ゆずり葉
あらすじ
古くから子孫繁栄の縁起物として扱われてきた「ゆずり葉」。近頃、次世代に地位や立場を譲らずに現役のポストに居座り続ける権力者たちが、ある日突然「ゆずり葉」を受け取って、行方不明になるらしい。怪談系動画配信者ホナミンこと穂波は、この現象を「ユズリ」と名付け、その正体を追いかける。ユズリが発生しそうな会社「夕日印刷」に就職し、特にユズリに合いそうな76歳の谷崎の部下となった穂波。谷崎を通してユズリの真実に迫るため、協力者の金城と共に怪異に切り込んでいく。
本編(読み切り)
ゆずり葉を受け取ると、受け取った人は行方不明になる。
ゆずり葉を送り付けられてしまう人は、いわゆる老害と呼ばれる人だ。次世代に地位や立場を譲ることなく、いつまでも現役のポストについている。次世代は老害が席を空けないから、いつまで経ってもヒラだし、下の世代も権利を主張するため、なんならヒラ以下の宙ぶらりんの状態に置かれている。それでも生活をするためには金がかかるし、文化的な生活を維持するためにも仕事が必要だ。だから不当に虐げられたとしても、窓際席でネットサーフィンをしたり、営業車で居眠りをしたりして、各々のやり方で難をしのぐ。多少貧乏でも気楽だから良いと自分を騙し、老人の退場を今か今かと待ち続ける。
そんな人々の声を聞いたのか、ゆずり葉はある日突然現れる。対象者の自宅に送られてきた例や、会社のデスクに置かれていた例。果ては、満員電車で気付いたらカバンに差し込まれていた、という者もいる。受け取った者は、なぜか揃って律儀に、ゆずり葉を受け取ったことを周囲に宣言してから失踪する。FaceBookで調べると、ゆずり葉の投稿を最後に更新が途絶えたアカウントを確認できる。子、孫世代がInstagramに投稿し、バズることもしばしばあった。だが次第に、政府が発表した行方不明者リストから個人を特定できるようになったため、大体的に拡散することはタブー視されるようになった。
私はこの一連の動きに“ユズリ”と名付け、好奇心の赴くままに情報収集に勤しんでいる。これは本業の仕事ではない、私は怪談系動画配信者だ。平日は仕事の合間にSNSで怪異の情報を仕入れ、オフの日にはそれを動画編集してYouTubeに投稿する。週に2回、ライブ配信も行い、リスナーからも怪異の情報を仕入れる。今はまだリスナー数は3桁で細々としたものだが、動画が爆発的伸びればもっと怪異の情報が集まるはずだ。怪異は、なぜか似たような現象が日本各地で起こる。今の時代だとSNSが発達しているから、日本全国で怪異が同時上映されてもさして違和感はない。実際、発信力のあるインフルエンサーに影響された事例も見た。しかし、電波のなかった過去の文献を調べていると、類似性のある怪異が日本各地で伝承されていることが分かる。このように、テクノロジーで証明できない怪異とは摩訶不思議な存在である。だが私は、霊的な存在は信じない性格だ。謎めいた怪異にも、きっとなにかカラクリがある。だから今回のユズリが各地で確認された時は、胸が高まった。現代に現れた怪異を、この手で暴いてやる。この熱意が私、穂波の動画投稿者と会社員の二足わらじ生活を突き動かしている。
***
会社員生活は窮屈だ。常に人目を気にしながらタスクを片付ける必要がある。客先や委託先に気を配りつつ、社内の上司のご機嫌も伺わなくてはならない。幸い私に部下はいないから、下からのパワハラ告発に怯える必要がない。定時できっちり帰れるし幾分かマシな環境なのだろうが、私にはいささかつまらない。
私は元々、コンビニバイトと動画投稿の収入で生計を立てていた。動画投稿の収益は悪くないし、深夜シフトの時給額もバカにできない。アルバイト先の立地は大変よく、コンビニから国道一本で心霊スポットにアクセスできる。さらに深夜シフトに入れば、心霊スポットから逃げ帰った者の話が聞ける。そこで聞いた体験談を肴にライブ配信をするから、私にとっては天職である。それでもあえて正社員に就職した。その理由は言うまでもない。ユズリにこの身で立ち会うためだ。
ユズリは基本的に、高齢者の身に起こる怪異だ。政府が作ったユズリによる行方不明者リストの9割を70代以上の高齢者が占めている。例外的に、大学生が卒業後もバイトリーダーの地位に縋り付いてユズリに合った事例もあるらしいが、ごく稀だ。
私の勤めるコンビニのスタッフは、私と店長以外すべて大学生である。ここでユズリが起きる可能性はほぼ0だと言っても良い。大学を卒業してから2年近くバイトリーダーを務めた場所だから、ここを立ち去るのはひどく後ろ髪を引かれる思いだった。でも私は、動画配信者としてより成長するために、ユズリの起こりそうな職場環境に身を移すことを決意したのだ。
私の動画を見てくれているリスナーに、高齢者が多数在籍する会社を募集したところ、「夕日印刷」という会社が適していた。金城という、先月ここを退職したばかりのリスナーのタレコミだ。社員は60~70代で構成され、特に76歳の谷崎という男が“ユズられ”そうなエピソードを抱えているらしい。ちょうど求人情報も出ていたから、これはユズリのお導きと考えて間違いない。さっそく私は金城にアポイントメントを取り、就職活動に勤しんだ。果たして私は夕日印刷に迎えられ、目論見通りに谷崎の部下に潜り込めたのだ。
***
谷崎の仕事ぶりは実に杜撰だ。例えば、商品の単価をその日の気分で決めてしまう。一応会社だから、公式の単価表自体は存在する。なのに、私がその規定に則って見積書をこしらえると、谷崎は顔を真っ赤にして怒り出してしまう。
「この依頼主は付き合いが長いから、端数は全部切り捨てろ。」
という日もあれば、
「今回は特別な紙を使った印刷だから、10円値上げしろ。」
という日もある。私はその都度Excelに書き残し、谷崎が以前出した指示にも忠実に従うようにした。正直私は、ユズリを目撃したらさっさと退職するつもりだ。だから私の後任者が苦労しないようにと考え、早々に引き継ぎ資料を作り始めていたのだ。
谷崎は私が資料に残すことに対して、強い嫌悪感を示した。谷崎が欲したのはツーカーで指示が通る聡明な部下ではない。谷崎はその場の思い付きで出した指示で、他人が右往左往する様が見たいのだ。右往左往させた末に、
「谷崎さん、助けてください。」
と、頼りにされたい。自分の支配欲さえ満たせれば、仕事が滞ってもなんら問題ないと考えているようだ。
谷崎は単価設定だけではなく、営業業務に関する資料やノウハウも一切残さない。私が走り書きでメモを取ることにも、良い顔をしない。谷崎本人がいなければ仕事が回らない状況を、谷崎は長い年月をかけて築き上げてきた。本来仕事のできる人間を踏み台にして、混乱する現場で颯爽と問題を解決していく。そういったマッチポンプできる環境が、この夕日印刷で完成されていたのだ。
私はその事実に気が付くのが遅すぎた。黙々と業務内容をExcelに残して、仕事をマニュアル化してしまう人間は、谷崎の天敵だ。谷崎の機嫌が悪くなれば、回りまわって社長に被害が向くらしく、同僚も手を焼いている。谷崎の敵は会社の敵だった。金城がどういう事情で退職したのか知らないが、転職を決めたのは英断だ。
やがて谷崎はExcelを過度に怯えるようになった。緑色のモックアップが画面の中心に見えた時点で、
「そんなものはいらん!全部俺の頭に入ってる!」
と、私の顔の横で怒鳴りだす。Excelは顧客管理以外にも使われているツールだが、谷崎にはそれが理解できない。Excel=谷崎の地位を揺らがすものとなり、私以外の同僚にも飛び火するようになった。それからほどなくして、私のExcel使用が正式に禁止される運びとなった。私だけは今後、見積書や伝票は手書きで作成するように、と社長からお達しがあったのだ。谷崎は営業先に一人で出向くようになり、私はぼんやりと終業時間まで待つことしかできなくなった。
***
谷崎の部下になって3年が経過した。肝心のユズリはまだ起こらない。
入社当初は積極性が大事だと思っていた。谷崎の担当顧客をすべてかっさらう仕事ぶりを見せ、谷崎の不当性を社長とユズリにアピールしたつもりだった。事前に谷崎は後任に仕事を一切譲らないと、金城から聞いていた。だから、谷崎の後任が務まることを売上という分かりやすい数字で示せば良いと私は考えたのだ。それなのに結局は、ただ私のボーナス額がほんの少し増えただけ。パワハラの件だって、社長や同僚は無関心を決め込んでいる。社員のSNSは全員フォローしたが、谷崎がゆずり葉を手にしたという話は一向に聞かない。
金城から谷崎の人柄を事前に聞いていたが、谷崎という男は私の予想を遥かに上回っていた。いくら想像力を凝らしたところで、所詮私は大学を出たばかりの二十数歳だ。76歳の年長者の思考回路を予想し、共に仕事をするなど限界があった。私は入社半年ですっかりパワハラの標的となり、毎日息をひそめ、谷崎の機嫌を窺いながら仕事をする羽目になった。
窮地に陥った私の心の支えは、動画投稿だ。大学1回生の頃からずっと、火・金曜日の21時にライブ配信をしている。ライブ配信ではいつも怪異の話をしている。私が仕入れてきた情報を話せば、それに付随して新たな情報がリスナーから送られてくる。(金城が夕日印刷のことを教えてくれたのも、この配信中でのことだ。)最近は新たな怪異情報を仕入れる体力が無いから、話題が怪異と谷崎の愚痴の半々になってしまっている。
金城が言うには、谷崎を辞めさせる動きは16年前から続いていて、その間13人が心身を病んで退職したそうだ。
「それ、もはや谷崎氏そのものが怪異じゃん。」
ライブ配信で金城のコメントを読み上げ私がそう発言すると、いくつか色付きのコメントが飛んできた。色付きのコメントは金銭を払って投稿したコメントの証だ。昔めいて言うなら「おひねり」というやつだろうか。とにかく、今の発言がリスナーにウケたと考えていい。私の発言がお金に化ける瞬間は、いつになっても慣れない。私は芸能人でも、政治家でもない、ただ怪異が好きな一般人だ。それも、バイト中に聞きかじってきた噂話。専門書を読みこんだ怪異の研究者の言葉でもない。そんな人間の一言一句が、金という揺るぎのない価値に変換される。金という絶対的な価値と、不安定な私の言葉。もっと配信者としての人気が出れば、こんな不安も消えるのだろうか。
***
黙って就業時間まで座って待つ生活に、とうとう我慢の限界を迎えた。もうこうなっては、ただユズリを待っている場合ではない。私から直々にゆずり葉を谷崎にプレゼントしてやろうと考えた。
ライブ配信でリスナーに計画を募集しようとして、私はふと「自作自演」という言葉がよぎり、思いとどまった。そうだ、怪異を愛する私に「自作自演配信者」のレッテルが貼られることは何としても回避しなければならない。会社でコケにされる分にはまだ我慢できるが、怪異を愛する私というアイデンティティを汚されることだけは断じて許せない。
でも、谷崎を懲らしめてやりたい気持ちは収まらない。夕日印刷でユズリが起こるはずだと判断した、私の審美眼も証明してやりたくて堪らない。この欲求を満たすには、やはりどうしても、谷崎がユズリに合うしかない。行き詰った私は、金城に電話を掛けた。
金城とは、夕日印刷に入社を決める前に一度会っている。夕日印刷や谷崎が本当に実在するものなのか、また金城の証言にどれほどの信ぴょう性があるのかを確かめるためだ。
会ってみると、金城は柔らかさの中に筋の通った正義感を併せ持つ女性で、非常に誠実な印象を受けた。私が正直に、金城のことを疑ってしまったと白状すると
「まぁ、ウソみたいに変な会社ですからね。疑われても仕方ありません。」
と、彼女はくすっと笑って答えた。私はその時見た金城の細いまつ毛が忘れられなくて、仕事が始まってからも、なにかと理由をつけて定期的に会っている。金城のアパートと夕日印刷のだいたい中間ポイントにある喫茶店で落ち合い、私はそのまつ毛を眺めながらブラックコーヒーを飲む。ユズリや谷崎の件が無ければ、まず得られなかった関係だと思う。
コール音が2回鳴り、金城が電話に出た。
「金城さん、今いいかな。ちょっと相談があるのだけれど。」
金城はちょうど退勤したところだったから、私は件の喫茶店に向かった。席に着き、いつものようにブラックコーヒーを頼んで待つ。しばらくすると、スーツ姿の金城が現れた。
「お待たせしてすみません。……あの、谷崎のことでなにかあったのですか?」
金城の伏しがちなまつ毛がこちらを向く。今日はマスカラを塗っていないようだが、それでも充分長くて綺麗だ。私は、ユズリを自演しようとしている旨を金城に話した。
「それは確かに、自作自演で炎上騒ぎになりかねないことです。リスナーとして、それは絶対に避けて欲しい。ただ、私にも谷崎に恨みがあります。念入りに計画すれば、もしかしたら完遂できるかもしれません。私にできる事であれば協力させていただきます。」
「ありがとう、君ならそう言ってくれると思ったよ。」
金城と私は、手始めにゆずり葉をネットショッピングで購入し、計画を練り始めた。
ここで、ゆずり葉について説明しておきたい。
ゆずり葉は、ユズリハ科ユズリハ属の常緑樹だ。葉の付け根は赤く、細長い葉をつける。漢字では「楪」や「杠」、「譲葉」、「弓弦葉」と書く。梅雨入り前に若葉が出始めるが、古い葉はまだ落ちない。秋頃にかけて若葉が出揃うと、古い葉がまるで場所を譲るかのようにハラリと落ちていく。その様子が、子どもの成長を見届ける親のような様を想起させ、子孫繫栄の縁起物として元来扱われてきた。地域によっては正月飾りにも使われていて、かがみ餅の下に葉を敷いたり、しめ縄に取り入れられたりしている。
ユズリは、こういっためでたい風習を逆撫でする怪異だ。ユズリが各地で確認され始めた頃は、突然ゆずり葉が現れることは吉兆の兆しだと思われていた。とあるニュース番組だと、「今日のゆずり葉さん」というコーナーまで用意されたほどだ。だがそれも、ゆずり葉を受け取った人間が次々と行方をくらませるようになって、すぐに廃れた。政府が慌てて調査部を組織して原因解明に乗り出したが、今のところ行方不明者リストが公開されただけだ。
「ホナミン、魚有さんとは上手くお仕事できてますか?」
ホナミンとは、私の動画内での名前だ。私は男だが、女性のアバターを使って発言している。そのせいか、ホナミと名乗っているのにホナミンと呼ぶリスナーが一定数いる。金城もその一人だ。私は正直、金城には名前で呼んで欲しい。
「魚有さんとは、そこそこかな。一度、扇町営業所まで車に乗せていってもらったくらい。魚有さんが作戦のキーマンになるの?」
金城は頷き、自信満々に続ける。
「魚有さんは社歴が谷崎の次に長い。谷崎の弱みも知っています。それに魚有さんならきっと、職場環境の改善にも協力してもらえます。」
「随分と魚有さんを高く評価するね。君は谷崎の部下だったよね、どうして核心を持ってそう言えるのだろう。」
私はつい意地悪な聞き方をしてしまう。魚有が金城から信頼されていることが妬ましい。
「私と魚有さんは、社長の不祥事を暴くパートナーでした。……まぁ私のうっかりミスで、秘密を暴く前に懲戒処分されてしまったのですが。」
社長の不祥事と聞いて、ひとつ思い当たる節があった。私はここ3年間、ずっと売上0円の営業マンとして席を置いている。雇ってもらえるだけ有難いと思って黙っているが、とても社内ニートを雇えるだけ余裕のある経営状況には見えない。恐らく印刷業とは別ルートの出資金があるのだと、今まで自分を強引に納得させていたのだ。それを、金城と魚有は真実を突き止めようとしたのか。
「懲戒処分されたということは、なにか掴めたんだね。もし差し支えなければ、教えてもらえるかな。」
金城はしばらく目を泳がせてから、やがて意を決したように答えた。
「すみません、今はお話できません。魚有さんとの約束ですから。でも、ホナミンと魚有さんに信頼関係が生まれれば、詳しいことをお話しましょう。それより、ユズリの計画に話を戻しましょう。魚有さんの手を借りない作戦を思いつきました。」
私は少々面食らったが、確かに今はユズリの計画が最優先だ。谷崎をユズリに合わせてしまえば、私は夕日印刷を去ってコンビニバイトに戻れる。魚有も社長の不祥事も、もうすぐ私には関係のない出来事となるのだ。
金城が話した計画は、実に単純なものだった。谷崎は15時になると必ずコーヒー休憩に入る。その際に女性社員が交代で茶請けを差し入れるのだが、その菓子の下敷きにゆずり葉を仕込むという算段だった。
「魚有さんの協力があれば、協力的な女性社員と、ゆずり葉を仕込む隙を用意できるのですが……仕方ありません。ホナミンが手品を覚えて、なんとか上手く誤魔化してください。」
どう考えても失敗しそうな作戦だが、翌日やっつけで実行してみたら案外成功した。マジックのサブチャンネルでも開設しようかと思うほど、完璧な手付きだった。谷崎はゆずり葉を見つけて仰天し、その日の社内は大騒動だった。
***
なかなかユズリが起こらない。ゆずり葉さえ渡してしまえば自動的にユズリが発生して、谷崎が行方をくらませると思っていたのだが、考えが甘かったようだ。
それにしても、こんなにも谷崎が地位に固執して周囲に迷惑をかけているというのに、なぜユズリが起こらないのか。こんなにも私は、谷崎を追い出すために尽力しているというのに、なぜユズリは私を認めてくれないのだ。
コンビニバイトを辞めたせいで、心霊スポット帰りのタレコミを聴く機会が無くなった。仕事に邁進する分、SNSで怪異情報を追う時間も減った。いつの間にか動画配信の話題が、谷崎の愚痴ばかりになる。以前なら、自分が面白いと感じたリスナーのコメントを追うだけでよかった。それなのに今は、どのコメントもあまり面白いと感じない。それに、これも以前なら有り得ないことだけど、どうやら私は同じリスナーのコメントばかり拾っているらしい。金城から注意されるまで、まったく自覚がなかった。金城が言うには、有名でありがちな怪異に関する話題ばかり拾っているとのことだ。
「ホナミン疲れてるから、無意識に馴染みのある話題を欲しがってるんですよ。新しい知識を吸収するのって、体力のある時にしかできませんから。」
いつもの喫茶店に集まり、金城は心配そうな顔で長いまつ毛をこちらに向けている。
「谷崎には充分気を付けてくださいね。あいつはパワハラだけじゃなくて、社内不倫も犯しています。それも、不義の子が1人。」
金城は周囲を警戒しながら、私の目をまっすぐ捉えて言った。以前の、ユズリ自演計画の時には話してくれなかったことだ。私は息をのんで、金城のまつ毛を見つめ返す。どうして、話す気になってくれたのだろうか。私と魚有は、相変わらず挨拶程度の仲だというのに。伏しがちなまつ毛がこちらに向かって広がっている。私はそのまつ毛に向かって聞いた。
「へぇ、それは初めて聞いた。だけど、それってきっとかなり昔の話だよね。よく金城さんの耳に入ってきたもんだ。……いや、キミを疑ってるわけじゃないんだ。夕日印刷の話題はみんな突拍子もないから困るな。」
話している途中で金城のまつ毛がフルルと震えたのを見て、私は慌てて言い訳を並べた。私は窮地に陥るほど沈黙を恐れる癖があって、よく人から“常に余裕がない”と評される。今日もみっともなく、乱雑に、金城に質問を投げかけた。
「社長とか会社の人は、なぜ谷崎を今も雇っているんだろう。不倫相手は今どこに?そうだ、不義の子って言ったって、もう結構いい年齢だよね。それと……あとは、その」
「分かりましたから、順番に。」
金城は手の平をこちらに向けて、凛とした態度で質問を制した。出会ったばかりの頃の金城には見られなかった行動だ。夕日印刷を退職し谷崎の部下でなくなったことで、彼女が本来持っていた自分らしい人格を取り戻したのかもしれない。時間が彼女の心を癒したのか、それとも新しい環境がそうさせたのか分からない。いずれにしても、つらい記憶を私のために呼び起こしてくれる姿が愛おしく感じる。
「社内不倫のことは、会社ぐるみで行われていたことです。不倫相手の女の名前は松島ツバサ、今も扇町営業所にいるはずです。」
「松島ツバサ……受付の事務員の人か、顔は分かる。ちょっとつり目で性格のキツそうなおばちゃん。」
私は御堂営業所から一歩も出ないから、入社初日に挨拶してそれっきりだ。如何にもお局様という空気を纏っていたから、早々に退散した。確かその時、扇町営業所まで案内してくれたのは魚有だ。谷崎は男と二人で車に乗り込むだなんて死んでも嫌だ、といって魚有に私を預けたのだ。
「谷崎と松島ツバサは、仕事中に顔を合わさないようにしているんだね。」
「そうです。谷崎の奥さんがそう約束させたらしいです。」
金城の話はこうだった。
不倫当初、谷崎は松島のアパートに入り浸っていた。谷崎の妻は夕日印刷の玄関口に現れ、連日泣いて谷崎に抗議した。ある時は娘を抱っこひもで抱えて、別の日には息子の小さな手を引いてやって来た。
「お父さん、帰ってきて。」
「いい子にしてるから、ちゃんと勉強するから。」
谷崎の妻と、連れられてきた2人の子どもは、そう言ってワンワンと泣き叫んだらしい。
会社の入り口で泣き喚かれるものだから当然客足は遠のく。売上も、会社としての信頼も目に見えて落ちた。流石に社長も頭を抱え、谷崎に帰宅するよう説得した。だが谷崎は、それでも自宅に帰ろうとはしなかった。
ちなみに営業マンの魚有はその時期を、夕日印刷の新人研修生として立ち会った。一日中泣き声を聞かされ、日増しに神経質になっていく同僚を目撃し、軽くノイローゼになったという。当時の社員は各々の理由で退職し、当時を知る人は魚有ただ一人となった。
谷崎の妻が会社の玄関口に通い詰めて半年経ったころ、松島の妊娠が噂されるようになった。他人の変化に鈍感な者でも分かるほど、腹部が膨らんできたのだ。谷崎もこの機に及んで、ようやく妊娠に気付いたようだった。
「俺は悪い女に騙されていた、本当は自宅に帰りたかった。」
「いち早く子どもに会って、安心させてやりたい。」
と、心にもないことを並べたて、目に見えて慌てふためいていた。
「ここからがちょっと、分からないんです。」
と、金城がため息をついた。
「その後、谷崎の奥さんは谷崎を自宅に連れ戻すんです。そして今も、結婚生活を続けている。2人の子どもは成人して、もう家を出たそうです。」
つまり、谷崎家は平穏を取り戻したのか。谷崎の奥さんは懐が深い。
「それじゃあ、松島のお腹にいた子供は?無事に育っているといいけど。」
「……それが、私の推測でしかないですけど。たぶん、その……夕日印刷の社長の養子に入ったみたいです。」
私は金城の言っていることが理解できなかった。社長の養子?社長が谷崎と松島の子を引き取った?
「……どうして、養子に入ったと思ったの?なにか証拠がある?」
金城は言いにくそうにしているが、内心話したくて堪らなかったようだ。
「まず1つは、松島が社内で一定の地位を確保している点です。そもそも、谷崎と松島の両名を処分するものだと思うのですが、二人とも今では営業部長と経理主任です。谷崎はまぁ、営業マンですから。簡単に処分できない事情があるのも仕方ないです。ただ、松島は元々ただの受付嬢です。言い方は悪いですが代わりの人材、しかも不倫しない倫理観を持つ人間など、いくらでも見つかります。」
「経理主任か……もし私が社長の立場なら、とても会社の金銭管理なんて任せたくないね。そりゃあ、松島が更生したという線もあるから、決めつけたくはないけどね。」
「そして2つめ、松島の子と社長が親しげに扇町営業所に入っていくところを見た人がいます。」
どうして松島の子だと断定できるのか、そう問いかけようとして、ふと思い出す。
「魚有さんか。松島の子を知っているとしたら、あの人しかいない。」
金城は軽く頷いた。
「そうです。魚有さんが気付いて、詳しく調査するようにと私を雇ったのです。……結局、嗅ぎまわっているところを谷崎に見つかってしまったのですが。なんともお恥ずかしい話です。」
雇われた?詳しく聞こうとしたら、金城が軽く咳払いをした。
「会社の売上を脅かした社員同士の間に生まれた不義の子を、社長がどう感じたのかは分かりません。ただ、帳簿を改めたところ、不審な金の動きがあることは事実です。大方、松島と不義の子に流しているとみて良いでしょう。」
金城は続ける。
「谷崎の奥さんは「夫と松島を二度と近づけない、夫から松島に養育費は払わせない」という念書を社長に書かせています。社長にとっても、元彼である谷崎から松島を遠ざけられるし、松島に金を融通する口実ができるから、それで申し分ないのでしょう。もっとも谷崎は、次の不倫相手を探して目をギラギラさせていますが。」
金城の身元が気になるが、ここは目をつぶることにした。
「つまり谷崎どころか、社長にも気を付けろということか。分かった、充分気を付ける。そして、松島の子のことでなにか分かったら、君と魚有さんに教えるよ。」
私が金城と話をしたのは、これが最後だった。金城はこの日の晩にゆずり葉を受け取って、行方をくらませてしまったのだ。魚有から話を聞かされて、私は失望した。金城は私に対して“ゆずり葉を受け取った宣言”をしなかった。彼女にとって私は、ユズリを報告するほどの間柄ではないということだ。なんなら“前職の同僚より遠い関係性の人間”である。
ユズリがこんなに身近で起こったというのに、なにも好奇心がそそられない。金城がユズリに合った経緯や、金城が最後に夕日印刷の闇を教えてくれた理由、考えることはたくさんある。これまでの私なら嬉々としてライブ配信を繋げたはずだ。リスナーがユズリに合った報告をすれば、再生回数はうなぎ登り間違いない。頭ではそう理解しているのに、私は道行く人のまつ毛を眺め、ライブ配信では金城のコメントを探し続けてしまう。
***
「今日からお世話になる、木梨順平です。仲良くしたってください。」
今日から夕日印刷に新入社員が入ってくる。この木梨という男は、私の後任者だ。私はとうとう、夕日印刷を去ることに決めた。理由は言うまでもない。
「穂波クン、いつも疲れた顔してますね。もしかして転職活動、うまくいってないですか?無理せんと、もっとこの会社にいてくださいよ。」
木梨は他人の心に土足で踏み込んでいくタイプだ。谷崎のパワハラに対しても
「あのね、僕は余計な責任を取りたくない人間なんです。僕の売上も損失も、すべて谷崎さんのものです。あなたから名誉を奪うつもりはこれっぽっちもないですわ。」
と言い放ったものだから、谷崎はすっかり気に入ったようだ。15時の菓子当番もすべて木梨が担当すると宣言し、女性社員達は大いに喜んだ。
「これでようやく、谷崎の不機嫌から解放される。」
そう聞いて、私は夕日印刷にきた意味を考え込んでしまう。私はユズリを目撃するためにやってきたはずなのだ。対象は谷崎ではなく金城だったが、大枠の目的自体は果たした。だけどそれは、わざわざ夕日印刷で働かなくても達成できた事かもしれない。
昼食時間を迎え、私はかつて金城と会っていた喫茶店に入った。ブラックコーヒーとナポリタンを頼んで、机に伏せて目を閉じる。いつも以上に疲れた。今日はライブ配信をする日だが休ませてもらおう、SNSで告知しなくては。そう考えて、ふいに顔を上げると、向かい席に木梨が座っていた。
「やっほ、穂波クン。いや、ホナミン。」
木梨は水を片手に、くつろいだ様子で笑った。私の頭は激しく混乱した。
「なんでここに……?というか、ホナミンってなんで。」
木梨は、金城を彷彿とさせる動きで、手のひらをこちらに向けて制した。
「待って待って、お互い1時間後には会社に戻らなきゃいけないでしょ。サクッとご飯、食べちゃおうよ。」
そういって木梨は顔を綻ばせ、手をgoodの形にした。それで私は気付いた。
「料理系動画配信者、じゅんぺー。チャンネル登録者数100万人。どうしてここに?会社員なんてしなくていいだろ。それに、わざわざ私を追いかけて喫茶店まで来なくったって……」
「やっと気付いてくれた~。自己紹介した時に気付いてくれよ、もう。」
木梨の運営するじゅんぺーチャンネルのサムネイルは、必ず手をgoodの形にした木梨が映っている。自分で作った料理をあまりにも嬉しそうな顔で食べる姿が大人気で、世間に疎い私ですら知っている。そんな雲の上にいるような人が、どうして私と喫茶店にいるのだろうか。
「いやね、金城クンに頼まれたんよ。ユズリを追いかける危なっかしい男がいるから助けたってくれって。深追いはあかんよ、ちょっと分からんぐらいが一番不気味でええんや。」
不意に金城と聞いて、私は固まる。
「そんな怖い顔せんでよ、ただのリスナーと投稿者の関係や。金城クンが会いたいって言うから仲良くなった、ただそれだけや。」
確かに金城は、私ともあっさり会ってくれた。でも、彼女は警戒心の強い、賢い女性だ。自分から会いたがるなんて、なにか理由があったに違いない。
私は木梨を睨みつけながら、運ばれてきたナポリタンに手を付ける。まつ毛を見せつけながらパスタをフォークに巻き付ける彼女の居場所は、にこやかにペスカトーレを頬張る木梨に奪われた。私もこれから数日かけて、夕日印刷の居場所を木梨に譲ることになる。まるでユズリを擬人化したような男だ。でも、こんな感想はとてもライブ配信で発信できない。大手配信者を揶揄したら、弱小配信者がどうなるのかわかっている。私の唯一の居場所を守るためには、木梨と穏便な関係でいる他ない。
「それで、私に何をしろと。私は半月後にはここを去る人間なんだ。」
お、分かっとるじゃん。と、木梨は目を細めて答えた。
「父さんが、この会社で知ったことは他言しないようにってさ。金城クンみたいになりたくなければ黙っときって怒ってたで。あと、谷崎は死ぬまで使い潰すから余計なことをするな、とも言うてたわ。」
目、付けられちゃったな。と、楽しそうに笑って木梨は立ち上がった。
「これ、ホナミンの荷物。残りは自宅に郵送しとくわ。あ、住所は分かってるから教えんでいい。ホナミンね、一応動画配信者なんやから、ネットショッピングには気をつけや。」
木梨がカラカラ笑って、喫茶店から去っていった。私が最近ネットショッピングで買ったものは、金城と選んだゆずり葉だけだ。ポストインを指定したから、配達中に郵便物を盗み見された可能性は低い。金城に口を割らせたか、あるいは木梨が出品者だった可能性ぐらいだ。ゆずり葉には微量ながら毒があるから、料理を嗜む木梨が出品者というのは少々違和感がある。いや、木梨が夕日印刷に現れるというイレギュラーが発生した以上、なんでもアリかもしれない。というか、これって。
「私、今日からクビってこと?」
時刻は14時を告げていたが、夕日印刷の社員から連絡は一切なかった。
***
怪異を語るライブ配信は、週1ペースに落とすことにした。
あれからすぐコンビニバイトに舞い戻ったが、気力がまったく回復しない。もう配信するネタが底をつきそうだし、コメントを拾う気力も自信もない。それでも妄信的なリスナーは、雑談でいいからもう一日ライブ配信をしてほしいと熱望した。怪異まっしぐらで生きてきた私からアイデンティティをはぎ取ることが、どれだけ私を否定することなのか、リスナーは理解していない。
リスナーは私の話す怪談話を推したのではなく、私という動画配信者そのものを推したのだ。だから、内容が薄っぺらくても、例え私が谷崎の愚痴を垂れ流したとしても、彼らは「推しのライブ配信に出席した」という点で満足する。なんなら、私を憐れむようなコメントをすることによって、「推しを癒す母親」に成りきる者もいる。母性を“バブみ”と表現し、推している配信者を赤子に見立てるのだ。これまでも、バブみを感じたリスナーがそういうコメントを送ってきたことがあった。私は成人男性だからよしてくれと何度も注意した。女性アバターが悪いのかと思って、実際の顔を見せたこともある。それでも一定数、バブみを主張するリスナーがいる。もしリスナーの要望に従って雑談配信をし、私の弱気な態度を晒してしまったら……。想像するだけでゾッとする。
私の動画更新頻度が落ちて数か月、木梨から電話があった。
「ホナミン、大丈夫か?動画配信者仲間が減るのは、僕の望むところじゃないんやけど。」
木梨は本気で心配していた。一体誰のせいでこうなったと言いたかったが、具体的に木梨の非がどこにあるのか分からないことに気付き、抑えた。
「少し気が向かないだけなんだ。動画にしたいことは山ほどあるんだけれど、いざ編集しているとつまらなく感じてしまって。……木梨さんはお仕事順調?」
すると木梨は、じゅんぺーって呼べよとひとしきり笑ってから、急にしんみりして答えた。
「仕事もなにも、僕は父さんに言われた場所に行くだけでええんや。これやったらホナミンみたいにコンビニでアルバイトしてる方が、きっとずっと楽しい。僕はホナミンが羨ましい。」
「……前から気になってるんだけど、父さんって誰のこと?まさか社長じゃないよね。」
私は思い切って聞いてみた。今日の木梨は前回の様子と違って、年齢相応のナイーブさが感じ取れる。今なら、詳しい話が聞けるかもしれない。
「ホナミンはさぁ、もったいないわ。金城クンと探偵してるのがお似合いだった。そうやで、僕の父さんは夕日印刷の社長。僕を捨てた谷崎から金を吸い取ってくれるイイ人だった。」
「イイ人だった?今はそうじゃないの?」
私は木梨の機嫌を損ねないように気を引き締める。
「そう。今までは僕と谷崎が顔を合わせないように守ってくれたのに。ホナミンと入れ替わりで入社してから、毎日谷崎と仲良しごっこさせられてる。谷崎のやつ、僕が息子やって全く気付かないんだ。気付いてくれなきゃ、復讐が成立しないのにさ。」
木梨は、追い出された私の心境などお構いなしに愚痴を吐く。復讐の内容も気になるが、今はもう谷崎への執着心は和らいでいる。ここで私はカマをかけることにした。
「少し話が変わるけれど、金城はどうしている?」
「金城クンのこと?……はぁ、ホナミンは魚有クンと仲良くしなかったのね。いや、魚有クンが義理堅いのか。あるいはホナミンの人徳か……ウーン、流石父さんが手を焼いたホナミン。」
「木梨さん、なんの話をしている?」
「だからじゅんぺーって呼べや。金城クンは確かね、扇町営業所におる。そこで頑張ってるよ。」
「……じゅんぺー、何を言っているのか分からない。」
「ホナミンは何にも知らないんや。扇町営業所って、行ったことない?そこで人がいっぱい働いてるの、知らん?」
知らない。扇町営業所のことなど、気にしたこともなかった。私は御堂営業所にいて、谷崎のことで手一杯だった。扇町営業所は松島が怖くて近寄りたくなかったし、魚有に詳しい話を聞く必要もないと思っていた。私はずっと、谷崎のユズリを起こすことに全力投球していたのだ。
「扇町営業所に行けば、金城に会えるのか?」
私は掠れた声で聞いた。とにかく金城は生きている。助けに行かなければ。
「僕だって労働区に入ったことないから、ちょっと難しいかなぁ。それにあんまり会わせたくないかも。ホナミンってば、金城クンと出会ったあたりから動画つまらんくなったもん。……そうだ、料理動画取ろうや!僕とコラボしよう!」
突然の提案に驚いたが、私は料理配信をすることにした。詳細は分からないが、金城が木梨の人質状態になった今、木梨の要望通りに動くしかない。木梨によると、“お料理作業配信”はウケがいいらしい。
「自分の部屋がある癖に、わざわざ図書館とかカフェに行って勉強する人がいるやろ?そういう人間を囲い込むんや。監視の目が無いと勉強ひとつできない、そんな人間が作業配信にやってくるもんやで。」
その時私は、私のチャンネルには怪異の話に興味のある人しか来ないと、思わず言い返してしまった。木梨はわざとらしく大きなため息をこぼす。
「そもそもな、その怪異ライブ配信でも既に作業配信扱いしてるリスナーがいると思うで。お前が楽しそうに怪談話する姿を見て、自分も頑張ろって思って勉強してる人もいる。そう考えたら、怪談話してるか、うまそうなメシ作ってるかの差はない、違うか?」
怪異と料理を同レベルで解釈するなと言いたかった。しかし、木梨は料理系ユーチューバー、彼も己のプライドを私の尺度に合わせ話をしている。言い返したところで、私に勝ち目はない。
「分かった、従うよ。でも、具体的になにをすればいいんだ?私に料理に関するウンチクは語れないし、もし煮込み料理を作ったとして、画面に代わり映えが無くて飽きると思う。」
私は正直な感想を伝えた。木梨は得意げになってこう続けた。
「なぁーんにも、分かってへんなぁホナミン。料理動画とはASMRよ。包丁とまな板の当たる音、煮込みのコトコト音、それら全てがリスナーの望むものよ。ホナミンはなんも喋らんでええ。ただ黙々とミートソースでも作ったらええんや。」
ASMRとは、キーボードのタイピング音といった、聞いていて心地良い生活音を聞く動画コンテンツのことだ。生活音だけでなく、囁き声や焚火の弾ける音も含まれる。料理動画はレシピを伝える目的以外に、ASMR動画としての需要もある。というか、そちらの需要の方が高い。学生の勉強のお供になっていることは、木梨のユーザー層が雄弁に語っていた。
「それじゃあ、私は基本的にコメントさえ順番に読み上げていればいい、そういうこと?」
「そう。それも金額が高い順に読めばええ。それも、読み上げるだけで内容に切り込んでいく必要もない。予想外に長文コメントがたくさんもらえたら、また後日にコメント返答配信を設けたら問題なしや。」
確かに、そもそもライブ配信のネタが無くて困っていたのだ。コメント返答配信という新たな切り口が得られるのは、願ってもいないことだ。渋々引き受けた料理撮影だが、案外悪くない提案な気がしてきた。
「いろいろ教えてくれてありがとう。ミートソーススパゲティ配信、やるよ。」
木梨は顔を綻ばせ、手をgoodの形にした気配がした。「チャンネル登録、高評価よろしく!」と、威勢のいい声が聞こえる。あぁコラボするということは、私もこれをカメラの前でやるのか。金城のために我慢するが、どんよりした気分は拭いきれない。
***
いよいよ料理配信の日を迎えた。撮影は私のアパートで行うから、カメラワークの確認と、食材の用意をしなければならない。普段座って配信をしているから、カメラワークには少々苦戦した。なるべく顔を写さず、体の影も入り込まないように注意を払う。
食材はテレビの料理番組みたいに、あらかじめテーブルに並べて置く。調味料は小さなガラスボウルに測り入れる。食材は基本的にパッケージが写り込まないように、皿やビンに移し替えるものだ。木梨が言うには、狂信的なリスナーは推しと同じ製品を使いたがるらしい。調味料を一式揃え、疑似的に同棲状態にする遊びがチャンネル内で流行り、木梨は大層難儀したらしい。木梨と違って私はイケてる容姿ではないが、私にはネットショッピングで住所が割れた前科がある。木梨のように、充分すぎるほど警戒する方が正しいのかもしれない。
ホールトマト缶の封を開け、透明なガラスのコップに移し替える。ボトンボトンと半分にカットされたトマトが落ちてくる。これを潰しながら煮込むと、コクが出て美味しいと木梨が言っていた。パスタを1つかみし、折ってしまわないように注意しながら、縦長いコップに入れる。先日、喫茶店で金城が
「パスタって、思ったより水分を含むんですよ。見た目に騙されてはいけません。」
と、喫茶店でペスカトーレをフォークに巻き付けながら言っていたことを思い出す。木梨のご機嫌を取って、はやいところ金城を救い出さなくては、と気合いを入れる。あえて茹で過ぎた方が、動画の取れ高になるのかも……そんな邪心を振り払い、ローリエの瓶を手に取る。
「本当に、ただの葉っぱだな。」
私はローリエを取り出して、しげしげと眺める。ローリエはハーブの一種で、肉と一緒に煮込むと香り高く仕上がる。市販されているものはドライフラワーのようにパサパサ乾燥した状態で、一人前だと半分にちぎって使用すると丁度いい。しかし、このローリエはなんだが生っぽい。試しにちぎってみようとするが、葉脈に沿って縦に裂けてしまう。
配信開始まで、まだ時間がある。他にも確認したいことがあったから、木梨とビデオ通話を繋げた。
「これは…ローリエじゃない。買い間違えたんやろ?」
画面越しに葉っぱを見せると、木梨は眉をしかめた。瓶のラベルを見せると、木梨の皺はさらに深くなる。話すかどうかしばらく逡巡したのち、木梨は言葉を探しながら重い口を開いた。
「……ホナミン、おめでとう。それは、ゆずり葉や。」
私は声にならない悲鳴を飲み込み、手元の葉を見やった。確かに、金城と買った時の葉とよく似ている。
「おめでとうって、ユズリは君が仕込んだことでしょうが。」
私は木梨に悪態をついたが、木梨の反応は意外なものだった。
「何を言ってるの。確かに金城クンは父さんがユズリを見立てて誘拐したけど、今回のことは僕たちの仕業じゃないで。……え、ホナミンって天然?ユズリがホンマに実在すると思ってる?」
私はもう一度、ゆずり葉を見た。これが、私の追い求めた本物のユズリ……?ようやく私に巡ってきたというのか。
「これはもうミートソース作ってる場合じゃないね。」
もうミートソースも、コラボ動画もどうでもいい。ユズリが私の元にやってきた。ユズリが私に謎を解いて欲しいと、自ら近寄ってきたのだ。
「……せやな。今度コラボ動画取ろう。俺がミートソース作って、ホナミンが怪談話するやつ。俺らのリスナー層全然違うからな、リスナーの取り合いにはならへんはずや。」
木梨は明らかに戸惑っている。ユズリは実在するだろうが、なぜ疑いの余地があるのだ。私は早くユズリに集中したいのに、引き止めないで欲しい。私は苛立ちを表に出さないように努める。やがて、木梨は意を決したように口を開いた。
「だからホナミン。ちゃんと帰ってきてくれ。僕はそんな怪談話は怖いから信じたくないんやけど、ホナミンは本気なんやな。……これ以上言えば、穂波のやり方を否定してしまうか。俺から言えるのはここまでやわ。」
ほなね、と言い残して、木梨は一方的に接続を切った。狭いアパートに静寂が訪れ、私はついにゆずり葉と二人きりになった。私はもう、ユズリのことで頭がいっぱいで、金城のことは二の次だった。
ゆずり葉を受け取った者は、まず“ゆずり葉を受け取った事実”を宣言する。私も例に漏れず、誰かにゆずり葉を見せたくて堪らなくなった。承認欲求と似た心の動きだ。と、私は自己分析した。そうだ、私は怪異をこの身で体験したいと切実に願った。この体験を、しかと現代のテクノロジーで保存しなくてはいけない。
私はキッチンにセッティングしたカメラを、普段通りデスクに置きなおした。配信予定時間まで、あと30分。私は待ちきれずに、SNSでゆずり葉の画像を投稿した。「ローリエの瓶からゆずり葉が!ついに私にもユズリが巡ってきました。」という文章を添えた。投稿してすぐに、いいねとコメントの通知がスマホに流れ込んできた。通知を知らせるバイブレーションで、手元がずっと震えている。バズだ。私のユズリ投稿がバズったのだ。
私がバズったのはこれが初めてだ。情報発信者ならみんなが憧れるバズに、私がずっと思い焦がれたユズリで経験することができた。配信開始までの20分間で、この興奮を沈めなくてはいけないなと、私は興奮する頭で考えた。バイブレーションが止まらないスマホに、金城からメッセージが入った。金城のメッセージはバズの波に飲み込まれて、到底見つけることができなくなった。押し寄せる通知の波が、スマホのディスプレイを点滅させる。行かなくては。私はおもむろに、セットしたカメラを持ち上げた。
***
配信時間に私は、扇町営業所の前にいた。終業時間を過ぎているので、玄関は当然施錠されている。
「みなさん、今日は料理配信の予定でしたが、緊急でユズリの配信をします。SNSを見てくださった人なら想像がつくと思いますが、私はついさっきゆずり葉を受け取り、ユズリに導かれてここに来ました。」
ここでカメラを扇町営業所に向ける。外だから配信画面の様子を確認できないが、おそらくコメント欄は大盛り上がりだ。アーカイブを見るのが今から楽しみで仕方ない。勢いに任せて、扇町営業所のインターホンを連打する。
「分かった、分かったから!返せばいいのでしょう!」
玄関が勢いよく開き、中から現れた松島が、金城の背中を突き飛ばしてこちらに渡した。
「捜査官だなんだか知らないけど、まさか考えなしに突撃してくると思わなかったわ……って、なにカメラ回してん!あんたマスコミだったの?!何者なのよホント!」
片手で金城を受け止めて、松島を見る。何者かって、そんなの決まってる。
「私は怪談系動画配信者、ホナミンです。ユズリの謎を初めて解き明かす男です。」
松島が虚をつかれた隙に、金城が素早く松島の身体を抑えた。
「連続誘拐の罪で、あなたの身柄を確保します。」
金城が冷たい声でそう告げると、営業所の奥からゆっくりとした歩みで社長が出てきた。社長は余裕たっぷりに微笑んで、金城の身体を嘗め回すように見た。
「まぁ待ちなさい、お嬢さん。証拠はあるのか?私達がゆずり葉を送り付けたというのも、誘拐者たちをここの従業員にしたというのも、お嬢さんの想像上の話でしかないはずだよ。魚有や従業員にも家族がいるからね。お嬢さんのために証言だなんて、してくれないと思うがね。」
私は何が行われているのか、理解できずに立ち尽くしてしまった。私はユズリに誘われるままに扇町営業所へ来た。ここに来れば、ユズリの正体が分かるはずだと。でも、目の前で繰り広げられているのは、まるで刑事と犯罪者の会話のようだ。
「いいえ、証拠なら……ここにあります!」
金城は私のカメラを指さして声を張り上げた。
「今からこのカメラを持って、動画配信者のホナミンさんが、この扇町営業所を電撃取材します。ライブ配信中なので、一切小細工はできません。後ろめたいことがないなら、できますよね?さぁ、通して!」
金城は見たこともない形相で、松島と社長を睨む。社長は落ち着き払った態度を崩さない。
「中小企業とはいえ、お客様の個人情報を扱っていますから、社内への立ち入りは許可できません。お引き取りください。」
松島は社長の後ろでニヤニヤとほくそ笑んでいる。何が行われているのか私には分からないが、ユズリの核心に迫れるなら文句はない。
「いいから通してくれ!なぜゆずり葉を受け取ると人が行方不明になるんだ。どうして谷崎はユズリに合わないんだ。」
私は社長と松島の制止に阻まれ、ジタバタと暴れた。金城も応援を呼んだのちに加勢するが、社長と松島の必死さにかなわない。私は覚悟を決めて、カメラを玄関に投げ入れた。全員が振り向いて、カメラが描く放物線を見守る。カメラが地面に打ち付けられる直前に、建物の奥から木梨が現れた。
「ホナミン、君のガッツ、しかと見届けたよ。……君ってば、本気でユズリが存在すると思ってるんやな。いやぁ……ずっと馬鹿にしてたけど、あなたのその愚直さが、犯罪の核心に偶然触れてしまった。」
木梨は、私のカメラをオフにしながら続けた。
「そのガッツに敬して。君のチャンネルに我が家の汚点は流させないよ。」
社長と松島は勝ち誇った表情で私と金城を見やった。金城は項垂れ、もはや打つ手なしという雰囲気だ。
すると木梨はおもむろにポケットからスマホを取り出し、手をgoodの形に構えてニッと笑う。
「はーい、こんばんは!じゅんぺーチャンネルにようこそ!今日は親友の窮地を助けるために、緊急で動画を流してまーす!ねぇほらこれ、見て!おびただしい靴の数!これ全部、拉致被害者の靴なんですよ!ほんっと、怖いですよねー。あっ、ほらほら!あそこ!こんな時間やのに、まだ働かせてますよ!」
社長と松島は慌てて木梨に駆け寄るが、力関係は木梨が上回っているようだ。木梨の周りでオドオドしている。木梨は私を見て、はやく行けと顎で示した。
私は金城を抱えて、駐車場に止まっていた営業車の影に隠れた。ほどなくして、金城が呼んだ応援が到着し、事態は収束に向かった。
***
「ご協力、感謝します。松島の逮捕に決定的な証拠が見つからなくてヘマをしてしまいましたが、おかげ様であなた達の動画が決め手となりました。……そして、ごめんなさい。あなたのことを利用してしまって、本当に申し訳ないと思ってます。」
翌日、警察署の面会室で金城はまつ毛を寝かせて私に話した。喫茶店以外でこうして向かい合うのは初めてだ。
「私はただ、ユズリの正体が突き止めたくて動いただけなんだ。利用されていただなんて一切思っていない。……君は一体、何者?」
金城は姿勢を正して、まっすぐこちらに瞳を向けた。
「ゆずり葉連続誘拐事件担当、特務の金城です。……穂波さん、本当にありがとうございました。」
金城はビシッと敬礼のポーズを取った。おっとりした仕草の彼女には到底似合わないポーズだが、彼女の筋肉がこの動きを形状記憶しているように見えた。間違いない、これが彼女の本当の姿だ。
社長と松島は誘拐罪で逮捕となった。木梨は直接犯行に関与しておらず、さらに動画を回して犯人逮捕に協力した功績があるからと、執行猶予がついた。……木梨は扇町営業所の強制労働の現場をアップロードしてしまったから、じゅんぺーチャンネルのアカウントがサイトからバンされてしまった。もし私のカメラがうまく営業所に入り込んでいたらと思うと、他人事ではない。木梨は私のチャンネルを、私の動画配信者としての命を守ってくれたのだ。
木梨とは今でも連絡を取り合うが、もう動画配信者をするつもりは無いと言っている。ホナミンのまっすぐさに嫉妬したと言うが、それはユズリが実在する、しないの話だろうか。ユズリは実際に起こった。間違いなく、私のローリエの瓶に忍んでいた。木梨は私と一緒に、ユズリを体験したじゃないか。
金城とは連絡が途絶えた。秘密事項が多いので、面白いお話ができないのです。と自嘲気味に笑って言っていた。
「でも、本当にユズリの謎が解けたら、私にも教えてください。私も知りたいです。」
警察の見解は、ユズリは夕日印刷が仕組んだ連続誘拐事件だということだ。夕日印刷の社員が被害者を誘拐し、扇町営業所に閉じ込めて強制労働させていたという。被害者にゆずり葉の写真を投稿させ、怪談話に見立てて捜査を撹乱させていたらしい。
でも、もしもすべて夕日印刷の計略だったとしたら、私のローリエをゆずり葉に差し替えたのは誰だろう。あの時木梨はどうして、私がユズリに合うことを知らなかったのだろう。そしてなにより夕日印刷が取り締まられたのに、今日もゆずり葉の投稿がSNSに上がってくる。これは、ユズリが実在するという証拠ではないだろうか。
代り映えのない、コンビニバイトと自宅の往復の日々。趣味程度の動画投稿。私に待ち受けていたのは、あまりに平凡すぎる日常だ。だけども、ユズリを追いかけていれば、いつかまた金城に会えるかもしれない。
今日もゆずり葉を受け取って、行方不明になる人がいる。行方不明者リストは日に日に増えていく。行方不明者の貼り紙をイートインスペースに貼るのは、ベテランバイトリーダーである私の仕事だ。これは、ユズリに最も近づいた私に相応しい業務だ。私の仕事はまだまだ、大学生なんかに任せられない。私は今日も、これからも、ユズリを追い続けるだろう。
