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再投稿です!お墓でお酒を。一年ちょっと前に投稿した文章です。

 昨日、たまたまnoterさんの陰陽猫様が読んでくださり、それをきっかけに自分でも久しぶりに読み返してみました。大先輩の話なので大好きな記事です。正直、至らないところが多いなと思う反面、今となってはもう書けない内容でもあると感じました。
そこで、推敲した文章として再投稿することにしました。


 年に一度か二度、お墓参りに行く大好きだった大先輩(時々記事に載る植木を頂いた方)がいます。
三回目の転職先で出会った人で、立場としては大先輩、というより上司になります。
 当時、私は50歳くらい。彼はそこから30歳近く年上でした。
その会社は、創業が明治27年という老舗中の老舗。
入社すると、男性社員の中では私が若手になるほど、年配の方ばかりでした。最初は正直、どうしたものかと思いました。

 それでも、真摯に仕事をしてきたつもりです。
二年ほど経つと、皆さんの扱いも普通になり、少しずつ親しくさせていただけるようになりました。
 そんな中で、なかなか厄介な方が一人いました。
それが、後に「大好きな大先輩」になる人です。
彼は根っからの下町育ちの江戸っ子でした。
江戸っ子……本当に「さ・し・す・せ・そ」が言えません。

 父親は腕の確かな有名な職人さんで、父の言いつけでこの会社に入ったそうです。「これからは職人の道は難しい。商売をやれ!」そう言われ、この道に進んだと聞きました。

 丁稚の頃には、日本橋界隈から今もある市三坂(いちみざか)――
六本木通りを溜池方向から六本木交差点へ向けて登る、あの急な坂です。
高低差は20~25メートルほどあり、自転車にはかなりきつい坂です。
 その坂を、商売の荷物を積んだ自転車を手で押しながら登り、渋谷方面まで配達していたそうです。
 そんな仕事を経て、後に技術面の仕事に移り、つい最近まで技術のトップとして働き続けていました。

 身体のほうは、かなり前から週に1~2回の透析が必要な状態でした。
時々体調を崩して入院したり、休むこともありました。
 仕事では、私は部下として、ほぼ毎日のように顔を合わせていました。
いろいろなことを教えてもらいながら仕事をしていました。力仕事は私の役目でしたが、長年の経験のせいか、彼自身がやることもありました。

 ただ、気に入らないことがあると厄介です。
怒鳴るわけでもなく、一切話をしなくなるのです。
いわゆる「ダンマリ作戦」
これが一週間から十日ほど続くこともあり、とても困りました。

 私はあまり気にしていないように振る舞い、仕事を手伝おうとするのですが、その時は決まって、
「おめえに用事はねえ~!」
「おめえはあっち行ってくんね!」
――すべて江戸弁で、ドスの効いた声です。

ところが、許される時は前触れもなく、

「おめえ、これ、あっちに動かしてくんねか」
「おめえ~、お茶行くか⤴」(大先輩行きつけの老舗喫茶店)
と、何事もなかったように声を掛けられます。
その一言で、こちらはひと安心したものでした。

 この時、不思議と怒られてるのに、心のつぶやきでは「まただよ~」と思ってます。私が全く間違ってることを指摘されるので、怒られるのは全く気にしていませんでした。本人は直せばいい事と素直に思っていました。
 商談や説明会、染工場へ行く際には、助手として付いていくことが多かったのですが、その時は不思議ととても優しく接してくれました。

 いつのことだったかは忘れましたが、私と言う存在(傍にいること)を認められてると感じた瞬間はとても感動しました。

 18時過ぎになると、時々会社(地下)の一角に先輩方が4~5人集まり、酒を飲むことがありました。
その場に“大好きな先輩”も、ちょっとだけ顔を出すことがあります。

酒の出どころは、仕入先からのお中元やお歳暮。
時々それを拝借していました(言葉は悪いですが)。
もちろん上の方は承知の上です。
この時間が、実に楽しかった。くだらない話から、人生の話、老後のお金の話まで、いろいろ聞かせてもらいました。今では、こんな時間はもう無理でしょう。

 この頃は、まだ体調も比較的良いほうでした。しかし次第に体力が落ちていきます。ある日、定刻になっても会社に来ません。心配していると、30分ほど遅れて現れました。
理由を聞くと、「駅(地下鉄)の階段が辛くて、途中途中で休みながら来た」とのことでした。
 調子のいい時は弱音を吐かない人でしたから、よほど辛かったのでしょう。会社としても、居てもらわないと困る存在です。
 そこで、彼の体調に合わせて、出社時間を自由にする体制になりました。
入院した時は、以前と同じように、私が必要な書類を持って病院に行き、打ち合わせをしていました。
 その様子を見て、病院の人や入院患者さんが、よく驚いていました。
見た目は細くて小柄な、普通のおじいちゃんですから。
 そう見えるおじいちゃんが、専門用語で技術の難しい話をしているわけですから、無理もありません。「この鼠色(ねずいろ)もうちょっと….」とか、「生地はこれにしろ….」とかと早口で言ってきます。

 亡くなって、もう三年になります。自宅から霊園までは、二時間ちょっとかかります。パリの報告もあるし、年内にもう一度行こうかと思っています。お墓参りの時は、必ず日本酒の小瓶を持っていきます。
墓前で、彼と酒を酌み交わすつもりです。

来年1月にまたお酒を持ってお参りに行こうと思っております。

最後までご覧いただき感謝申し上げます。









 

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しゅうぼう パリに向け日々精進してまいります。