「同担拒否」!? ライブ会場で考えた、コミュニケーションの不思議
ライブ行ってきました!
ライブに行ってきました。
とても素敵な楽しいステージでした。
子どもと毎日のように各メンバーの動画や配信を眺めてきたこともあり、聞き慣れた声を聞き、生身のスターとしてステージ上に実在しているのを確認できただけでもう、今日は来て良かったと思えるくらい。
たくさんの楽曲とそれに伴うキレのあるダンス。
この日を迎えるまでにどれだけの練習を積み重ねてきたのだろう。
彼らの努力の軌跡が感じられる素晴らしいステージでした。
ステージの成果は、演出家さん・舞台監督さん・音声さん・照明さん・振付師さん・衣装デザイン・作製の方・ヘアメイクさん・彼らのメンタルマネージメントを行うスタッフの方などなど、それぞれのスタッフ皆様の準備の賜物であるに違いありません。
ライブは、壇上に上がる人のパフォーマンスだけでは完成できないものです。
うちわは残念ながら振るタイミングも分からず。
遠慮がちに何度か出してみましたが、どうでしょうか、見つけてもらうことはできなかったのでは。
しかし、ステージの上からって実は、客席がよく見えるものです。
照明にもよりますが、案外、アリーナの近くの人だけでなく、2階・3階席の離れた席の人の顔も表情も良く見える。
遠くの方まで手を振ったり、手でハートを作ったりファンサービスに努めていたメンバーもいましたが、きっと彼の目にはあなたの思いが届いていたのだと思います。
「ファンサしてもらった!」と喜んでいいと思います。
一緒に応援できたら嬉しいと思うのは違うのか?
ライブの始まるかなり前から、会場近辺には「推し」グッズを身につけたファンが溢れていました。
「あの人、〇〇くんの推しだね。」
「あの人は箱推し(グループ全体のファン)なのかな。」
こちらも気になるけど、他の方もなんとなく周囲を気にしている様子。
「あの人、あなたと同じ人推しみたいよ。」
子どもの好きな方を応援していると思われる方を示すと、さっと自分のグッズを隠してその場を離れてしまいました。
同じ人を「推し」ている人の人の近くにいることが気まずいのだそうです。
「同担拒否」の人だったら怖い、とのこと。
え?他にもめちゃくちゃたくさんいるみたいだけど。
「同担拒否」とは、自分が応援している人を同じく応援している人を苦手と思う心理とのこと。
きっとたくさんの人が応援してくれたから、「推し」はあなたの目に留まるまで大きく成長したのだと思うのだけどなあ。
これからも多くの人に愛されて、より輝きを増していくのではないかとも思うのだけど。
一緒に応援したらいいじゃん。それが彼のためよ。
私ならそう思いますが、この界隈ではそう簡単なことではないようですね。
応援広告やSNS発信にみる「同担」のつながり
会場近くの駅構内には、最近誕生日を迎えたメンバーの応援広告が掲示されていました。
広告の出稿者を見ると、「〇〇さん応援団体」とあり、20名以上の方の名前が連ねられています。
この方たちがもともとリアルの友人同士なのか、それともSNSで知り合った仲間なのかは分かりません。ただ、今の時代を考えると、ネットを通じてつながった方も少なくないのではないかと想像しました。
SNSを見ていても、ライブ当日に「同担」の人たちが集まって記念写真を撮ったり、一緒に踊って動画を投稿したりしている様子を目にしました。
事前に約束して、グッズの交換をしている人もいるようですね。
いずれにしても「初めまして」の人が多いはずなのに、とても楽しそうな様子が伝わってきます。

声はかけられないけど、同じ時間、同じ好きを共有したい
その一方で、ライブ会場では、すぐ隣に同じ人を応援しているファンがいても、お互いに話しかけている様子はなかなか見当たりません。
子どもも、同じメンバーを応援している「同担」の人には声をかけられません。
「同担拒否の人だったらどうしよう。」
そんな気持ちが先に立ってしまうようです。
それなのに、ライブが始まる前には何度も、
「あの子は〇〇くん推しなんだ。」
「もしかしたらこの曲踊れるかも。一緒に踊ってくれたりしないかなぁ。」
そうつぶやいていました。
実は、この日のために家でも何度も振り付けを練習していたのです。
ライブ会場で誰かと一緒に踊ってみたい。
同じ「好き」を共有したい。
そんな気持ちはあったのに、その一歩は最後まで踏み出せませんでした。
ほんの数メートル先に、もしかしたら同じ気持ちの人がいたかもしれないのに。
近くを通る「同担」の子に、「私も〇〇くんが好きなんだ」とか、「もし良かったら、一緒にこの曲を踊らない?」と言いたくて、言えなくて、でも諦めきれなくてウジウジしている我が子。
私が代わりに「〇〇って曲踊れる?」と声かけするのは違うだろうと思って、見守るしかないもどかしさです。
「それ素敵ですね!」 がリアルでは届かない
突然の雨に雨宿りをしていた時、隣にいたお嬢さんが、たくさんのグッズをとても素敵に飾っているのをみました。「推し」への愛がよくわかる。
「その飾り、とても素敵ですね。」
思わずそう声を掛けると、子どもが慌てて私の袖を引っ張りました。
声を掛けられたお嬢さんも困ったような表情を浮かべ、会話は続かず。
その後ライブ会場でも出会いましたが、チラチラとこちらに視線を感じました。
「自分の推し活のことで人に話しかけられるのは嫌なものだよ」
と子どもに言われました。
私にとっては、素敵だなと思ったことを「素敵」と伝えることは自然なことでしたが、今は、それが必ずしも歓迎されるわけではなかったようです。不用意に声をかけて気分を害してしまったお嬢さんに、大変申し訳ない気持ちになりました。
もしも、事前にTikTokやXでいいね!をしたりフォローしあうなど、オンラインで出会っていてからの褒め言葉だったら、その先の会話は弾んでいたのでしょうか。
リアルとSNSでの距離が逆転している?
ライブ会場では、ほんの数メートル先にいるファンに声を掛けることは難しいことでした。
その一方で、Xでは「初めまして」の人同士が自然につながり、グッズ交換をしたり、応援広告を一緒に出したり、ライブ当日に待ち合わせをして楽しそうに写真を撮っている人たちがいます。
リアルでは、相手の年齢や服装、表情、雰囲気など、たくさんの情報を受け取ることができます。それでも、「どんな人だろう」と慎重になり、距離を縮めるには勇気が必要です。隣にいるのに、なかなかつながれない。
一方、SNSでは分かる情報は意外と少なく、相手の関心ごとや「推し」が誰なのかくらいしか見えないこともあります。それでも、「同じ人が好き」という共通点だけで自然と交流が始まり、つながることができる。
今は人と人が出会う順番そのものが変わってきているのかもしれないなあ。
SNSで見つける→交流する→ライブで初めて会う!
つまり
オンラインは一次接触の場
オフラインはその関係性を確かめ合う場
人見知りの私でさえ、SNSで知らない人に声を掛ける方が、リアルで「こんにちは」と話しかけるよりずっとハードルが高いと感じます。
ところが子どもの世代にとっては、その感覚は逆なのだそうです。
人と人がつながるコミュニケーションの構造は、新しい形へと変わり始めているのかもしれません。
「同担OK」も「同担拒否」も仲間の存在がファンの幸福度を高める
家に帰っていろいろと考えていたら、面白い論文を発見しました。
そこでは、同じ「推し」を応援する人への意識には、大きく二つあると論じています。
一つは、「同じ推しを支える仲間」という意識。
もう一つは、「推しを一番理解し、育てているのは自分だ」という意識から生まれるライバル意識です。
論文では、この二つを次のように説明しています。
同担同士は,それぞ れが拡張された自己を応援する存在として意識されるこ とで,いわば推しを中心にした 1 つの共同体が形成され ていると認識される。したがって,自分も同担も推しと いう神輿の担ぎ手として仲間意識を持つことが可能になる。これに対してファンが推しに対して心理的責任感を 強く持つ場合,推しの本当の魅力を理解し,推しを育て るのは同担ではなく自分である,または自分でなければ ならないと考えやすい。自分が推しを育てる目標を果た すうえでは同担は障害として意識される。すなわち,自 分と同担は推しという綱を互いに引き合う,対峙的な競争相手なのである。
この研究でとても興味深いと思ったのは、「同担OK」の人も「同担拒否」の人も、それぞれ異なる形で「同担」の存在を意識することが、推し活を通じた幸福感につながっていたという点です。
仲間意識も競争意識も、結局は「推し」を思う気持ちに変わりなし。
心の中では一緒に応援している同士です!
同じ人を好きだからこそ仲間になれる人もいる。
同じ人を好きだからこそ距離を置く人もいる。
そして、本当は好きを誰かと共有したいのに、一歩を踏み出せない人もいる。
それぞれの応援の仕方も、つながり方も人それぞれ。
だからこそ、初めてそのコミュニティに足を踏み入れた人が「ここにいていいんだ」と思える空気も、同じくらい大切なことだと思いました。
リアルにはリアルの居場所があり、オンラインにはオンラインの居場所がある。
どちらか一方ではなく、その二つを行き来しながら「好き」を共有することが、今の時代のコミュニケーションの形なのかもしれません。
ライブは、ステージを楽しむだけではなく、人と人との距離や、つながり方まで考えさせてくれる場所でもありました。
また機会をつくってライブに行ってもいいかなぁ。
少しだけ勇気はいるけれど、彼らのパフォーマンスがますます磨かれていく姿を、また見にいきたいなと思います。
どうか、次のライブでも私のリアルの居場所がありますように。
