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中国文明は「黄土高原文明」と言うべきか?~「石峁遺跡」の衝撃 by 村松弘一(GEN世話人)

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 今年2026年は「黄土高原」が流行語になるかもしれません。年始に放送したテレビ番組であつかわれた「石峁遺跡」が大きな反響を呼んでいます。今一度、石峁遺跡の魅力をご紹介します。
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 みなさん、今年もよろしくお願いいたします。私はこのメールマガジンを2022年から担当していますので、いよいよ5年目に入ります。

 本年は、年始から「黄土高原」が、いままでになく脚光を浴びています。2026年1月2日NHKBSで「中国 謎の巨大遺跡 “中華文明”の起源を探る」という番組が放送されました。私のところに準備段階の10月ごろNHKのディレクターの方から連絡があり、研究室で2時間ほどお話をしました(残念ながらテロップには名前はありません)。GENのNote(これまでのメールマガジンの文章をアップしています)をご覧になって、私に問い合わせてきたとのことです。この番組は近年、黄土高原で発掘された「石峁(せきぼう)遺跡」の成果から読み取ることのできる「中華文明の起源」がテーマでした。

 石峁遺跡は陝西省楡林市神木の黄土丘陵の上に発見された広大な都市遺跡です。遺跡の時代は紀元前2300年~前1800年となりますので、いわゆる「夏王朝」の遺跡と中国の学者が考えている二里頭遺跡(河南省)(前2100年~前1800年)よりも古い遺跡ということになります。そうなると、黄河文明は洛陽や長安ではなく、黄土高原の北部で発生したということになるのです。古代中国文明は「黄河文明」ではなく、まさに「黄土高原文明」と言ってよいのかもしれません。石峁遺跡は、二重の城壁に囲まれ、特に東の城壁はよく残っていて、馬面と呼ばれる防御用の施設が設置されています。中心部の皇城台という遺構は周囲が高さ30mにもなる城壁に囲まれ、位の高い人々の居住地や祭祀の場、墓地が見つかりました。

 ここに生きた人々はどんな人だったのか。出土遺物のなかには、南方の長江流域に関連する海貝(タカラガイ)・骨貝・ダチョウ卵の殻・象牙・ワニの鱗盤骨などが見つかっています。ちょうど、長江下流域の良渚文化が終わる時期であったので、南方の稲作の技術を有する人々が北方に移ってきた可能性はあります。長江中流域の石家河で出土する玉器の顔と石峁遺跡の石刻の顔の共通性を指摘する研究もあります。一方、石に文様を刻むことや馬・家猪・山羊・綿羊・黄牛などを家畜として育てていることは北方遊牧民とのかかわりをあらわしています。長江流域の農耕文化と中央アジア・モンゴル高原からの遊牧民の文化が接するのが黄土高原の北部、石峁遺跡のあたりになると考えられます。

 NHKのディレクターの方からは、気候変動についての質問がありました。この遺跡の時代にかかわるもので4.2Ka気候イベントというものが知られています。いまから4200年前、すなわち紀元前2200年ごろ、地球全体で気候が急速に寒冷化したというイベントです。そうなると良渚文化が終わり北方にやってきた人々は寒冷化で寒くなり、徐々に南に移り、黄河中流域に二里頭文化が発生するというシナリオが考えられます。気候変動については諸説有り、まだまだわからないことが多いです。

 ちなみに、NHKの番組が放送されてから、Noteの閲覧者が激増したそうです。この1ヶ月で2400ビュー以上にのぼるそうです。Google検索で「石峁」と検索すると、たまたま最初に出てくるだけなのでしょうけれど。いずれにしても、今年は「黄土高原」の歴史がバズる年になるかもしれませんね。

関連Webサイト
GEN Note 黄土高原に生きた人々の歴史物語
https://note.com/genmerumaga/m/mb6531d420bd5


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