この作品があったのは東京国立近代美術館常設展3階の展示室だったと思うのですが、入室してそのまま、この作品の前に引き込まれるようにいきました。いい絵と思って近くまで見にいったのではなく、この大きな空白は何だろう、という疑問からでした。
構図がひとつのテーマなのでしょうか。
日本画を見るのは、ここ東京国立近代美術館くらいではないかと思います。
浮世絵にも大胆な構図はあります。
しかし今回見た二点の日本画は、それとは少し違っているように感じます。ひとりの人物、芸妓さんの存在感が、これほど大きな空間を必要としているのだろうか。
空白と書きましたが、決して空白でもなく実際には新緑の枝葉たちで埋め尽くされています。画面を覆う新緑の勢いに負けない存在感で、この芸子さんは描かれているように見えます。
しかし、どう見てもおかしい、ということにはなりません。
絵の前に立ったときに私が最初に感じたのは、この大きな空間への不思議さでした。
なぜこれほど大胆な構図が成立するのか、それが気になりました。
キャプションには、下記の絵については、
「芸妓さんに新緑の緑、どちらも若さを描きたいのでは、」
と書いてあります。




最初の日本画は芸妓(げいぎ)さんを描いています。
芸妓(げいぎ)さんとは、舞妓(まいこ)さんが修行を終えて
一人前になった姿を言います。
こちらもキャプションに説明があります。
私とするとこちらは、
解放感と自由をこの空白部分に表現しているように
受け止めたいような気になりました。
結局のところ、私はまだこの大きな空間の意味がよくわかりません。
それでも不思議と違和感はなく、いい絵ですね、と感じます。
縮緬を思わせる柔らかな描き方も印象に残ります。
一方で、彼女が覗いているのは古いカメラです。その取り合わせの面白さや、静かな視線の強さが、この絵全体のバランスを支えているのかもしれません。
だからこそ、この構図についてもう少し解明してみたいと思います。
次に見に行く絵画の理解にも、私の考えに十分な余裕を持たせてくれるようになるような気がします。
#創作大賞2026
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パリに向け日々精進してまいります。