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#05_「覚悟が道を切り拓く」シェフ経営者・中尾太一の生き方

「売上ゼロ。なのに、社員全員に給料3ヶ月分を先払いする」

コロナ禍の真っ只中、飲食店の誰もが先行きを見通せず絶望していた時、そんな決断をした男がいます。普通なら、ありえない。ロジックで考えれば、無謀としか言いようがない。一体なぜ、彼はそんな決断ができたのか。

その男とは、中尾太一くん。彼はシェフでありながら、現在は東京と京都で18もの飲食店や小売店を経営する辣腕経営者。そして、僕ら髙木ビルが銀座で手がける「SALON 91°(サロン・ナインティワン)」でも一緒にビジネスを創り上げている、まさに“伴走パートナー”と呼べる存在。

彼の原動力は一体どこから来るのか? なぜ、普通なら躊躇するような場面で、彼は大胆な一歩を踏み出せるのか?

いつも隣でその熱量を感じている僕ですが、そのキャリアは、驚きと「なんでそこまで?」の連続でした。でも、その一つひとつのエピソードに、彼の成功の秘訣、そして「源泉」が隠されている気がしてなりません。今回は、そんな中尾くんの熱量の根っこを、じっくりと掘り下げてみました。

ワンオペの衝撃と、おもてなしの原風景

僕と中尾くんの出会いは2019年。髙木ビルが運営する麻布十番のコミュニティスペース「BIRTH LAB」で開催された、ある企業のミートアップイベントでした。そこにケータリングで来ていたのが、当時まだ表参道に小さなビストロを一店舗だけ構えていた中尾くんなんです。

イベントに参加しながらも、ついオーナー目線で会場を見てしまう僕の目に、ひときわ印象的に映ったのが中尾くんの動きでした。料理、サーブ、ドリンク提供、片付け...... 30〜40人規模のイベントを、なんとたった一人で完璧に回している。参加者一人ひとりへの丁寧な気配り、料理の美味しさ、そして献身的な姿勢。後で彼がオーナーシェフだと聞いて、「え、オーナーシェフ自ら!?」と本当に驚きました。

当時の状況を彼はこう振り返ります。

「社員が2人しかいなかったので、なんでも自分でやってましたね。ケータリング会社から下請けのような形で仕事をいただいていたので、利ざやがなくって。社員を連れてきちゃうと何も残らないので、申し訳ないですけど僕一人でやってたんです」

彼の言葉からは当時の厳しい状況がうかがえますが、それでも仕事ぶりには一切の妥協が見えませんでした。細部にまで目を配り、参加者に心地よい時間を提供しようというホスピタリティがひしひしと伝わってきたんです。

不動産管理の仕事も、目に見えない部分への配慮がお客様の満足度に直結します。彼の仕事ぶりには、それに通じるプロフェッショナリズムを感じた。まさに、中尾太一という人間の「源泉」に触れた瞬間だったのかもしれません。

独立当初、表参道bistroplein時代の中尾くん

そのおもてなし精神のルーツはどこにあるのかと尋ねると、おばあ様やお母様の話をしてくれました。人を招くのが好きで、心を込めて準備をする家族の姿を見て育ったといいます。

「誰かが来るってなった時は、隅々まで掃除して、買い出しに行って、器も新しいのをわざわざ買って、『なんでそこまでするの?』みたいな。それがもしかしたら今、おもてなしの原点になっているのかな」

損得勘定ではなく、相手に喜んでもらいたいという純粋な気持ち。彼の温かさの源は、ここにあったのかと腑に落ちました。

「25歳起業」への道:覚醒、選択、そして「意地」の一歩

そんな彼が飲食の道に進んだきっかけは、実に意外なものでした。高校時代、サッカー部を引退し、大学受験予備校に通いながら始めたマクドナルドでのアルバイト。これが彼の人生を大きく動かします。

わずか3ヶ月で店長代理に抜擢されたというのだから驚きです。部活のノリで誰よりも大きな声で挨拶し、スタッフルームをピカピカにし、シフト外に自主的に改善提案のレポートをパワーポイントで作って提出する……。まさに「末恐ろしい高校生」(笑)。

ただガムシャラなだけでなく、彼は当時からすでに、普通とは違う視点で仕事の効率化を考えていました。世界最高レベルと言われるマクドナルドのオペレーションの中で、さらに上を目指そうとしていたんです。例えばレジ打ち。

「目をつぶっててもレジが打てるように、ハンバーガー、ポテト、ナゲット、ハッピーセットの場所や順番を覚えました。1回押したらこの画面が展開して、次はポテトになり、次はサイズになる、みたいなことを頭に叩き込んだんです」

マニュアルには書いていない工夫を、仕事が終わった後も残ってやっていたというから徹底しています。「変なの入っちゃったって思われてたと思います」と彼は笑いますが、18歳にしてこの視点と実行力。この徹底した効率化と改善への意識が、後の彼の活躍の礎になっているのは間違いありません。

そしてある日出勤すると、今までは一番下だったスタッフルームの組織図で、店長のすぐ下に自分の写真が貼ってあった。

「今でも覚えてるんですけど、ぞわぞわってして。『仕事で人に認められるってすごい嬉しい。僕、飲食業とかフードビジネスが向いてるんだ』と思いました」

この強烈な成功体験は、彼に大きな目標を抱かせました。なんと18歳にして「25歳で起業する」と心に決めたのです。そして、大学ではなく調理師学校への進学を決意します。その時、経営者であるお父様から、外食産業の厳しさを認識した上で、「それでも行くなら」と、こう諭されたと言います。

「『専門性を持って経営できる人材になれ』と。自分がシェフとか職人で専門性を持っていて、かつ経営の賢さがあったら、多分お前飯食っていけるよって。」

「専門性」と「経営」。この二つのキーワードは、その後のキャリアにおいて重要な道標となります。調理師学校に入学後、彼は目標に向けさらに具体的に動き出し、マクドナルド、ユニクロ、そしてミシュラン二つ星のイタリアンレストランと、三つのアルバイトを掛け持ち。そのうちの一つ、イタリアンレストランのシェフからの「まずフレンチか和食をやれ。潰しが効くし、料理の原点だ」というアドバイスを受け、フレンチの道で専門性を磨くことを決意します。

その間もマクドナルドでの活躍は続き、地方の店舗で働いていたにも関わらず、東京の本社から「君の噂を聞いたよ」と声がかかり、表参道店の立ち上げメンバーに抜擢。このマクドナルドでの経験と、そこで培われた徹底したオペレーション思考があったからこそ、あのBIRTH LABでの完璧なワンオペが実現できたのだと、改めて合点がいきました。

18歳で定めた目標から逆算し、「年表を作って」キャリアプランを実行していったという中尾くん。調理師学校卒業後に選んだ社会人キャリアのスタートは星野リゾートでした。フレンチの見習いとして入社し、専門性を磨きながらも、持ち前の主体性を発揮。現場で働きながら商品開発の資料を百品提案したり、Excelマクロで自動発注・シフト作成ツールを勝手に作ったり……。

結果、わずか3年目、23歳という若さで本社に異動し、グループ全体の料飲部門を統括するアドバイザリーメンバーに。しかし、彼はその立場に安住しませんでした。役職と実力のギャップに強い危機感を覚えた、と彼は言います。

「自分のスカスカ感がすごく嫌で。『なんかあいつ偉そうだけど何もできないよね』って言われる気がしたんですよ。実力が伴ってないなっていうのは強烈に感じてて……環境を変えようと思いました」

彼はそのギャップを埋めるため、スープストックトーキョーなどを運営するスマイルズへ転職。しかも、あえて役職のない店舗スタッフとして「百本のスプーン」の立ち上げに参加。25歳での起業を見据え、現場で再び実力を磨き直す道を選んだのです。

フランスに渡り、名門フレンチレストランで住み込み修行もした


そして迎えた25歳。計画通り起業するわけですが、その時の心境を尋ねると、意外な答えが返ってきました。「準備はできていた?」という僕の問いに、彼はきっぱりとこう言うんです。

「正直なところ、全然なかったですよ。心の中では『いや、無理っぽいな、これ』って思ってました」

自信も準備も万全ではなかった。それでも彼は、自分で決めた「25歳で起業する」という約束を、自分自身に対して果たします。ロジックで考えれば「やめたほうがいい」という結論にしかならない状況で、なぜ踏み出せたのか。

「最後は意地ですね。コンプレックスもあったと思います。決めたことでちゃんと結果を出さないと、自分のアイデンティティは証明できないと思っていました」

「やってから考えよう」とは言うものの、怖かったはず。リスクを考えれば立ち止まってしまう場面で彼を前進させたのは、自分の決めたことから逃げたくないという「意地」と「覚悟」。この一歩があったからこそ、今の彼があるのだと強く感じました。

コロナ禍で見せた「覚悟」:給料3ヶ月先払いの決断

彼の「覚悟」が再び試されたのは、コロナ禍でした。店が軌道に乗り始め、2店舗目を出したまさにその直後。飲食業界は未曾有の危機に直面します。予約はすべてキャンセル、売上はゼロに。誰もが先行きを見通せず、不安と絶望の中にいた時、彼は冒頭で触れた、あの驚くべき決断を下すのです。

この前代未聞の状況下で、しかも具体的な計画もないままに、社員全員に給料3ヶ月分を先払いすると宣言。なぜ、そんな決断ができたのか。

「うちの会社、社員はほとんどリファーラルなんですよ。付いてきてくれるメンバーを裏切ってお金だけ残しても、会社が存在する意味がない。制約を決めてから、乗り切る方法を考えようって」

何を守るべきか、彼の中には明確な基準がありました。彼はあえて退路を断つことで、自分を奮い立たせる道を選びました。

「自分を追い込むというか。火事場の馬鹿力が出るようにあえて3ヶ月分払っちゃう。で、口座を見る。でも全然ない。ここで会社が倒産したらダサいぞってなる。もう意地ですよね。」

この決断を聞いた時は、僕自身もコミュニティスペースとして運営しているBIRTH LABを閉鎖せざるを得ない状況下。「止まってはいけない」と強く思っていたので、彼の覚悟に深く共鳴しました。危機においてリーダーが何を示せるか。それは、損得勘定を超えた「覚悟」と、守るべきものへの「信念」なのかもしれません。

伴走で見えた未来:「深化」への挑戦

中尾くんがそんな覚悟でコロナ禍と向き合っていた頃、僕らもまた、閉塞感を打破するために何ができるかを模索していました。「止まってはいけない」。その想いは同じでした。そんな中、髙木ビルが所有するレジデンスの1階にあったテストキッチンを活用できないか、彼に相談したのが、新たな伴走の始まりです。

飲食業界全体が疲弊し、新しい挑戦が難しい時期。だからこそ、僕ら不動産オーナーができることがあるはずだ。そう考え、初期投資ゼロ、売上変動型の家賃という、当時としては新しいスキームでの店舗運営を提案しました。

オーナーとテナントという従来の垣根を超え、同じ目標に向かって進むパートナーになる。これは、僕らにとっても大きなチャレンジでしたが、テナントさんが生き生きとチャレンジできる環境を作ることこそが、不動産オーナーにとっても最も価値のあることだと気づかされたのです。中尾くんも、その考えに強く共感してくれました。

こうして生まれたのが、麻布十番の「BIRTH DINING by plein」。この経験が、今の銀座の「SALON 91°」へと繋がっています。

2021年、「BIRTH DINING」を会場にしたヘラルボニーとのコラボイベント

コロナという未曾有の危機は、僕らに新しい関係性の価値を教えてくれました。そして、その中で誰と手を取り合うべきか、本質を見極める機会にもなった、と中尾くんは語ります。

「あそこで縁が切れちゃった人も、実はたくさんいます。自分の価値観も変わったし、人間関係も整理された。僕が髙木社長のことを兄貴のように慕ってるのは、あの時を一緒に乗り越えたからですね」

出会いから数年、そしてコロナ禍を経て、僕と中尾くんの関係もより深く、強いものになりました。そんな彼が今、見据えている未来は「深化」。会社設立10周年に向けてのテーマとして、こう語ってくれました。

「なんかこう新しく広げていくとかよりは、事業を深掘りしていきながら、想像もしなかった世界が見たいなって今は思っています」

18店舗まで拡大してきた彼が、次に見据えるのは横への拡大ではなく、縦への深化。これから彼がどのように事業を「深化」させていくのか、そしてどんな「想像もしなかった世界」を見せてくれるのか。伴走パートナーとして最高にワクワクしながら、共に挑戦していきたい。

BRASSERIE by plein 虎ノ門ヒルズ ステーションタワーのオープニング

僕こと髙木ビル三代目代表を務める髙木秀邦と、「働き方ラジオ」パーソナリティの田中健士郎が虎の門ビルの社長室からお送りするPodcast『源泉ラジオ』。今回の対談のフルバージョンは、ぜひPodcasでお聴きください。中尾くんのアツアツな話、まだまだ続きます!


PROFILE

中尾 太一|Taichi NAKAO
1992年1月30日生 。2017年25歳の時に株式会社PLEINを創業。自身がオーナーシェフとして独立し、現在は東京・京都にて飲食店・小売店を展開。2021年経済産業省選定はばたく日本の中小企業300にレストラン業界唯一、最年少社長として受賞。2024年グッドデザイン賞受賞。また、京都で100年続く老舗食品メーカー株式会社京都やま六のグループ会社である株式会社 food o’clock 代表取締役社長も務める。その他食に関わるアドバイザーなど歴任。

https://plein-group.com


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