真・恋愛無双 武元唯衣
真・恋愛無双シリーズ『独占予定。』
第一話:遭遇(○○視点)
その日は、朝からひどい土砂降りだった。
夜の九時。塾の自習室が閉まる時間になってようやく雨は上がったけれど、濡れたアスファルトが街灯の光を反射して、夜道をいつもより不気味に照らしている。
「はぁ、疲れた……」
重い参考書が詰まったリュックを背負い直し、僕は駅へと続く寂しい路地を歩いていた。
早く帰って寝たい。そう思って、普段は通らない近道の高架下に入り込んだ時だった。
「な、なんですか……! 離してください!」
前方から、緊迫した女性の声が聞こえた。
驚いて目を凝らすと、街灯の薄暗い光の下で、一人の女性が数人の酔っ払った男たちに囲まれて、腕を掴まれているのが見えた。
女性は綺麗に整えられたオフィスカジュアルな服装で、どう見ても仕事帰りの会社員だ。
必死に拒絶しているけれど、体格の違う男たちに囲まれて、怯えているのが遠目からでも分かった。
(どうしよう……。警察に電話、いや、でもそんな時間……っ)
僕はただの高校生だ。
喧嘩なんて一度もしたことがないし、体格だってごく普通。足はガクガクと震え、心臓が耳の奥でうるさいくらいに脈打っている。
だけど、怯える女性の姿を見て、そのまま見過ごして逃げることなんて、僕の性格上どうしてもできなかった。
「お、おい! 何してるんだ!」
震える声を必死に張り上げて、僕は男たちの間に割って入った。
自分でも驚くほど不格好な割り込み方だったと思う。
男たちは突然現れた制服姿の僕に一瞬怯んだものの、すぐに鼻で笑って僕の胸元を突き飛ばした。
「あ? なんだお前。ガキはすっこんでろよ」
「っ、関係ないやろ、ボウズ」
突き飛ばされた衝撃で地面に尻餅をつきそうになりながらも、僕は踏みとどまり、女性を自分の背中に庇うようにして立ちはだかった。
「関係あります! ここ、防犯カメラありますから! すぐに警察も来ます!」
実際にはそんなものがあるかどうかも分からなかったけれど、僕はスマホを握りしめて必死に睨みつけた。
僕のあまりの必死さと、面倒な事態を察知したのか、男たちは「チッ、シケてんな」「行くぞ」と吐き捨て、ふらふらと去っていった。
嵐のような沈黙が訪れる。
男たちの姿が見えなくなった瞬間、張り詰めていた糸が切れて、僕の膝ががくがくと激しく震えだした。
「あの……大丈夫ですか?」
振り返って声をかけると、彼女は驚いたように目を見開いたまま、僕を見つめていた。
整った顔立ち。少し大人びた、でもどこか人懐っこい雰囲気のある綺麗な人だ。
彼女は小さく息を呑むと、それまでの怯えた表情から一転して、ふわりと柔らかい、温かい笑顔を咲かせた。
「……うん、大丈夫。君が助けてくれたから。ほんまに、ありがとうね」
その優しくてどこか色っぽい関西弁と、間近でふわっと香った甘い大人の香りに、僕は一瞬で頭が真っ白になってしまった。
「あ、いえ……! 助かって良かったです! 僕、もう行きますね!」
恥ずかしさと緊張が限界に達し、僕は赤くなった耳を隠すように、足早に去っていった。
これが、僕と武元唯衣さんの、すべての始まりだった。
それからの日々は、まるで何かに導かれるようだった。
塾の行き帰りに使う駅前のコンビニで、お気に入りの炭酸飲料を買おうとすると、なぜか決まって彼女がいた。「あ、○○くんや! 奇遇やねぇ」と、いつも喉が渇くタイミングで、まるで見透かしたように現れる。
「○○くん、お疲れ様。はい、これあげる」
「えっ、いいんですか?」
「うん。頑張っとる男の子には、ご褒美が必要やからね」
そう言って彼女から手渡される缶ジュースは、いつも僕が好きな銘柄だった。
他愛もないお喋りをして、彼女がふふっと優しく笑うたびに、胸の奥がくすぐったいような熱を帯びていく。大人っぽくて、綺麗で、それなのに僕みたいな年下に飾らず接してくれる親しみやすさ。
気づけば、一日中、彼女のことばかり考えていた。
今日は会えるだろうか。あの笑顔をまた見られるだろうか。
恋愛経験のない僕は、そんな淡い期待を胸に抱きながら、完全に彼女の存在に惹き込まれていった。
そんなある日の、塾の帰り道。
駅前のロータリーを通りかかった時、僕はまたあの耳に馴染んだ関西弁を耳にした。
「あはは! ほんまですか? それめっちゃ面白いですね!」
声のする方を向くと、そこには仕事帰りらしい唯衣さんがいた。
何気なく見せた横顔が、ハッとするほど綺麗で大人びている。
でも、彼女の隣には、仕立てのいいスーツを着た背の高い男の人が立っていた。同僚らしきその男性と、唯衣さんはとても楽しそうに、距離を縮めて笑い合っている。
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
胸の奥が、なんだか冷たくて重いモヤモヤで満たされていく。僕が必死になって震えながら助けたあの夜とは違って、彼女の隣にいるその男性は、大人の余裕に満ちていて、あまりにもお似合いに見えた。
やっぱり、僕みたいな子供じゃダメなんだ。
制服姿の自分が急に惨めになって、僕は逃げるようにその場を去ろうと足を向けた。
その時。
「あ、○○くん!」
人混みの中から、唯衣さんが僕の名前を呼んだ。
振り返ると、彼女は隣の男性に小さく頭を下げると、ヒールの音を響かせて迷わず僕の方へと真っ直ぐ駆け寄ってきた。
「やっぱり○○くんや! こんなところで会うなんて偶然やね!」
「あ、えっと……唯衣さん。お疲れ様です……」
嬉しさの反面、さっきの男性との仲睦まじい姿が頭をよぎって、うまく笑顔が作れない。
そんな僕の様子を、唯衣さんは少し意外そうに、でもすぐに何かを察したように、ふふっと楽しげに微笑んだ。
「もしかして、うちが他の人と一緒やったから、気ぃ遣って帰ろうとしちゃった?」
「えっ!? い、いや、そんなわけじゃ……っ」
「いいんよ。仕事の話はもう終わったから、あそこの男の人は関係ない。それより、うちは○○くんに会えてめっちゃ嬉しい」
彼女はそう言うと、当然のように僕の隣にピタリと寄り添った。
先ほどの男性のことなど、まるで最初から視界に入っていなかったかのように、僕だけを見つめている。
彼女が、あの完璧な大人な男性よりも、僕のことを優先してくれた。
その事実が、僕の胸を痛いくらいの喜びでいっぱいにした。彼女が隣にいてくれるだけで、さっきまでの冷たいモヤモヤが嘘のように消えていく。自分の中で、彼女への「好き」という気持ちが、もう引き返せないところまで膨らんでいるのを自覚した。
「○○くん、ちょっとネクタイ曲がってるで?」
「あ……」
唯衣さんが一歩、僕の体に触れるほどの距離まで踏み込んできた。
彼女の手指が僕の制服の襟元に滑り込み、あの雨上がりの夜と同じ、甘くて少し毒のあるような大人の香りが一気に鼻腔をくすぐる。心臓がうるさいくらいに暴れ出す。
ネクタイをゆっくりと整えながら、彼女は僕の顔をじっと見つめていた。
いつも通りの優しいお姉さんの笑顔。なのに、その瞳の奥には、僕をどこにも逃がさないと決めているような、ひどく熱く暗い光が揺らめいている。
ゆっくりと、彼女の顔が僕の耳元へと近づいてきた。
触れそうなほど近い唇から、甘く湿った吐息が鼓膜に直接吹きかけられる。
「――いつでも連絡してな♡」
「っ……!」
ゾクッと背筋に甘い悪寒が走る。
僕が息を呑んで硬直している間に、唯衣さんの指先は僕の制服の胸ポケットへと滑り込んでいた。かすかに指先が胸元に触れる感覚に、頭がどうにかなりそうになる。
指が抜かれたあと、そこには彼女のパーソナルな連絡先が書かれた小さなメモが、私の体温を吸い上げるようにして残されていた。
「○○くん、またね。ちゃんと気ぃつけて帰るんやで」
彼女はいたずらが成功した子供のように微笑み、手を振って、赤くなった耳を隠すように足早に去っていく僕の背中を見送っていた。
第二話:予定(唯衣視点)
角を曲がってその姿が完全に見えなくなった瞬間、私ははぁ、と熱い吐息を漏らして、自分の顔を両手で覆った。
「……あかん、まだダメや。まだダメ♡」
きゅっと唇を噛み締めて、胸の奥で暴れそうになる情欲を必死にこらえる。
本当はね、今すぐ○○くんをどこかに連れ去って、めちゃくちゃに甘やかして、めちゃくちゃに襲い尽くしちゃいたい。
でも、年上の私がそんなはしたないこと、まだできるわけないやん。
まだ制服を着てる彼を前に、大人の理性を総動員して、なんとか「優しいお姉さん」を演じきってる私の健気さ、誰か褒めてほしいくらい。
でも、あんなに可愛い姿を私の前で見せてくれるんやもん。
高校生の今でこれなら、もう少し大きくなって、本当の大人になる頃にはもっとかっこよくなるんやろうなぁ……。
「……あかん、楽しみすぎてもう待てへんわ、ほんま」
想像しただけで身体の奥がカッと熱くなって、ゾクゾクした震えが止ない。
みんな私のことを「明るくて、ノリが良くて、面倒見のいいお姉さん」って言う。
会社の同僚も、さっきの男も、みんなそう思ってる。
でも、そんなわけないやん。
私、興味のない男の子の塾の終わる時間なんていちいち調べへんし、駅前やコンビニで「偶然」を装って何度も待ち伏せしたりせえへん。
あの雨上がりの夜、酔っ払いに絡まれていた私を、震える足で必死に守ろうとしてくれたあの瞬間から。
私は、○○くんっていう最高に誠実でピュアな男の子に、完全に心を奪われてたんやから。
今日の私の会社の同僚だってそう。
遠くから○○くんが歩いてくるのが見えたから、わざと距離を詰めて「男の人と親しげに歩く私」を見せつけた。
可愛い○○くんの中に眠る嫉妬心を、ぐちゃぐちゃに煽ってあげるために。
結果は、大正解。
あんなに分かりやすく、苦しそうな顔をして私を見てくれるなんて。
愛おしすぎて、その場で抱きしめてしまいたくなるのを理性で必死に抑えたくらい。
ネクタイを整えるフリをして、私の香りと、私の体温を、彼の若い身体にたっぷりと刷り込んであげた。
大人相手に、一生懸命男らしくあろうと背伸びしてくるの、ほんまにたまらん。
もっと困らせたい。もっと照れさせたい。
私のあげる刺激と優しさで、私以外の女性の味なんて一生知らんくていいくらい、うち以外見れへんように囲い込んであげる。
焦る必要なんてどこにもない。
○○くんの初めての恋も、初めてのドキドキも、これからの“初めて”は全部、私が綺麗に管理して、ぜーんぶ私のものにするんやから。
「大丈夫」
「○○くんの“初めて”、全部うちが幸せにしたるから」
私はバッグからスマホを取り出し、画面を開く。
カレンダーアプリに同期されているのは、○○くんの塾の予定や、彼の毎日のスケジュール。
彼が知らないうちに共有設定をさせてもらった、私だけの秘密の羅針盤。
びっしりと埋まった彼の予定を指先で愛おしそうになぞりながら、ふふ、と笑みが漏れる。
次に「偶然」出会う曜日も、どこで彼を捕まえるかも、もう全部私の頭の中で決まってる。
初恋の獲物を前にして、愛しさと独占欲で頭がおかしくなりそうな女の子の顔のまま、私は画面をそっと閉じた。
「はぁぁ……やっぱり、今度会った時に襲ってしまおうかなぁ……♡」
――うちの可愛い、可愛い、○○くん。
