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山口敬之氏著「総理」をいまさらながら読んでみた。3

当時の安倍政権、そして安倍晋三氏に対しては、立場の左右を超えて、これほど評価が分かれる首相はほかにはいないだろう。(あとがきに変かえて)とあるように、確かにあれから数年たった今の時点でも、良きにつけ悪しきにつけ一方的な評価は、安倍氏に対しては未だに断ずることはできないのかもしれません(アベノミクスといったものでさえ、今の時点でその議論に終止符は打たれていないと感じます、今や韓国にも平均賃金は追い抜かれたby山本太郎 なんて言われる始末でありまして)。

ただ、その評価が分かれる、といった要因の一つとして、とてつもなく重要な用語をあげつらいたいと思います。

それは〝保守〟。

故人、中川昭一氏の告別式において、「死せる中川、生ける保守を走らす」と言う、麻生氏。
この文句が著者の山口氏にとって、最もよくあてはまるのが安倍晋三氏、なのだそうな。

さて、この〝保守〟という言葉。
これはその言葉を使う人間によって、いや、その言葉を使う政治家同士においてさえも、その意味合いの乖離は甚だしい。
一応、それらしき説明として

1.伝統文化を守る
2.疲弊した戦後システムを見直す
3.国益を守り、国際社会で尊敬される国にする

というのが「総理」には書いてありますが、ここでも保守を論じる以前に、非常に具体性を欠いています(LGBT法案も夫婦別姓問題も、その解釈の混乱で生まれたものではないでしょうか)。

そもそも山口氏にとっての保守とは、どんなものなのか。
ぜひ〝具体的に〟聞いてみたいものであります。

ちなみにネトウヨにとっての天敵とされる(笑)作家・適菜収氏によりますと。

保守主義の本質は人間理性に対する懐疑です。近代的理想の神格化が野蛮に行き着くプロセスを熟知すること、合理や理性の支配に対する抵抗、ジャンバッティスタ・ヴィーコ(一六六八~一七四四年)に始まる反デカルトの流れ……。こうした知的伝統が保守主義の基盤になっていますが(中略)

保守とは権力に対して警戒を怠らない態度のことでもあります。だからこそ、あらゆる保守思想家は、権力の分散を説いてきたのです。人間理性を信用していないので、議会主義や三権分立、二院制といった権力を分散させる仕組みを重視する。慎重にものごとを判断するわけです。

これらを踏まえて考えるに。

山口氏が記すように、総理大臣が国家像という絵を書くことは、まあいいとして。
その目的の実現のために、例の2015年の安保法制における、その前段階となる集団的自衛権の解釈改変の閣議決定(要は憲法学者等との話し合いを拒絶)断行は、保守としての姿勢なのか?

森友・加計問題の追及から逃れるため、野党による臨時国会の召集要求を90日以上も放置、臨時国会を開いた途端に解散することが、安倍氏の保守としての姿勢なのか?

「私は総理大臣ですから、神羅万象すべて担当しておりますので」
「全く正しいと思いますよ、私は総理大臣なんですから」
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」
「私が話しているのは真実。それを信じてもらえないということになれば、予算委員会が成立しない」
などと宣った安倍氏は、〝保守〟なのか?

【続く】





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