もう一つの世界。
〜あらすじ〜
能登半島で介護の仕事をしている結城渚、30歳。彼女は前年能登半島地震の災害関連死で父親を亡くしていた。その渚が、あの世で、東日本大震災の津波で流された親子と出会い、触れ合う。彼女はそこで、父や友達に再開し、能登半島豪雨で流された少女と女性を繋ぐ役割も担うことになった。その大役を果たしたあとに、福島の親子に、あることを託され、帰るように諭される。時間旅行の末に、渚を待っていたのは、利用者さんと…。今と未来、あの世とこの世をつなぐお話。
海面を見ていた。
水平線に近い場所は、うっすら茶色になっていて、
陸に近い場所で、規則的な波の中で不規則な動きをしている場所があった。
いるか?くじら?
時々、何かが水面から顔を出す。
飛び跳ねることはないから、生き物ではないようだ。
大きな木材?
いつか津波で流された家が、ここに流されてきたのかもしれない。
しばらくの間、その光景を目で追っていた。
仕事に行く途中にある、よく行く駐車場。
私はそこに、車を止めて、時間調整したり、心の準備をするために、その場所でよく海を見ていた。
いつもと違う光景に、私は、車のドアを開けて降り、吸い寄せられるよう横断歩道のない国道を、横切って、海沿いまで歩いた。
防波堤の傍まで来ると、景色が渦を巻いている。
うずまき?
そうじゃない。空も水平線も、近くにある岩場ですら、ぐるぐる回る。
えっ??
吸い込まれる…
時空がゆがみ、ぐるぐる渦巻く中に、私の体が浮遊し、一緒に回りだした。
なにこれ?
ぐるぐる回っている間に、私の意識は飛んでしまっていた。
気がついた時、私は見知らぬ家の日当たりのいい場所で、横たわっていた。
ふっと起き上がり、左右を見渡す。
ここはどこ?私は誰?
と心のなかで言いかけて、自分の名前や記憶がそのまま意識にあることがわかった。
私の名前は結城渚。30歳介護職だ。
足の長い犬が大きなゲージの中で、横たわっていたが、私が上半身を起こすところをみると、立ち上がり、ワンと一度だけ鳴いた。顔や体がシュッと細くて長い、体毛の短い黒い犬だった。
「スズ、どうしたの?」
ドアをあけて、部屋に入ってきたのは、中学生くらいのかわいい女の子だった。すぐに、私に気が付くと、
「うわー、びっくりした~」と大げさに驚いて見せた。
「気がついたんですね。」
と彼女は言って、「よかった~」と嬉しそうに笑った。
「あの〜、私なんでここに?」
ためらいながら聞くと、
「なんでですかね?気がついたらそこに寝てて…」
「いやいや、おかしいでしょ?そんなことあります?」
「ですよね…だけど、気持ちよさそうに眠ってたし、まぁ、いいか。と思っちゃって」
なんて、不用心だと思った私は、
「知らない人が急に部屋に居たら、警察に通報しないとダメですよ。」
と言っていた。
「警察…通報します??」
真っ直ぐ見つめられて、
「ごめん、それも、ちょっと困るかな…」
私は、口ごもった。
「ですね?」
ニッと笑って、彼女は、私の直ぐ側にある椅子を私の方に向けて座った。
「あの〜私いつからここに?」
恐る恐る聞くと
「今朝からです」
今何時だろう…。
ポケットの中を探るけど、携帯はカバンに入れたまま車の中だ。鍵も、持ってきてないところをみると、あの車は、誰かに、持っていかれてるかもしれないし、車上荒らしにあってるかもな…。と思った。
早く戻らないと。
それに、私、仕事に行く途中だったんだけど…。
部屋を見回すと、壁にかけられた時計があって、3時を指していた。
ダメだ…完全に間に合わない。
私が居なくて、職場は、大変なことになっているかもしれない。連絡もいれてないから、失踪したことになってるかも。
困ったな…という思いと、ここまで、大胆な遅刻だと、騒いだところでどうにもならないという開き直りで、どうでもいい気持ちになった。
それにしても、おなかがすいたな…
食器が、ガチャガチャと音を立てていることに気付いて、音のする方をみると、キッチンで私より少し年上に見える綺麗な長髪の女性が、食事の準備をしていた。
この人いつから、いたんだろう…
全く、気が付かなかった。
「おなかすいてるでしょう?ごはん用意するわね」
その女性はそう言って、好き嫌いはない?と聞いた。
「ありがとうございます。なんでも大丈夫です」
と答えると、優しい笑みで、ごはんを作り始めた。
「すぐ夕飯になっちゃうから、うどんでいいよね?」
初対面とは思えない距離感だった。
つられて「はい」と私は答えた。
うどんには、油あげと葱が煮込まれていて、生卵も1つ落としてあった。
「月見うどん!いただきます。」
あつっ。
慌てて食べ始めると、その熱さに、唇を火傷してしまった。
2人がクスクス笑う。
二人の関係性が突如気になって、
「お二人は?」
と手のひらを二人の方に向けた。
「親子です」
見た感じの年齢差で、親子という感じは全くしないけれど、どことなく似ているし、本人たちが言うのなら、そうなんだろう。
「仲良くていいですね」
渚はそう言いながら、うどんをふーふーしながら、すすった。
「ところで、ここはどこなんですか?」
その問いに、二人は、少し困ったように顔を見合わせて、
「あの世かな?」
と言った。
「あの世ですか…」
自分が死んだ記憶はないけど、辻褄はあうかもしれない。
意味のわからない体験をしたことは、鮮明に覚えているし。
私、なんで死んだんだろう?
あっさり受け入れてしまう自分が怖かったけれど、ある意味現実逃避なのかもしれないと、自己分析する冷静さもあった。
「あなた方は?」
また二人で顔を見合わせて、
「私は牧村みゆきです。津波にさらわれてここに来ました。この家は福島で住んでた家です。」
「私は、娘の優菜です。最初7歳でここに来て、皆は年をとらなかったのに、私だけ成長してて。だけど、6年目くらいからは、ずっと今のままなの」
あぁ、渚は、東北大震災のことを思い出していた。
あの時の地震、あの時の津波で、大きすぎる被害が出て、たくさんの人が亡くなったこと、あの時見た映像の数々、どれも鮮明に記憶に残っている。
「もしかしたら、お父さんが、探してて、お姉さんがいる牧村さんの?」
渚は、つい最近、図書館で借りた本で、東北大震災で行方不明になっている遺族のその後を書かれた本を読んだばかりだった。
「そうそう。お父さん、語り部になって話してくれてるんだってね。」
みゆきがそういうので、
「なぜ、そのことをご存じなんですか?」
と聞くと、
「ここにたどり着くのは私たちのことを知ってる人だけだから。私たちが知らなくても私たちを知ってる人が、時々現れて、色々教えてくれるの」
あぁ、そうなんだ。
そうなると、私はやっぱり死んだのかもしれないな…と、ぼんやり考えた。
「スズもあとから来てくれたんだよ」
ゲージの中の犬を指さしながら、優菜は無邪気に笑った。スズの耳がピンと立って、明らかにこちらを見ている。
遺体が見つからないと、あの世で時が止まることなく、時間を重ねることになるのかもしれない…。気になってその後の牧村さんの話を調べたら5年と9カ月後に、優菜ちゃんの骨が初めて見つかったって記事があった気がする。そこで、優菜ちゃんの成長も止まったのかもしれないと渚は思った。
うどんを食べ終わると、丼をシンクのところに持って行って、自分で洗った。
「あの~、私いつまで、ここにいていいんでしょうか?」
渚は恐る恐る聞くと
また二人は顔を見合わせて
「居たいだけ居てくれて大丈夫だから。」
そう言って、ニッコリ笑ってくれた。
なんの縁もゆかりもない私に、この親子はなぜこんなに親切にしてくれるんだろう?
私は、自己紹介すらしていないことに気がついた。
「結城渚、30歳です。介護の仕事してました。」
そう言うと、さも当たり前のような表情で、うんうんと頷いてみせた。
「あのね、外に出るとわかるんだけど、こんな風におうちがあるのは、少ないんだよ。」
「30分くらい歩くと、楕円形に光る建物があるんだけど、だいたいの人はそこで暮らしてる。その敷地内に、教会のようなところがあって、そこに行くと生まれ変わることも出来るらしいの」
えぇっ。
初めて聞くそんなシステムに渚はただただ驚いた。
「そんなの自分で選べるの?」
みゆきが
「そうなのよ。私は、優菜がいたし、ここに残ってるけど、両親は、もう、生まれ変わってるはずよ」
渚は、
「生まれ変わるって、また人間になれたり、家族同士、側にいれたりするの?」好奇心のほうが勝って、何も考えずに、思ったことを口に出した。
優菜が
「皆、人間になると思ってるし、思いの強い場所に行けると信じてはいるけど、生まれ変わった後、その記憶を持ってここに来た人はいないからねぇ…」
「わからないよねぇ…」
みゆきが言い
「そうですよね…」
と渚が、答えた。
「私、外に出てみたいです。でも、怖い気もしてて」
困惑した表情を見せる渚にみゆきが
「優菜、一緒に行ってあげたら?」
促された優菜が
「うん」とニッコリ笑って、
「行こう。私、渚さんの大事な人と会ってみたい」
「大事な人?大事な人に会えるの?」
「うん。この世にまだいるなら、会えると思う。」
と手を引っ張ってくれた。
スズが小さくワンと吠えた。
「スズもお散歩行きたいよね?」
スズがたちあがり、しっぽを左右に振り、ゲージの傍で待機している。
渚は犬への恐怖心を悟られないように気をつけていたけれど
「渚さん、スズ大人しいいい子だから、心配しなくて大丈夫だよ。」
と優菜がいってくれたことで、ホッとして覚悟を決めた。
リードをつけられたスズがゆっくり家から出て、優菜と渚はそれに続いた。
視界に入る家屋は、本当にポツンポツンと点在するだけだった。後ろを振り返ると、瓦屋根の日本家屋に、牧村と表札がかかっていた。
全体的に草花が咲いた野原のような場所がずっと続いていて、少しモヤがかかったようにも見える。渚が思い描いていた道らしい道はどこにもなかった。
5分くらい歩いたら、見知った顔に出会った。
「お父さん!!」
渚は、信じられない気持ちで、父の姿形をした何かのところに向かった。
「渚、なんでこんなとこいるんだ?お母さんは元気か?」
私は、恐る恐る父の腕に触れてみた。
あ、触れる…
父は、去年、肺炎をおこし還らぬ人になっていた。
優菜が見ていることも、すっかり忘れて、二人は抱き合って泣いた。
優菜は、フッと笑って、後ろむきに体育座りを始めた。しばらくは、優菜のことに気が付かないだろうと経験上わかっていたのだ。スズは優菜のまわりを嬉しそうに走り回っていた。
「お母さん、お父さんが居なくなってしばらく抜け殻のようだったよ」
渚が言うと
「そうか。悪いことをしたな」
父が寂しそうに答える。
「でも、最近、少し元気になってきて、こないだもお友達と旅行に行ってたよ」
近所のおばちゃん数人とのバス旅行を想像しながら渚が伝えると
「お母さん、いい人ができたわけじゃないよな?」
と、心配そうな顔で父が尋ねてきた。
あの世でヤキモチやいてる。
そう思って、可笑しく思った渚だったが、あの世で地獄を見る人が少なからずいるだろうことを、想像し、ブルッと震えをおこした。
あの世で修羅場なんて、怖っ。
そう思った時、
優菜がクスッと笑った。
「あるよー、そんなこと。割としょっちゅう」
えっ?
「私、口に出してないよね?」
渚は優菜をじっと見て、そう尋ねた。
優菜は
「うん。私、こっちきてから、人の心の声が聞こえるようになったの」
「えぇっ」
言葉にならないけど、パニクった思いが、交錯する。
「大丈夫よ。渚さんが悪い人じゃないことは、私が保証するから。」
優菜は、微笑む。
なんだか微妙だ…
そして、なんだか怖い…。
「わかるよ。でも、ホントにそれが嫌なら、生まれ変わって、ここからいなくなるしかないよ」と優菜が言った。
恐る恐る優菜を見て、「もう少し待ってもらっていい?」と聞くと
「もちろん」
と優菜は、またニコッと笑う。
かわいいなぁ。
その笑顔に引き込まれた。
「ありがとう」
優菜はいたずらっぽく笑って、少し離れたところで、スズと遊び始めた。
父と一通りの会話を終えた後、
「また会える?」
と、父と優菜を交互に見ながら聞いた。
「この世にいる限りは。」
優菜は、そう答えた。
じゃあ、もう少し歩いてみる…。
そこからさらに5分くらい歩いた場所で、3年前にガンで亡くなった親友が現れた。
「なおみちゃん!!」
「渚」
二人で、抱き合った。
何故かそのまま、二人で、ジャンプしながら、くるくる回って、目が、あって、ゲラゲラ笑った。
優菜も、少し離れた場所で、もらい笑いしていた。
なおみは、スズの存在に気が付き、
「かわいいね~なでてもいい?」とスズに話しかけ、ひとしきり撫でた後、ギュッと抱きしめていた。
なおみは、亡くなる直前、大型犬の赤ちゃんを迎えていた。
スズとは違う犬種だったけど、その子の成長が気がかりなままお別れしたのだった。残される旦那さんのことを思い、その犬と夫の未来を想像しながら、あの世に旅立ったと思う。
なおみちゃんの夫だった人が、先月再婚したことが、ふと頭をよぎってしまった。
なおみちゃんは、気が付かなかったようだから、良かったけれど、優菜には、わかってしまったようだった。
優菜は、寂しそうな表情を見せた。
ごめん。
渚は心の中で優菜に謝った。
優菜は後ろを向いたまま、ううんと首を横に振った。
なんだか、胸がギュッと苦しくなった。
優菜が怖いと一瞬思ったことを申し訳なく思った。
知りたくもないことを聞かされてしまう優菜は、どんな思いで月日をすごしてきたんだろう。不幸と言ってしまうのは、あまりにも簡単すぎて、これ以上考えるのはやめようと、必死で思考をストップさせた。
「なおみさん、渚さんとはどういうお友達なんですか?」
優菜が、話に加わってきた。
「大学の同級生だよね?」
疑問形で、渚に言うから、
「忘れちゃってた?」と半分責めるような口調でなおみに抗議すると
「私のガン、最後には脳に転移してたでしょう?ところどころ、怪しいところがあるんだよ」
寂しそうになおみが言った。
そっか。
人によっては、記憶をなくしたまま、もしくは、記憶が混濁したままこの世界に来ることもあるんだな…
優菜をチラッと見ると、唇をつきだして、うんうんと首を振っていた。
「聞きたいことがあるのよ」
なおみが、渚に切り出した。
優菜がさっと立ち、「ごめん、渚さんもう帰らないといけないの。また今度にしてね。」
となおみに言い放った。
なおみも、何か察したように、
「わかったわ。またね。」
と明るい笑顔で、渚と優菜とスズを見送ってくれた。
牧村家を目指しながら、
「なおみ、ご主人のこと聞こうとしてたの?」
と、渚が聞くと
「うん。渚さん上手に答えられそうにないと思って、邪魔しちゃった。」
優菜が言った。
「ありがとう。優菜ちゃん、若いのに、大人だね。」
と言うと
「大人になんてなりたくなかったんだけどね。」
とポツリと優菜がつぶやいた。
そのあとすぐに、表情を変えて
「お散歩終了しちゃったけど、平気?」
優菜が見せる気遣いに、渚は胸が熱くなった。
それを打ち消すように、飛び切り明るい声を出して
「平気、平気、運動不足だから、もう疲れてたしね」
と笑って見せた。
「スズは平気じゃないって~」
と優菜はスズとあちこち走り回りながら帰路に就いた。
牧村家に戻ってから、気になっていたことを聞いた。
「あの、さっき、おじいちゃんとおばあちゃんがもう生まれ変わったって言ってたよね?」
優菜はうん。と頷いた。
「おばあちゃんは、東北地震の後に亡くなったってこと?」
触れていい領域か、分からないまま、恐る恐る聞く。
「そうなの。おばあちゃんがここに来た時に、おじいちゃんより老けちゃってて、せっかく会えたのに、恥ずかしいって言ってて。」
女の人は死ぬまで女だからなぁ…。
介護の仕事をしている渚は、常々そう感じていた。
「先に生まれ変わってお父さんとお姉ちゃんの側にいるって。」
「そう…おじいちゃん、おばあちゃんが来るのを待ってたんだね。」
優菜と渚は、2人が生まれ変わって、家族の側に居る光景を思い浮かべた。
「もしかして、お姉ちゃんが双子産んでたりして…そう??」
私の顔を覗き込む優菜に、
「ごめん、そこまで知らなくて…」
と渚は、答えた。
渚は、もっと深く牧村家のその後を検索しておけば良かったと、軽く後悔した。
「お母さんがね、お父さんに会えるまで待つって言うの。最初は、私の成長が止まるまで。と言っていたけど、ここでの暮らし、私たちにとっては、そんなに悪くはないからね。」
わずかな時間しか、外にいなかったものの、自分たちだけの家がある人が少ないことは、なんとなくわかった。きっと、家を流されて亡くなった人は、この世界では、特別な富豪のような存在なんだろう。
「あのさ、この地のお家のある人たちが生まれ変わる選択したら、お家はどうなるの?」
渚が優菜に聞いた。
「いい質問だね。一瞬の間に、なかったことになるよ。」
「誰かに譲るとか出来ないんだね。」
うんうんと優菜がうなづいてみせた。
優菜たちがこの世に来てから、そういった場面に出くわしたことがあるってことなんだろうな。と渚はぼんやり思った。
「時間の概念は、同じなんだね?」
「うん。多分。」
「でもさ、現実の世界とは、大分違うよね?」
「うん。テレビや新聞とかそういう情報を得られるものがない。」
「電車とかバスとか車も見なかったよね?」
「うん。会いたい人には、5分歩けば、会えるんだけど、その人たちが普段どこで、何をしているのかは、わからない。」
「でもさ、うどん、食べれたよね?食材って、どうやって手に入れるの?」
「私たちの家には、冷蔵庫があるでしょ?そこに、思い描いたものが開けるたびにあるの。」
「それは、全然リアリティーないよね?」
「うん。幻なのかもしれないよね。食べた気になってるだけで。」
さっき、食べたうどんのことを、思い出す。
あの熱さや、揚げのジューシーな感じ、出汁のホッとできるうまみ、生卵の白身のドロッとした感覚までもが幻な訳はない。
そう思うけど、そうなのかもしれない。
答えはどこにも求められないし、わかる必要もないのだろう。
イメージできる限りは、具現化できるのか?
「渚さんは、今朝までちゃんと生きてたから、感覚が全部同じなんだと思うよ。私たちの記憶は少しずつぼんやりしてきていて、渚さんが食べた月見うどんほど、おいしい月見うどんじゃないと思う」
「洋服とかは?」
「こんなの着たいと思えば、クローゼットの中にあるよ。」
「洗濯とかもするの?」
「うん、家の中でできていたことは、全部できてる。だけど、したくないことは、しなくても大丈夫みたい。」
「例えば?」
「お風呂掃除とか、ゴミ出しとか」
「超いいね」
渚が羨ましがる。
「だけど、時間経つの遅いから、家事とか勉強でも、していたくなる。」
「へぇ…職場で、利用者さんが、おしぼりを畳むとか、フキの皮をむくとか、軽作業を好んでするのと同じなのかもね」
「よくわからないけど、何かしらしてないと、頭がおかしくなっちゃう」
「お家ではお母さんとお話しするんでしょう?」
「うん。お母さん大好き。」
「お友達もいる?」
「こっちに来てから、お友達になった人はいるよ。渚さんみたいな人とか、その知り合いの人とか。」
「そっか。知り合いは減ることもあれば、増えることもあるんだね」
「うん。それは、前世だって、同じでしょ?」
中学生くらいの女の子が、言った言葉に大人びた響きがあって、思わず、フフッと笑ってしまった。
優菜は渚の顔を見ながら、嬉しそうに笑った。
そっか。うっかり忘れてたけど、私の思ったことは、全部筒抜けだった。
優菜はわざとニヤリとした表情を見せた。
ホントに、かわいい子だ。
私がここにいていい理由も、非日常を楽しみたいのもあるのかな?と思った。新鮮な風。みたいな??
「それはそうだけど、もちろん私たちを知ってるからって、誰でもウェルカムじゃないから。」
「確かに。嫌なものは嫌だよね。」
そんな時はどうするの?
「意識を覗いて、嫌だと思った人は、家には、いれないの。」
「ちゃんと選べるんだね?」
「そうだよ~。私たちは特別な人間なの。あ、人間なのかはわからないけど、選ばれた存在ではあるの。」
「そっか・・・私を受け入れてくれてありがとうね。」
渚がそういうと、
「ううん。私感謝してるの。渚さんに会えたの、すごくうれしいの。ずっと一緒にいれたらいいと思うくらい。」
少し優菜の表情が曇った。
どうしたんだろう?と心配になった気持ちを打ち消すように
「ありがとう。」
と渚は微笑んだ。
翌日、目覚めると、待ちかねた表情で、みゆきがこっちを見ていた。
寝起きを見られるのは恥ずかしいと思って、すぐ、両手で顔を隠した。
「おはよう。今日は、私と一緒にでかけてもらうね。」
「あっ、はい。喜んで。」
渚は身支度をして、用意してくれてあった朝食を掻き込んだ。
優菜が食べ終わった食器をシンクまで運び、
「片づけやっておくから、早くおでかけしてきて。」
とみゆきと渚を追い立てるように、玄関先まで押し出した。
「いってらっしゃい」
若干強引な追い出され方だけど、まぁ、いいか。
「行ってきます。」
私はどこに行くのだろう。と思いながら、みゆきについていった。
「今日は、集会所までノンストップで行くよ」
「昨日言ってた教会もあるってところ?」
「そうそう」
「途中誰にも会わないの?」
渚がそう言うと
「今日は、渚っちが会いたい人には会えない。」
渚っち?
急につけられたあだ名に驚いて、みゆきの方を見た。
「集会所…に着いたら、渚っちに会わせたい人がいるの」
目をパチクリ。という表現がピッタリハマるように、目をしばたかせて、
「わかったよ。みゆきっち」
と渚は返した。
みゆきは、満足そうに微笑んで、
渚の腕を組み、トトロの歌を歌い出した。
♪歩こう、歩こう、私は元気〜♪
みゆきが歌い出したので、渚も一緒に歌った。
みゆきっち、めっちゃ、チャーミングだな。
心の中でそう思った途端、
「ありがとう」
みゆきが言った。
「あっ、心の声が聞こえるのは、みゆきっちも一緒?」
言われてみたら、ありえることなのに、その可能性を渚は、端から除外していた。
「うん。この世に居る人全員ではないけどね。私と優菜は、分かるタイプ」
へぇ〜。と感心していた。
「私は、ここにいても、誰の心の声も聞こえないよ〜」
渚がそういうと、
「聞こえる方がレアだからね…」
とみゆきが答える。
なんか、ちょっと残念だなぁ…悔しいというか。
「さぁ、そろそろ見えて来たよ。」
沢山歩いた気にはなってたけど、みゆきとの会話が楽しくあっという間の時間だった。
遠くにオレンジ色の発光体が見える。
「結構大きい?」
「東京ドーム100個分。」
「でかっ」
渚が驚くと
「うそうそ。どれくらいあるかなんて、私にはわかんないよ~」
とみゆきは冗談を言ったらしい。
「わかりにくいなぁ…」
渚がそういうと、
「雰囲気でそんなもんかなぁ?って」
二人は顔を見合わせてうふふっと笑った。
「優菜ちゃんはみゆきっちに似たんだね。」
渚が言うと
「そうだねぇ。だけど、お父さんにも、ちゃんと似てるとこあるよ。」
「どの辺が?」
「しっかりしてるとこかなぁ。あと優しいところも。」
みゆきの顔が、女の顔になってにやけていたので、
渚は、わざと悔しそうな顔をして
「ごちそうさまっ」とからかうように言った。
「そんなんじゃ、ないよぉ」
結構つよく押された。
「照れなくてもいいのに。」
フフッ。
からかったりからかわれたり、ずーっと前からの友達のように
二人はじゃれあった。
集会所が近づいてきた。
オレンジ色の光の端っこのほうに、青い光も見える。
「ねぇねぇ、あの青い光って?」
最後まで話そうとしたけど、察知したみゆきが答えを言う
「そうそう。渚っちが思った通り、あそこが教会。生まれ変われる場所。」
そうなんだ…。
楕円形の発光体に近づくと、すーっと、中に入れた。
扉があるわけでもなく、急に取り込まれた感じ。
こんな感覚、経験がなくてどう表現したらいいのか?
砂鉄と磁石が、近づくと、急にくっつくような感じ?
結局、わからないまま発光体の中に居た。
「わぁっ」
思わず声が出てしまった。
見渡す限りに、体育座りの老若男女が居た。
いや、若い人は少ないかも。
だけど、思ったより、平均年齢は若い気がした。
「びっくりするよね。」
「うん」
見てはいけないと自制しつつも、座っている人たちの顔をつい見つめてしまった。
「家のない人は、みんなここにいるの?」
「ん~、皆っていうか、だいたいここにいると思うよ」
「昨日会った私の父や友達もいる?」
渚はキョロキョロしながらみゆきにむかって質問した。
「多分ここにはいないと思う。」
「なんで?」
「集会所はここだけじゃないから。」
「え~っ」
みゆきは、驚く渚をスルーして、何かを探している。
「あ、ここだ。」
みゆきが紫色に発光している場所を見つけ、私の手を握ってきた。
「渚っち、絶対、手を離しちゃ駄目だよ。」
深刻そうな表情に、渚はつばを飲んで、緊張して頷く。
すると、紫色に発光しているところに、連れていかれた。
先にみゆきがそこに吸い込まれたようになって、繋いだ手ごと、渚の体も、その光に入り込んだ。
一瞬の後、ふっと体が軽くなり、柔らかな藁のような場所に投げ出される感覚があった。
「うわっ」
言いきる前に、どこか違うところに来たのだとわかった。
景色が違っていた。
ここの景色は、なんだか薄暗い。曇り空のような色。
芝生のような地面ではあるのだけど、緑色がかげった色。
「もう、手を離しても大丈夫だよ」
みゆきがそういうので、渚は、手の力を抜いた。
手汗をかいていて、気持ち悪かった。
「ごめん、強く握りすぎたよね」
と渚が言うと、
「大丈夫だよ」とみゆきは笑った。
「このワープみたいなのは、何?」
「みたいなのじゃなくて、ワープだよ。」
みゆきはそういうと、すぐさま立ち上がり、歩きだした。
「みゆきっち、待って。」
急いで、立ち上がり、渚はみゆきの後を追った。
5分くらい歩いたら、懐かしい感じのお家がそこにあった。
表札には、三木と書いてあった。
ピンポーン。
みゆきは、何の説明もなくそのチャイムを押した。
ガラガラっと、引き戸があき、目がクリッとした黒髪の女の子が顔をだした。
「あなたが翼ちゃんね?私はみゆきです。牧村みゆき。わかる?」
高校生だろうか?
優菜ちゃんより、ほんの少しお姉さんに見える。
翼ちゃん?
どこかで、聞いたような?
というか、どこかで見たことあるな…。
「こんにちわ。はじめまして。」
翼ちゃんがみゆきと渚に向かって、話す。
初めまして?
不思議に思ったけれど、翼ちゃんが、どうぞと家にあがるようにうながしてくれたので、お邪魔することにした。
翼は嬉しそうに、いそいそと、お茶の準備をしてくれた。
「どうぞ。」
みゆきは
「ありがとう。」と笑顔でお茶に口をつけた。
私は、「あぁっ」
と思わず大きな声をあげていた。
「能登半島豪雨の翼ちゃんだよね?」
思わずそう、口にしてしまっていた。
翼とみゆきは、顔を見合わせ、二人で微笑みあう。
翼ちゃんは、「やっと思い出したみたいですね。」
と、すこし語尾がハスキーな魅力的な声で言う。
「えっと、私翼ちゃんと面識ないけど…」
と戸惑う渚を尻目に、
「私と優菜は、翼ちゃんの声がずっと聞こえてはいたの。
翼ちゃんも私たちの声が聞こえてたんだよね?」
みゆきが翼を見つめながら話す。
「私たちは、お互いを知らないから、翼ちゃんが一人で寂しい思いをしてるのがわかっても、会いに来ることができなかったの。」
「少しは慣れた?」
みゆきは、翼のことを心配そうに見つめる。
「ありがとうございます。二人のおかげで、私、元気になれました。」
そういってから、
渚の方をみて、
「ごめんなさい。二人って、みゆきさんと優菜さんのことで…」
申し訳なさそうな翼ちゃんを見て
「いやいやいや、大丈夫。私、翼ちゃんのこともニュースでしか知らなかったし」
慌ててそう言うと
みゆきと翼は
渚に温かい目を向けて
「だけど、渚っちがいなかったら、ここに来ることは出来なかったから、渚っちにはありがとうなんだよ。」
とみゆきが言うと、翼は大きくうんうんと頷く。
「ありがとう。」
みゆきと翼にそう言われて、なんだか恥ずかしい…。
渚はもじもじしてしながら、お茶を飲み始めた。
渚は輪島市に住んでいて、能登半島地震の災害関連死で父を亡くしていた。
父の死因は、避難所でコロナに感染したことが大きな要素を占めていた。
渚が住んでいるところは、翼の住んでいた地域とは離れていた場所だったけれど、能登半島豪雨の時も、同じ空の下に居て、雨に降られながらも、勤務先に向かい、仕事をしていた。
翼とは面識はなかったものの、その被害の大きさは誰もが知るものだったし、家ごと流された中学3年生の翼ちゃんと最後まで行方不明だった同年代の山中紀子さんのことは、忘れられないほどの衝撃でその事態を見守っていた。
「そう、その山中さん!!」
渚は物思いにふけっていたけれど、その思いを翼とみゆきに読み取られてしまっていた。
ん??
何なに??
「山中さんを見つけて来てほしいの」
唐突に言われ、渚は驚いてしまった。
「私と優菜は、翼ちゃんの傍にいてあげることが出来ないから、せめて、山中さんを翼ちゃんにあわせてあげたいの。」
みゆきがそういうので、
「翼ちゃん、山中さんと知り合いでもなんでもないんでしょう?」
と思わず口にでたけど、
「うん。だけど、もし、まだこの世界にいるなら、会ってみたい。」
翼は大きな瞳で、そう言った。
「あー、でも、私、山中さんの顔覚えてないかも?」
渚がそういうと、
「大丈夫。ちゃんと会いたいと思えば、渚っちなら会える。」
二人におだてられ、山中さんを探しにいくことになってしまった。
初めての場所で、一人で歩くのはとっても怖い…。
だけど、翼ちゃんは、まだ、家から一歩も出れていないという。
一人で泣いていた翼に気が付いたみゆきと優菜が、家を無くさないように、外に出ないでとアドバイスしていたのもあった。
もし、山中さんが見つかって、もし、二人が望めば、あの家で二人で暮らして、そうなると、一人ずつ、家から離れても大丈夫になるそうだ。
この世の仕組み、難しい~
みゆきさんと優菜ちゃん、よくわかったなぁ…
翼ちゃんも二人の声とつながれてどんなに心強かっただろうか。
そんなことを考えながら、さっき翼ちゃんちに向かった紫色の発光体と反対側に、五分ほど歩いてみた。
唐突に、グレーの作業着を着た女性がうつむきながら立っていた。
もしかしたら、山中さんかも?
そう思ったけど、その女性は、こちらを見ることもなかった。
「すみません、もしかして、山中さんじゃないですか?」
恐る恐る渚が声をかけると、
まさか、自分に声をかけてくる人がいるなんて、といった表情で、
近くに誰かいるのでは?と周りを見渡してから、
「はい、山中です。」
とおそるおそる返事をしてくれた。
そりゃあ、この世界で、見知らぬ人に声をかけられたら、びっくりするよね…
渚もそう思いながら
「私、結城渚と言います。私も輪島の出身で…」
そう言いかけると、
山中さんはうわーんと大きな声で泣き出した。
渚は山中さんが泣き止むまでの間、ずっと彼女の背中をさすった。
職業病といってもいいかもしれない。
介護の現場では、利用者さんたちとの、スキンシップが多い。
渚も、自ずと人との距離が近いのかもしれなかった。
山中さんがひとしきり泣いた後、
「ごめんね、取り乱して。」
と渚に謝ってきた。
「ううん」
首をふって、背中から手を離した。
「泣いて、すっきりしたわ。」
彼女がそういって、真っ赤にはらした目で、にっこり微笑んでくれた。
「あのね、少し一緒に来てもらっていい?」
一刻も早く、翼ちゃんとみゆきのところに彼女を連れていきたくて、
細かい説明は端折って、そう言った。
不思議そうな顔をして、私の顔を見ていたけど、
山中さんは、私が歩く方に、ゆっくりついてきてくれた。
時間の経過はわからないけど、多分5分ほどで、さっきの三木家についた。
ピンポーン
インターホンを押すと、バタバタと廊下を走る音が聞こえて、はーいと、元気な翼ちゃんの声がして、ガラガラと扉が開いた。
翼ちゃんは、山中さんを家に入れようと手招きしてたけど、山中さんは、目が点のようになって、固まっていたから、渚は山中さんの背中を両手でグッと押して、お家の中にいれた。
山中さん、人見知りすぎるやろーー??
と思ったけど、本来はこっちが普通かもしれない。
緊張してカチカチになっている山中さんを引っ張って、やっと靴を脱がせて、居間まで連れて行った。
「あの〜、私どろだらけで、少しずつキレイにしようとしてるけど、まだまだで…」
そう言われて初めて、山中さんの最後が、足を滑らせて濁流に飲み込まれる映像だったことを思い出した。
「お風呂入りましょう。洗濯も出来ますよ。」
翼ちゃんは目を輝かせて、お風呂に向かって、お湯を張り始めた。
翼ちゃんの家でも、イメージ出来ることは全て形になるんだな。と妙な納得をした。
そのあと、翼ちゃんは、山中さんの姿を頭から足元までジロジロ眺めて、お父さんの服で良かったら、着替えてください。そういって、2階のご両親の部屋だった場所までかけあがり、お父さんの着ていた洋服を見繕ってもってきた。
「この辺ならいけません??」
お父さんのジャージらしい。
それと…
「これ、父のトランクスとタンクトップなんですけど、下着合いそうなのなくて、いやじゃなければ…」
翼ちゃんが言い終わる前に、
「ありがとう。」
と、涙声で、衣類を一式受け取った。
山中さんは、「お借りします」
といって、湯船がいっぱいになる前から、お風呂に入り始めた。
途中から、山中さんの鼻歌も聞こえてきて、久しぶりのお風呂を堪能しているようだった。
「翼ちゃん、山中さんはどう?」
みゆきが、翼に問うと、
「山中さんが嫌でなければ、ここで一緒に暮らしてみたいと思います」
「悪い人ではないもんね」
渚が言うと
「そうですね。今は誰でもいいからそばにいてほしい。そんな気持ちもありますし。」
翼が1人でこの世にいることは、心細く孤独だったことが多くを語らずとも、理解できた。
「うわっ」
とお風呂場から大きな声がしたあと、慌てて山中さんが出てきた。
時計を見ると一時間弱経過していた。
「ごめんなさい、久しぶりで、長湯してしまいました。」
山中さんはジャージ姿で出てきた。
ほんの少し窮屈そうにも見えた。
「大丈夫ですよ。」
翼が言うと、安心した表情の山中さんが、
「あ〜気持ちよかった〜。」
とうっとりした顔で言い放った。
「良かった」
皆口々にそう言った。
「ごはんにしましょうか?」
みゆきが、山中さんが入浴している間に、翼ちゃんちのキッチンでごはんを作ってくれていた。
「余分に作っておいたから、しばらく食べるものには困らないわよ」
みゆきは、そう微笑んで、多めに作った惣菜を、棚から出したタッパーに詰めて冷蔵庫に片付けていった。
食卓には、2人分のご飯とお味噌汁、生姜焼きと浅漬けが並んでいた。
「うわ〜美味しそう」
翼ちゃんが、一番嬉しそうな声を出した。
「誰かが作ってくれたものを食べれる日が来るなんて夢みたい」
そう言って手を合わせた。
山中さんも、恐縮しながらも、
「いただきます」と発してすぐ、久しぶりの食事を楽しんだようだった。
食事を終わったあと、みゆきがお茶碗を洗いながら、
「私と渚さんはそろそろお暇しないといけないんだけど、大丈夫かしら?」
と切り出した。
翼は、一瞬悲しそうな表情を浮かべた後、
山中さんに向かって、まっすぐな瞳で、
「山中さん、良かったら、ここで一緒に暮らしてもらえませんか?」
と切り出した。
山中さんは、これ以上開けないというほど
大きく目を見開いて驚いた表情をしたあと、
「どうして?」
と聞いた。言葉は足りていないけれど、自分が何故唐突に誘われているのか不思議に思っていることを感じた。
山中さんは渚と同じで、人の心の声は聞こえていない。
自分がここに来た理由は、わかっているものの、能登半島豪雨の被害がどのようなものであったかなどは、まったくわかっていないのだ。
「山中さんが濁流に飲まれたあの大雨は、後に能登半島豪雨といって、大きな被害がでたんです。その時に、翼ちゃんもお家ごと流されてしまって、今は一人でこの世界の中で生きています。」
渚がそう補足した。
「あぁ、私やっぱり、死んでたのね。」
山中さんは、遠い目をした。
「ご家族も私たち赤の他人も、心配していました。翼ちゃんも山中さんも、しばらく行方不明だったので。」
「あぁ…。」
その情景がわかったのか、山中さんは、自分よりずっと若い翼ちゃんを、こんなに若いのに、可哀そうに…といった表情で見つめた。
まっすぐ、山中さんを見つめている翼が
「ここで、一緒にいてほしいの。」
と直球で頼んだ。
「私でいいの?」
不安そうで自信のなさそうな山中さんだったけれど、
心の中でお母さん代わりになれるかしら?
と思ったようだった。
翼が
「お母さんにならなくてもいいから、友達でいいから、いつも、一緒じゃなくてもいいから、一緒に暮らそう。」
と反射的に答えていた。
翼が心の声が聞こえることは、山中さんには言わないのかもしれない。
だけど、それを決めるのは翼自身だ。
みゆきや渚が口を出すことではないだろう。
「よろしくお願いします。ありがとう。」
少しだけ間があいて、山中さんがそういった。
みゆきと渚は良かったと二人で見つめあった。
翼は、ありがとう。と山中さんとみゆきと渚に向かって言った。
「よかった。じゃあ、私たち、優菜のところに戻るわね。」
みゆきがそういうと
「いつか、優菜ちゃんにも会えるとうれしい。」
とキラキラした目で、翼が言った。
「次は、翼ちゃんが会いに来てくれてもいいね。」
みゆきが言うと
すごくいい案だと気が付いた翼が
「是非。」
と言った。
きっと、今日の工程を逆回しする工程で、翼は牧本家に来ることが出来るのだろう。
翼の家を後にするとき、
「渚さん、繋いでくれてありがとう。」
と翼に言われた。
前世で、牧村家、翼ちゃん、山中さんを知っていた渚だから、繋げられた縁なのかもしれなかった。
「まかせて。」
照れ隠しで、渚は、思いっきり明るく答えた。
翼ちゃんの家を出てすぐ振り返ったら、山中さんが、手を合わせておじぎをしていた。
もう、二人だから、寂しくないよね…
寂しくないわけはないけど、そう思わずにはいられなかった。
それを読み取ったみゆきが
「渚っち、大役を果たしてえらかったよ。」
と背伸びをして、頭をなでてくれた。
5分経過したころ、朝と同じ紫色に発光する場所までたどり着いた。
「みゆきっち、手つなぐよ。」
「うん」
しっかりお互いの手を握り合った渚とみゆきは
また紫に発光している場所にせーのー。で飛び込んだ。
わぁ~~。
朝とは違う気持ちで、浮遊感を味わった。
牧村家がある世界の集会場に戻ってきたようだ。
「さ、帰ろうか」
「うん、みゆきっち。」
今度は渚が先に腕を出し、みゆきがその腕を組んだ。
「また、トトロ?」
と先手を打ってみゆきをみつめると
「えぇ?だめなの~?」
と唇をとがらせた。
「翼ちゃんと山中さんうまくいくかな?」
渚がそう言うと
「翼ちゃん、人と合わせるの得意だって言ってたから、大丈夫だと思うよ。」
「そうだね。大丈夫にしていかないとだもんね。」
「そうそう。」
結局トトロの歌を歌うことなく、牧村家が見えて来た。
「優菜さみしかったかな?」
「羽のばしてるかもよ~。」
そう話しながら玄関に向かった。
ワンワン。
スズが吠えた。しっぽが千切れそうなほど振られている。
そのすぐ傍に優菜がいた。
「ただいま。」
二人が声をそろえていうと
「おかえり。いい子にして待ってた。ごはんもちゃんと作れたよ」
と、二人に向けて頭を出してきた。
道中のことは、全部お見通しらしい。
渚とみゆきは顔を見合わせた後、
優菜の頭をゆっくりなでた。
「翼ちゃんどんな子だった?優菜も会いたかったな」
「かわいかったよ〜。しっかりものだし。今度、翼ちゃんがここに会いに来てくれるって言ってたよ」
「うわ〜嬉しい。翼ちゃんに会ったら聞きたいこと一杯ある。」
「山中さんと一緒に暮らせるようになったの」
みゆきが優菜に伝えると
「渚さんのおかげだね。良かったよ。」
と、渚の方を見る。
「おかーさん、だけど…」
優菜が何かを言いかけて
みゆきが笑おうとして、泣き顔になった。
みゆきの目に涙が溜まっていくのが見えた。
みゆきは、優菜の方を見て、うなずきあって、
親子で手をとりあって、渚の方を向いた。
この雰囲気何?怖い。
心の中で渚が思った。
だけど、この言葉も全部お見通しなんだった。
と一連のお決まりのコースを一通りやった。
「渚さん。私たち、あなたに言わないといけないことがあります。」
さっきまでのあだ名ではなく、きちんと名前で呼ばれたことに、渚は身構えた。
「渚さんは、死んでないの。」
「えっ?」
「あの日の朝、渚さんを呼んだのは私たちで、理由は翼ちゃんのことと私のことを両方わかっていて、あの日、あの海に来てくれた人だから。」
渚はよくわからないまま、二人の顔をじっと見ていた。
「このまま、この世の人になってくれたらどんなに楽しいか、私も優菜も離れたくないと思っているけど、渚さんは、帰れるんだよ。」
みゆきが言うと
「私、みゆきっちも優菜ちゃんも大好きだし、ずっとここにいてもいいって言ってくれたよね?」
渚は戸惑いながら、そう言った。
自分でも、訳がわからないことを言っているのはわかっている。
死にたいと思っていたわけでもないし、死ぬような出来事があったとも思っていない私が、何故、この世界にずっと居たいと思ってしまっているのか?
帰れるよ。と言われたら、ありがとう。帰ります。で、いいのではないか?
だけど、たった数日の出来事でしかなかったのに、この場所を離れる事がつらくなってしまった。みゆきや優菜ちゃんのこと、翼ちゃんや山中さんのこと、知ってしまったから、そのまま、じゃあね。とは思えなかった。
「渚さんには、お母さんもいるでしょ?」
忘れたわけではなかった。
ずっと、頭の片隅で、母のことは思っていた。
心配だったし、父のすぐあとに、私まで。と、悲観していたことも事実ではあった。
「それにね…」
みゆきと優菜はうなづいて、握り合っていた手をほどき、優菜は、渚の腕をとった。
「来て…」
と優菜に引っ張られ、玄関を出る。
すっかり見慣れた景色になった場所を5分くらい無言で歩く。
「あっ…」
佐藤さん。
渚が勤めている介
佐藤さんは今年90歳になる女性だ。
脳梗塞が原因で、体が少し不自由になったし、言葉も多少聞き取りにくいところもあったが、頭はクリアだし、渚とも、心を通わせていた。
渚が職場で、つらいことがあっても、佐藤さんは、笑顔で、大丈夫や。と温かく包んでくれていた。
仕事を今まで続けてこれたのは、佐藤さんの存在も大きかったと思う。
「渚ちゃん、皆待ってるから、早く帰って。」
佐藤さんは私に向かって揺らいだ声でそう言った。
「佐藤さん、渚さんのことを心配して、佐藤さんの命と引き換えにしてでも、渚さんを返して。とずっと祈ってくれてたんだよ。」
優菜は補足するようにそう言った。
「えっ、いやだ。佐藤さんなんで、こんなとこにいるの。私と一緒に帰れるんでしょ?」
渚は取り乱して、佐藤さんに掴みかかった。
「私はもう90やし、こっちに来たいとおもとってん。渚ちゃん、あんたは若いんやから、こんなとこにおったらだめや。早くかえらんと。」
元気そうだった印象しかない佐藤さんがそう言ったことで、渚の目からはボロボロと涙がこぼれ始めた。
「次いくよ。」
優菜は、渚の手を再びつかむと、ずんずんと歩き始めた。
5分ほど歩いたころ、今度は年老いた男性の姿が見えて来た。
「結城さん、最後にあえて良かった。」
この方も利用者さんだ。
98歳で、歩行器を利用され、ご自分でなんでもされていた方。
長くなった眉毛が、以前一瞬総理大臣だったことのある村山富市を連想させた。
「中村さん?どうして?」
「女房が迎えにきたのです。ごはん食べとらんと、そろそろこっちに来いというてな。」
お元気そうだったけれど、ある日を境に食事をとらなくなっていたことを思い出した。
「奥様にお会い出来たのですか?」
「あぁ、女房に会えた。死んだときのままで若かった。」
「そうなんですね。良かったですね。」
亡くなったというのに、良かったというのは、おかしいかもしれない。
そう頭の中で思ったけれど、
優菜は首をふり、渚自身も、中村さんの満足そうな笑顔を見て、これでよかったのだろう。と納得しなおした。
「結城さん、みんな、あんたのこと心配しとるから、はやく、もどらないかんわ。」
中村さんが諭すように優しく言った。
渚は、「はい。」と返事をし、介護施設の利用者さんたちの顔を一人ずつ思い出していた。
優菜が後ろを向いて、涙を拭ってる姿が見えたような気がした。
だけど、優菜ちゃんとみゆきっちにお別れの挨拶も、してない…
すると、意識のどこからか、みゆきの声がした。
「渚っちは、一回帰って、またここに何度も来て、誰かを救わないとだよ。私たちに助けを求めてる声がまだどこかから聞こえる。私たちとその人たちをつなぐのが渚ちゃんの役目。まだ知らないことをちゃんと知って。そうしたら、そのたびに、私たちは会える。本当のお別れはまだまだ先。」
渚は、確かにその声を聞いた。
そうなんだね…。私が知ってることはまだまだ少ないし、私が知ることで、二人と助けを求めている誰かを繋いで、救うことが出来るんだね…。
そう理解できた途端…
また景色がぐるぐる回転し、体が浮いたかと思うと、その渦の中に吸い込まれていった。
意識がなくなってから、どれくらいの時間が経過していたのか全然わからなかったが、私は勤めていた介護施設のベッドの上で横たわっていた。
見慣れたピンク色の包布に包まれた布団がかけられていた。
部屋の外は見慣れた中庭があり、赤い花が視界に入った。
あの花の名前、なんだっけ?
また詳しい職員さんに聞いて覚えないと。
そう思った後、反対側に首をむけた。
廊下側はグリーンの暖簾のようなもので、間仕切ってあったが、その間から、廊下の向かいが看護師さんのいる部屋だとわかった。
体を起こそうとして、自分の腕に、点滴が刺さっていることがわかった。
「すみませーん」
と声を出してみたが、忙しいのだろう。
近くには、誰もいないようだった。
点滴を外して起き上がってもいいんじゃないだろうか?
と思いつつ、枕元に、スタッフコールがあるのを確認し、恐る恐るそれを押した。
頭の方に、スピーカーとマイクが内蔵されていて、
スタッフコールに気が付いた誰かが、それをとった。
「はい。」
「すみません。結城です。ご迷惑をおかけしてすみません。」
ざわざわする音や声がスピーカー越しに聞こえて来たと思ったら、
しばらくして、同僚の佐々木さんが私の前に現れた。
「結城さん、気が付いたの?よかった。びっくりして、皆大騒ぎになっとったんやよ。」
「すみません。ありがとうございます。」
こっちの日付や時間が気になって仕方なかったけれど、今はそれを確認できそうもないと、諦めた。
「今朝あんたが運ばれてから、立て続けに二人も亡くなって、こんな忙しいときになにしとりんて。」
半分冗談めかして佐々木さんが言ったことは、半分以上本音だろう。
だけど、あの海を見ていたその日であったことはわかった。
「今何時?」
立て続けにまくしたてた佐々木さんの落ち着いたタイミングを見計らって、
ようやく聞いた。
「三時すぎや。」
あの世での時間経過は、なかったことになっているのだな。と渚は思った。
もしくは、夢だったのではないか?
と自問自答したけれど、
やっぱり、夢だったとは思えない。
「誰が亡くなったの?」
佐々木さんに聞くと
「佐藤さんと中村さんや」と答えられたので、
やっぱり、夢ではなかった。と、渚の中で確信に変わった。
私、ちゃんと皆に、お別れの挨拶してないよ…
心の中で、そう思った瞬間、涙があふれたきた。
一旦駆けつけた看護師さんも、他の職員さんも、見てはいけないものを見たかのように、そっと部屋を後にした。
ありがとう。
あの世で会いたい人はまだ沢山いたし、父や友達にもまだまだ話したいことがあった。
みゆきっちや優菜ちゃん、翼ちゃんと山中さんのことも気にかかる。
だけど、最後にみゆきが送ってくれたメッセージを、私はしっかり受け止めた。
今後、災害や不慮の事故で亡くなった人の話を積極的に聞いていこう。
読んでいこう。調べていこう。
そして、私だけではなく、皆にも、その行動を促していきたい。
そうすることで、みゆきっちと優菜ちゃんのような人が、あの世で、誰かと誰かを繋げていけるかもしれない。
あの世の概念があの場所で今も存在していて、また、駐車場で、みゆきと優菜に呼んでもらえる日が来るのだ。
介護施設で、佐藤さんと中村さんを診断するために来ていた医者が、私のところに顔を出した。
「体調はいかがですか?」
と尋ねられたので、
「全然大丈夫です。」と答えて、点滴を外すように、看護師に指示してくれた。
「今日は、このまま帰っていいですよ。」
ここの施設の産業医でもある医師がそういってくれた。
だけど、近いとはいえ、何故職場にいるのだろう?
不思議には思っていた。
「結城さん、気が付いてよかった。」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、同僚の男性職員だった。
ちょうど、通勤時間が同じで、その道を通った時に、倒れる姿を見つけてしまったそうだ。
「びっくりしましたよ。急に倒れるから。あのままほっといたら、車に引かれると思って、後部座席に乗せてここに連れて来たんです。」
確かに、私たち介護職は、緊急事態に遭遇することが多いし、その都度、なんらかの判断を瞬時に下す。
その男性職員も、倒れた事自体に命の危険がないことを瞬時に判断し、病院ではなく職場に連れてくるという判断をしたらしかった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。…重かったですよね?」
上目遣いで渚は謝った。
「仕事で鍛えとるし、結城さんくらいなら、余裕や。心配せんでいいよ。」
その男性職員が仕事で利用者さんをお姫様抱っこしている姿が脳裏を横切った。
うわっ。恥ずかしい…。
渚は顔が紅潮するのを自覚した。
そのすぐ後に、みゆきと優菜のいたずらっぽい笑顔が浮かんできた。
もしかして…??
優菜はあの世だけじゃなく、この世でも、人をつなごうとしている?
こらこら…。
想像して一喜一憂したあと、
「ありがとうございます。今度お礼するので、一緒にご飯行きましょう。」
渚はそう言った。
二人が見極めた人なら、きっと間違いはないだろう。
廊下の方を見ると、心配して駆けつけてくれた利用者さんの歩行器や車いすが見えた。
