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ダ・ヴィンチが師匠に画家の道を断念させた天使

 画像は、若きダ・ヴィンチが弟子入りした師匠でルネサンスを代表する彫刻家のヴェロッキオ作の『キリストの洗礼』部分。左の天使を、ダ・ヴィンチが描いています。

ヴェロッキオ工房『キリストの洗礼』1472頃

 師ヴェロッキオは、未完のこの絵を完成するよう二十歳そこそこだったダ・ヴィンチに命じ、これに応えてダ・ヴィンチは左側の背景に後年の『モナ・リザ』を思わせるような幽玄の風景を描き、その手前に後ろ向きの天使を描き加えています。
 この天使の出来ばえに驚嘆したヴェロッキオは画家の道を断念、以降は彫刻に専念したというエピソードが残されていますが、実際のところ、このダ・ヴィンチ筆による天使は、無類の品格を誇る写実描写を見せています。ぱっと見た印象では、右に描かれた師匠筆の天使の方が表情もポーズも目立ち、その手前にダ・ヴィンチの描いた天使は表情も控えめでポーズも後ろ向きで、画面の脇役に徹した感があります。
 が、画面を眺めるうちに、その控えめなたたずまいの聖なる品格は、見る者にじわじわと伝わり始め、右の天使の愛くるしい表情までが、どこかわざとらしくすら見えてくるあたりが、ダ・ヴィンチのダ・ヴィンチたるゆえんで、二十歳そこそこで、ここまで熟成した描写を見せる画家も珍しいでしょう。
 加えて師匠ヴェロッキオを圧倒したのが、ダ・ヴィンチの用いた油彩という新技法で、師匠の描いたもとの画面はテンペラという卵白で絵の具を溶く技法によって描かれています。油彩は、このテンペラよりはるかに絵の具の伸びがよく、微妙な陰影を描くことができます。
 二人の天使でその油彩とテンペラの差がわかるのが、顔の陰影の描写で、右の天使の方には細かな筆の跡があちこちにかすかに見えていますが、左の天使はほとんど筆の跡が見えず、写真のようにリアルに描かれています。
 まだ写真のない当時のことですから、おそらく人々にとって、こうした油彩の描写の完成度は、人の手で描かれたとは思えないものと映ったに違いありません。師ヴェロッキオがダ・ヴィンチの描いた天使を見て絶望したのは、若き弟子の技量もさることながら、新世代の画家の駆使する新技術に圧倒されてのことであったのでしょう。
 ダ・ヴィンチは、当時のイタリアで最も早い時期に最新技術である油彩をマスターした画家のひとりでありながら、以降のいかなる画家も超えることのできない油彩による写実描写の最高峰に到達している点に、その天才的な独自性があるといえるでしょう。
 右の天使の表情が、なにやら左の天使に敬服しているようにさえ見え始めるのは、私だけでしょうか。

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