【千句鑑賞行】おぼろにも遠流の島のけふ見えず:向田貴子/メロンパン体内すこし朧なり:奥坂まや -18日目-
他の人の句の中で地名がみえるとあぁこのあたりからみたのかなとなんとなく想像がつくときがある。
どこかの記事で記載をしたが、学生の頃、日本縦断を含め、いろんなところに行く機会があったのであぁこれはこの時に見た風景だなだったりを思い出すことがしばしばある。
佐渡から見る空だったり(あいにく天の川は見えませんでしたが)、も記憶に残っている。
おぼろにも遠流の島のけふ見えず 向田貴子
本島からフェリーで隠岐諸島へ行く前にかすかに見えたようなそんな風景を覚えている。
一件、おぼろにもみえていないので、朧が季語として立っているかは考えものな句ではあるが、この句は、昨日はおぼろにみえていたんだと読むのが良いのかなと思う。昨日なのか、過去来た時なのか。そんな感じを受ける。
きっと今日は、そこで逝去なされた方々の機嫌がわるかったのか結界をはっているように本島からは見えなくなっている。
メロンパン体内すこし朧なり 奥坂まや
なんとも不思議な朧もある。
メロンパンはマスクメロンのあればなのか。
体内がおぼろ、、メロンパンはもうお腹の中なのだろう。
