東京建築祭で三田演説館を見学 そしての小泉信三先生
今年で3回目の東京建築祭。今回は慶應義塾と復興小学校を楽しみにしていました。
週末の昼から三田の慶應義塾へ。
三田の演説館は移動?移築はしたけど、かの福澤諭吉の存命中から存在する唯一の建造物だそうで。明治初期の疑洋風建築と説明されてました。
たしかに。外側はいわゆるなまこ壁で結構和風。

正面がアマビエに見えてきた


おそれいります
なかに入ってみると、
アメリカ ニューイングランドあたりの教会とかシティホールみたいと思いました。演説って行動考えると、そうなんでしょうね。それまで日本になかった演説をひろめるために福沢が演説館をつくったと聞いてたけど、おはなしを聴衆へ聞かせるって教会の日常であって、それが集会とか演説になっていったのでしょう。そう思うと、教会のようなつくりに合点。キリスト教の教会だったら、仏教のお寺でもとも思わんでもないけど、やっぱりお寺でのお説教じゃなくて、こうした西洋風のたてつけでやらにゃいかんと文明開化のころは思ったのでしょう。
その後、ステンドグラスのある図書館 旧館へ。
展示もいろいろ見れて勉強になりました。
ステンドグラスの原画は和田英作で、演説館の奥にある福沢先生像も和田英作。へえ~。旧館のチラシでは建築家の槙文彦の案内があったり。私ごときでも知ってるお名前があちこちに。綺羅星のごとくですなあ。

図書館の外観はイングランドかスコットランドの由緒あるなんかですか~ってほどの外観。太平洋戦争の無差別爆撃で被災したっていうから、これができたときはびっくりしたでしょう。

立派なステンドグラスだねえとしばらく見ていたら、まんなかの人は甲冑姿じゃん。向かいの人は西洋風で、左端の馬は西洋風かと思うと、なんかそれっぽく描いてるだけで、生身の馬のようだ。不思議なモチーフ by 和田英作

小泉信三は若いときに居候してたおじの家で知りました。
でっかい本棚があって、そのなかでなぜか異彩を放ってた「海軍主計大尉 小泉信吉」。なんか気になっておじに本や作者(小泉信三)について色々教えてもらいました。
文章、文体がなんともいえず心に残る作品だったのです。
そのおじも海軍の主計官だったので、個人的な思い入れもあったのでしょう。築地あたりのこととか、木挽町の歌舞伎座でxxをよく見たとか。色々教えてもらったなあ。 あれはある意味薫陶だったんだなあ。
都内を歩いてると、小泉信三+信吉遺跡とか、築地+木挽町あたりとか本で読んだり、話に聞いてたのがリアルに感じられて、じぶんひとりで感慨にふけっちゃったりします。
小泉信三さんはここに住んでてって、そこ慶應の敷地内じゃんってあたりで暮らしてて、ほとんど福澤家の身内だったのねとか、自分でも歌舞伎すきだけど、演目のこと、昭和頃の俳優のこと、おじのことなどなどいろいろ思ったり、考えたり。
で、小泉信三塾長による塾長訓示
視点がいいよなあ。そして、
そうだ!毅然と行け! だよなあ。
小泉信三は「海軍主計大尉 小泉信吉」で、よい父、立派な大人と漠然と思ってました。皇太子の教育係だったから開明的な立派な人のイメージ。
それが、横須賀の記念艦 三笠にあった小泉信三の一文を読んで、びっくりしたんだよなあ。戦後の文章だったけど、けっこう激烈なうしろで軍艦マーチがなってるような一文だった。
その心意気は上の塾長訓示にも通じてるよなあと思います。
日本と海外、学内と学外とか、こうあれ! って気概をもってジェントルを実践した方と今は思うのです。
(慶應義塾 門外漢より)
