安定を手に入れても、なぜ人は満たされなくなるのだろう
「安定した人生」を目指して生きてきた人は少なくない。
勉強して、進学校に入り、企業受けの良い大学を卒業し、安定した会社に入り、家庭を持つ。
子どもにもそうなるようにレールを引いたりもする。
将来困らないように。
安心して暮らせるように。
不安を減らし、平和な日常を手に入れるため、多くの人は努力を重ねる。
そして実際に、それなりの安定を手に入れる。
ところが不思議なことに、人は安定すると、今度は物足りなさを感じ始めることがある。
かつては「安定さえあれば幸せになれる」と思っていたはずなのに、慣れてしまう。
期待していた状態と違う。
すると、次の刺激を求め始める。
少し心が動く出来事。
新鮮な出会い。
ドキドキする感覚。
「生きている」と感じられる何か。
安定に守られながらも、その安定のありがたさを忘れ、刺激に目が向く。
もし人間がこういう仕組みなのだとしたら、少し怖い。
世間的に幸せそうに見える要素を積み重ねても、また次を求めてしまうのだとしたら。
人は、いつになれば「ここでいい」と思えるのだろう。
気がつけば、すでに抱きしめられている幸せが見えなくなり、新たな刺激に心を奪われてしまう。
病気をしたとき。
悲しい出来事が起きたとき。
何かを失いそうになったとき。
そんなとき、人は嫌でも、当たり前だった平凡のありがたさに気づく。
本当は、失ってからではなく、失う前に気づけたらいい。
でも現実的にはそこまでの域に達する人はごくわずか、そのため映画やドラマではタイムマシン的なものでその気づきを描写したりする。
「足るを知る」
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」
昔の言葉は、人間のこうした性質を見抜いていたのかもしれない。
もっとも、刺激を求めること自体が悪いとも思えない。
脳が喜ぶ感覚を追い求めるのも、人間らしさなのだろう。
ただ、その先で何かを失い、初めて大切さを知ることもある。
快楽を求めることと、今ある幸せを見つめること。
幸せとは『技術』という人もいる。
今自分は有難いことに抱きしめられていると感じる、技術。
人はその間で揺れながら、自分なりの幸せを探しているのかもしれない。
