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本当の意味での『教材研究』とは何だろう。

みなさんこんにちは、数学meganeです。

教師をしていると、何度も耳にする言葉があります。

「教材研究」

授業をするなら、教材研究が大切。
若いうちは、とにかく教材研究をした方がいい。
良い授業をするためには、教材研究に時間をかけなければならない。

私自身も、これまで何度もこの言葉を聞いてきましたし、授業をつくる上で教材研究は非常に大切なものだと思っています。

では、「教材研究って、具体的に何を研究することなのでしょうか?」

こう聞かれると、意外と難しい。

教科書を読み込むこと?
教材について詳しく調べること?
その単元の本質を理解すること?
問題の解き方や別解を考えること?
発問を考えること?
授業展開を考えること?

もちろん、どれも教材研究だと思います。

私自身、これまでそういったことを考えながら授業をつくってきました。

しかし最近、ある言葉を知ったことで、「もしかすると、本当の意味での教材研究って、もう少し広いものなのではないか。」と考えるようになりました。

今回は、そんなことについて書いてみたいと思います。

「PCK」という言葉を知った

きっかけは、Xで見かけたある投稿でした。

そこで初めて詳しく知ったのが、「PCK」という言葉です。

Pedagogical Content Knowledgeの略で、日本語では「教授学的内容知識」などと訳されます。

1980年代に教育学者のLee S. Shulmanによって提唱された概念です。

恥ずかしながら、私はこの言葉を最近まで詳しく知りませんでした。

まだ勉強を始めたばかりなので、これからもっと理解を深めていきたいと思っていますが、現時点では、

「教科の内容を、学習者が理解できる形にして届けるための教師特有の知識」

のようなものだと捉えています。

例えば、教師が教科について深い知識を持っている。

これは当然大切なことです。

数学教師なら、数学について深く理解している必要があります。

しかし、「数学について詳しいこと」と、「目の前の生徒に数学を教えられること」は、本当に同じなのでしょうか。

考えてみれば、そう単純ではありません。

教師自身は内容を完璧に理解している。
説明していることも間違っていない。
授業の準備も十分にしている。
それでも、生徒には伝わらないことがあります。

なぜなのか?

PCKについて調べていて、私はその理由の一つが、「教える内容」だけでなく、「それを学ぶ人」についてどれだけ考えているか、にあるのではないかと思いました。

そして、ここで「教材研究」という言葉とつながりました。

「教材」だけを研究していないだろうか

例えば、数学の授業をつくるとします。

・その単元について教師自身が深く理解する。
・公式がなぜ成り立つのかを考える。
・前後の単元とのつながりを整理する。
・別解を考える。
・良い問題を探す。
・数学的な見方・考え方を整理する。

どれも非常に大切です。

むしろ、教師が教材について深く理解していなければ、生徒にその面白さや価値を伝えることも難しいでしょう。

しかし、それだけで授業の準備が終わってしまったらどうでしょう。

ここで、もう一人登場させなければならない存在がいます。

生徒です。

・この教材を見たとき、生徒は何を考えるだろう。
・どこでつまずくだろう。
・どんな勘違いをするだろう。
・どのくらいなら自分で考えられるだろう。
・どこから「分からない」に変わるだろう。
・逆に、どこに「面白い!」と感じる瞬間があるだろう。
・どんな問いなら考え始められるだろう。

教材について考えるだけでなく、その教材と出会った生徒に何が起こるのかまで考える。

ここまで含めて教材研究なのではないか。

PCKという言葉を知ったことで、私はそんなことを考えるようになりました。

教材研究とは、「教材と生徒の間」を研究すること

今の私なりの考えを一言で表すなら、教材研究とは、「教材」だけを研究するのではなく、「教材と生徒の間」を研究することなのではないか、ということです。

例えば、一つの問題を授業で扱うとします。

教材そのものを研究するなら、
「この問題の答えは何か。」
「どんな解法があるか。」
「どんな数学的価値があるか。」
「この問題は次の学習とどうつながるか。」
などを考えます。

しかし、そこに生徒を登場させると、問いが変わります。
「この問題を見た瞬間、生徒は何をしそうか。」
「最初の30秒で、どんな反応が起こるか。」
「どんな誤答が出そうか。」
「どの生徒が止まりそうか。」
「どんなヒントなら、答えを教えずにもう一度動き出せるか。」
「ここは一人で考えさせるべきか、誰かと話させるべきか。」
「どこまで教師が教えて、どこから生徒に委ねるのか。」

授業を考えるとき、私たちは教材だけを見ているわけではありません。

頭の中に仮想の教室をつくって、「この教材を、この生徒たちが学んだら何が起こるだろう。」と考えている。

もしかすると、これこそが教材研究の非常に重要な部分なのではないでしょうか。

「前回、何やった?」も教材研究なのかもしれない

例えば、以前noteにも書いた授業最初の復習です。

三角形の合同条件を復習するとします。

単純に、「前回、何やった?」と聞くこともできます。

もちろん、それで考えられる生徒もいます。

しかし私は、「前回、三角形の合同条件を学習しました。3つ、ペアの人に言ったら座ります。」というように、できるだけ具体的な指示を出すようにしています。

なぜか。

「前回、何やった?」という広い問いでは、
・何を思い出せばいいのか分からない生徒がいる。
・一部の生徒だけが答えて、他の生徒は聞いているだけになる可能性がある。
・だったら、思い出してほしい内容を明確にして、全員がそれを口にする状況をつくった方がいい。

そう考えているからです。

これは一見すると、「発問や指示の工夫」という授業技術の話に見えます。

でも、よく考えてみると、その前には、「この内容を、この聞き方で提示したら、生徒はどう動くだろう。」という予測があります。

だとすれば、これも教材研究と切り離されたものではないのかもしれません。

生徒の反応を予測するから、方法が決まる

私は授業中、一人の生徒に説明してもらった後、「今の説明、どういうことですか?ペアの人に解説します。」と指示することがあります。

これも単に、「ペア活動を入れたいから。」ではありません。

・一人の生徒が説明しただけでは、理解できていない生徒がいるかもしれない。
・聞いているつもりでも、自分の言葉では説明できない生徒がいるかもしれない。
・一度自分の言葉で説明することで、理解を確かめられるかもしれない。

また、個人指名した生徒が答えられなかったときには、全体をもう一度ペアで動かすことで、その間にその生徒のところへ行き、何につまずいているのか確認することもできます。

つまり、「ペア活動」という方法が先にあるのではない。

「生徒にこういうことが起こるかもしれない」という予測が先にあり、その結果としてペア活動を選んでいる。

ここは非常に大切なのではないかと思います。

「先に教えるか」「考えさせるか」も同じ

この視点を持つと、授業についてよく語られる様々な方法論についても、少し違った見方ができる気がします。

例えば、「最初に教師が答えや方法を示した方がいい。」という考え方があります。

一方で、「いや、生徒自身にじっくり考えさせた方がいい。」という考え方もあります。

どちらが正しいのでしょうか。

最近の私は、極端な話、どちらでもいいのではないか。と思っています。

正確に言えば、方法だけを切り取って、どちらが正しいかを決めることには、あまり意味がないのではないか、ということです。

なぜなら、その間にいるはずの「生徒」が抜け落ちているからです。

何の手がかりも持っていない生徒に、「自分でじっくり考えてみよう。」と言って長時間考えさせても、ただ「分からない時間」が続くだけかもしれません。

それなら、最初に見通しを持たせたり、全体像を示したり、ときには答えから考えさせたりした方が学習に入りやすいこともあります。

逆に、すでに十分な材料を持っていて、「あと少し考えれば自分で気づけそうだ。」という状態の生徒に、教師がすべて説明してしまえば、

「自分で分かった!」

という瞬間を奪ってしまうかもしれません。

だから、「教えるか、考えさせるか。」ではなく、「この教材を学ぶ、この生徒たちには、今どちらが必要なのか。」を考える。

そして、その判断をするために教材研究があるのではないでしょうか。

良い教材を知っているだけでは、足りない

私自身、これまでたくさんの先生の授業を見たり、書籍やSNSなどで実践を知ったりして、

「この教材、めちゃくちゃ面白いな。」
「これ、自分の授業でもやってみたいな。」

と思うことが何度もありました。

実際に取り入れてみることもあります。

でも、他の先生の教室でうまくいった教材が、自分の教室でも同じようにうまくいくとは限りません。

なぜなら、学ぶ生徒が違うからです。

ある学級なら、問題を提示した瞬間に、「え、どういうこと?」、「こうじゃない?」と自然に議論が始まるかもしれません。

別の学級では、「何をすればいいか分からない。」と全員が止まるかもしれません。

ある生徒にとっては、「考えたくなる難問」

でも、別の生徒にとっては、「最初から諦めたくなる難問」になることもあります。

つまり、良い教材は、それだけで良い授業を保証してくれるわけではない。

その教材の良さを、「目の前の生徒にどう届けるか。」まで考える必要があります。

だから私は、「良い教材を知っていること」と「良い教材研究ができること」は、少し違うのではないか。と思います。

授業中も、教材研究は続いている

そして、もう一つ。

教材研究というと、どうしても「授業前にするもの」というイメージがあります。

しかし最近は、教材研究は、授業が始まってからも続いているのではないか、と思うようになりました。

授業前には、「この問題なら、ここでつまずくだろう。」と予想していた。

でも、実際にやってみると全く違うところで止まった。

逆に、「これは難しいだろう。」と思っていた問題を、生徒があっさり突破した。

・教師が想定していなかった考え方が出てきた。
・思った以上に盛り上がった。
・あるいは、全然盛り上がらなかった。

こうした一つひとつの生徒の姿が、次の教材研究の材料になる。

「あの説明では伝わらなかった。」
「この問い方なら動いた。」
「ここは教えすぎた。」
「ここはもう少し待てた。」

そんなことを授業後に振り返る。

そして、次に同じ教材を扱うときには、その経験を持った状態で教材を見る。

すると、以前とは違うものが見えてくる。

そうやって、

教材を見る。
生徒を想像する。
授業をする。
実際の生徒を見る。
もう一度教材を見る。

この繰り返しの中で、教師の教材研究は少しずつ深くなっていくのではないでしょうか。

教材研究の中心に「学ぶ相手」を置く

ここまで書いてきて、改めて思います。

教師自身が教材について深く理解することは、授業をつくるための大前提だと思います。

でも、その先に、「誰がそれを学ぶのか。」という視点を置きたい。

この教材を見た生徒は何を考えるのか。
どこで止まるのか。
何があれば動き出せるのか。
どこなら自分で考えられるのか。
どこは教師が支えるべきなのか。
そして、どうすればこの教材の価値や面白さに触れることができるのか。

そこまで考える。

だから、今の私は、本当の意味での教材研究とは、「教材」を研究することだけではなく、「教材と生徒の間」を研究することなのではないか、と考えています。

私自身、まだまだ勉強中です

今回、このことを考えるきっかけになったPCKについて、私はまだ勉強を始めたばかりです。

調べてみると、PCKについては様々な研究があり、数学教育においても「数学を教えるための知識」について、さらに細かく研究されていることを知りました。

おそらく、今の私の理解もまだまだ浅いのだと思います。

そして今回書いた「教材研究」についての考え方も、「教材研究とは絶対にこういうものだ。」と主張したいわけではありません。

ただ、PCKという新しい言葉を知ったことで、これまで当たり前のように使ってきた「教材研究」という言葉を、もう一度考え直してみたくなりました。

これまで自分が大切にしてきた、
発問。
指示。
ペア活動。
机間指導。
全体像を見せること。
全員が学習に参加できる状況をつくること。

そうした一つひとつも、「どう教えるか。」だけで考えるのではなく、「なぜ、目の前の生徒にこの方法を選ぶのか。」まで考えていきたい。

教材について学ぶ。

生徒について学ぶ。

そして、その教材と、その生徒が出会ったときに何が起こるのかを考える。

そこまでできる教師になりたいと思います。

「何を教えるのか。」だけではなく、「誰が、それを学ぶのか。」

その両方を頭の中に置きながら、これからも教材研究を続けていきたいと思います。

そして、PCKについても、もう少し勉強してみようと思います。

このnoteでは、
・授業でそのまま使える教材・授業展開
・思考力を育てる問題
・実際の授業実践、指導のコツ
を中心に発信していきます。
忙しい中でも「これなら使える」と思ってもらえるような、現場目線の即戦力になるような教材を届けたいと思っています。


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