「愛情はある、でも話は退屈だ」恋人の話を“コスト換算”してしまう僕たちの病
大好きな彼女と付き合って1年ほど。なんだかんだで結婚が現実的なミントです。
二人の関係は良好。
でも、ふとした瞬間に、彼女の楽しそうな雑談を聞きながら、頭の片隅で『この時間で、仕事のメールが何本返せただろう…』と考えてしまうことがある。
これは愛情が冷めたわけではない。でも、昔のようにどんな話でも「もっと聞きたい」と思えなくなっている自分への罪悪感。
この正体は何なのか?
「時間の無駄」の正体は、僕の「余裕のなさ」なのか?
まず、一番最初に思いつく原因としては 自分の余裕のなさ だ。
アラサーとして今が一番仕事でのアブラのノリ時。
今後の結婚のことも考えると今稼がないとという気持ちもある。
それを言い訳にして仕事にがんばっていれば大丈夫としているのもわかっている。
でも確かにやらなくてはいけない。
自分が好きでやっている仕事もあれば、やりたくない仕事もあるけど、トータルで考えたら仕事は楽しいし、仕事につながる勉強だってしていたい。
趣味の時間も減らしたくない。友だちと遊ぶ時間だって、ジムに行って身体を鍛えることだってしたい。
仕事も趣味もどこかで彼女のためにも通ずると思って正当化もしている。
だから、彼女が話す職場の愚痴やあまりにオチがないつまらない話、何も動く気がない未来の話を貴重なリソース(時間)を消費する「コスト」として無意識に計算してしまっている自分がいる。
ある「矛盾」との遭遇。キャバ嬢との会話は無駄じゃないのか?
でも、待てよ。もしこれがキャバクラだったらどうだ?
そこでの会話なんて、99%が中身のない雑談だ。
でも、それを『時間の無駄』だとは感じない。むしろお金を払ってその時間を買っている。
今後の関係性を考えれば、彼女との時間の方がよっぽど「有益」なはず。
なのに、なぜ彼女との時間にだけ「無駄」を感じてしまうのか?
この矛盾こそが、今僕が抱えている問題の本質なのではないか。
僕が忘れていた、一番大切な「目的」
キャバ嬢との会話と、彼女との会話の決定的な違い。
それは 「口説いているか、いないか」 だ。
キャバクラという世界観なのは承知の上で、
口説いている時というのは、
相手の一言一句が、自分をアピールし、相手を理解するための重要な「データ」になる。どんな雑談も「目的」があるから、無駄には感じない。
付き合う前の彼女との会話もそうだった。
今では、彼女から愛されることが「当たり前」になってしまい、「惚れさせる」という目的を失ってしまった。
目的がないから、彼女の雑談はただの「情報」にしか聞こえず、
「不要な情報=無駄」
と脳が判断してしまうのではないか。
もちろん、これは完全なる自分の「思い上がり」であり、彼女の愛情にあぐらをかいているだけだということを理解はしている。
理解はしているが、こうなってしまっている。。。
「口説く」から「育てる」へ。僕たちが本当にすべきこと
では、どうすればいいのか?もう一度、昔のように彼女を「口説き」始めればいいのか?
いや、きっとそうじゃない。
関係性のフェーズが変わったことを認識して、目的をアップデートすればいい。
これからの僕たちの目的は、彼女を「惚れさせる」ことではなく、
二人の関係性を「育てていく」こと とする。
そう考えれば、彼女の「どうでもいい話」は、
関係性という名の植物に与える「水」や「太陽の光」
のようなもの。
一つ一つの話に意味や生産性を求めること自体が間違っていた。
そもそも自分だって全ての会話に意味があるものを望んではないし、できていないはず。
結局はただ、一緒に楽しい時間を過ごしたいだけ。一人の問題を二人の問題として一緒に考えてほしいだけ。
彼女がリラックスして、楽しそうに話してくれる時間こそが、二人の関係が健康である証拠。
その時間を「無駄」と感じていた自分は、植物に水をやりながら「早く実になれ!」と怒っているようなものだった。
これからは、彼女の話を聞く時間を「コスト」ではなく、未来の二人への「投資」と捉えたい。
いや、そんな理屈っぽく考える必要はなく、ただ、愛する人が楽しそうに話す顔を、穏やかな気持ちで眺めていられる男になりたい。
スマホを持たないデートでもして、少しでも罪滅ぼしがしたい。
