 そのことが、どれだけ奇跡かということを、ここでは日常として経験します。
笑顔を取り戻す親たち
ある日、フラダンスの発表会がありました。
子どもたちは車椅子に乗ったまま、あるいは寝たまま、でもみんなと同じ衣装を着て参加します。
お母さんたちは、まるで太陽のように輝いていました。
「この子たちは、みんなと一緒にいられるんだ」
その想いが、涙になってあふれます。
りゅうくんの話
りゅうくん(仮名)は、脳がほとんどなく、眼球もない子でした。
体を起こすだけで、モニターがピーピー鳴る。 人工呼吸器が命を支えていました。
だけど、みんなで少しずつ体を起こしていきました。 そして、最後にはクッションチェアに座れるようになり、ボールサーフィンという遊びに参加できるまでに。
その動画を見たお母さんは、私にこう言ってくれました。
「彼の人生に、楽しみがあったなら、それだけで嬉しいです」
私の実況する笑い声が入った動画を見て、お母さんは笑っていました。
親たちの“横”のつながり
私たちにできない支援をしてくれるのが、同じ親同士のつながりです。
私たちには理解しきれない悲しみや孤独を、母たちは、言葉にならない形で分け合っています。
旅立ちの時
別れの時は、思いがけず突然やってきます。
お昼寝から目覚めなかった子。 風邪をひいたと思ったら、翌朝には静かに息を引き取っていた子。
あるお母さんは、「眠るように旅立ってほしい」と言っていました。
その願いどおりに旅立った子の戒名には、「愛」や「天使」という言葉が入り、
「戒名がキラキラネームなのよ」と笑っていたお母さん。
悲しみの中にも、確かな愛がありました。
看護師としてではなく
私自身も、過去には体調を崩し、うつになったことがありました。
でもそのとき、お母さんたちは、七夕の短冊に「〇〇さんが元気になりますように」と願ってくれていた。
支えていたつもりが、支えられていたのは、私の方だったのかもしれません。
おわりに
意思表示が難しい子どもたち。 でも、まぶたの動き、呼吸、脈拍、すべてで気持ちを伝えてくれます。
命が、そこに確かに咲いている。
彼らは、私たちに「生きる意味とは何か」を問いかけてくれている気がします。
私は、これからも、静かに、でも確かに、そばにいる看護師でありたいと思っています。
