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alpacako
東京・山手線について――移動観覧電車という感覚――(エッセイ)
山手線に乗っていると、移動しているというより、
大都会の移動観覧電車に乗せられている、という感覚になることがある。
景色は流れる。
人も流れる。
けれど、自分がどこへ向かっているのかは、あまり重要ではない。
新宿に近づくにつれ、車内の空気が変わる。
混雑というより、密度が上がる。
世界で最も人が多い駅へ向かうという事実が、誰の顔にもはっきりとは書かれていない緊張をつくる。
「次は新宿です」
そのアナウンスを聞くたびに、山手線は直線の移動ではなく、高さのない円運動に近いと感じる。
観覧車の籠が少しずつ高さを変えていくように、
上がっているのか、下がっているのかは分からないまま、ただ同じ円を描いているという感覚だけが残る。
新宿で多くの人が降りる。
そして、すぐに別の人が乗ってくる。
顔ぶれは変わるが、役割は変わらない。
仕事へ向かう人、帰る人、目的のはっきりしない人。
それぞれが違う人生を持ちながら、
この車内では同じ姿勢で立ち、同じ距離感で他人と並ぶ。
ふと、自分がいつから乗っているのか分からなくなる。
何駅前だったのか。
それとも、最初からここにいたのか。
移動しているつもりで、実は回っているだけなのかもしれない。
東京という都市は、そのことを否定も肯定もせず、ただ毎日、同じ速度で私たちを運び続けている。
