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面白くない大学生をディスってはいけないワケ。

注:この記事は大学生を「面白くない」と切り捨てることを主旨としていません。

まずはこの一文を置かせていただきたい。私は対立や分断があまり好きではない。

一方で、「大学生はつまらなくないわ!面白いわ!」という主旨でもない。

私としては、「大学に入るとなぜだか面白くない人が増える」ことを感じつつも、その方たちにできるだけ寄り添った記事を書きたいというスタンスなのだ。ご留意いただければ幸いだ。

「大学はつまらない人が多い」の声

私は塾で講師をしているのだが、私が担当した生徒がこの春晴れて大学生になる。こういった門出を私は何年も見てきた。彼らの期待に満ちた表情はとても輝いて見える。

しかし、大学生活がスタートし数ヶ月が経つと

「大学にいる人たちが面白くありません。」

と言ってくる子がいる。それも結構な数がいるのだ。特に男の子に多い印象だ。

「どう面白くないの?」と聞くと、

「反応しずらい内輪のギャグを言ってきたり、大きい声でありきたりなツッコミをしてきたりする。」

と言うのだ。

この感想について、「わからなくもない」というのが正直なところだ。「大学生」と主語を大きくし、彼らをひとまとめにして「つまらない」と評する気は全くないが、私自身も大学生だった時分、同様なことを感じていたのだ。

同時に「"面白い自分"を目指しているんだろうな」という気持ちもあった。

ではなぜ、面白い自分を目指すのだろうか?

面白いとモテたいの関係

「面白ければモテる、ということか」と聞かれれば、「平たく言えばそう」という他ないのだが、ちょっと私の考えを聞いていただきたい。

小学生の頃、モテるヤツは足が速いかドッヂボールが強かった。

例としてかなり具体的だが、感覚としてはわかってもらえる気がする。彼らの優れた身体性は観るものを惹きつける。彼らはその希少性からモテるわけだが、逆を言えば多くの人はそうではないと言うことだ。みんな「モテたいな」とどこかで思っているものの、「俺には運動できるキャラは無理だな」と悟るのだと思う。

中学生になり、"勉強ができる"という新しい要素が加わる。

中学に上がると学習の難度が上がる。難度が上がるということは、勉強が"できるヤツ"と"できないヤツ"が出てくる。そこに輪をかけて「入試」という存在が立ちはだかる。基本的に全員「学力によって否応なしに測られる」という現実に直面し、学力という尺度を「取るに足らないもの」と無視することができなくなる。
結果的に「勉強ができるヤツが優れている=モテる」というケースが出てくる(運動ができるヤツほどはモテないのだが)。
ここでも希少性が関係してくる。つまり、多くの者は「俺に頭の良いキャラは無理だな」と感じるのだと思う。

そんな彼らにさす一筋の光

そんな彼らも高校生になる。時を同じくして「これなら俺でもできるかも?」という一筋の光がさす。いや、「これしかない」と言っても良いかもしれない。

それが「面白さ」だ。

思い返せば小学校・中学校と、面白いヤツは一定の評価を受けていた。それでも多くの人はストレートにそのポジションを取りには行かない。なぜならば「運動ができるヤツ」または「勉強ができて頭がキレるヤツ」としてモテる方がよりカッコよくてスマートだからだ。しかし、いよいよ手持ちのカードが少なくなってきた。

「面白い路線で行くか・・・」

意識的にか無意識的にかこう思うのではないだろうか。この思考に「流れ着く」と表現しても良い。
しかし皆さんもご存知の通り、高校生というのはコミュニティが狭い。決まった時間に決まった教室、決まったメンバー。そんな中で昨日までおとなしかった人が突然おもしろ人間になることは許されない。「ど、どうしたの(苦笑)」と言われることは想像に易いだろう。

「面白い路線で行こう」と静かな志を持ちながら、その出しどころについて、彼らは今か今かと待っているのである。

そして迎える大学生活

大学生活が始まる。基本的には人間関係もリセットされ、心機一転できるタイミングだ。これまでの自分を知る人間も少ない。
厳しい寒さを乗り越え、道端から新芽が出てくるように、彼らが温めていた「面白くありたい」という思いが芽を出し、そして開花する。突然キテレツなことをしてみたり、懐でさんざん温めてきたキラーフレーズを涼しい顔して言ってみたりする。

しかし、いかんせん初めてなのだ。それまでおもしろで売ってきていないのに、突然暴れ出すもんだからそれはそれはヒットしない。ユーモアの質も悪ければ、出しどころも間違えている。異性に本気で嫌がられているのに、それに気づかずひと通り持てるユーモアをお披露目する。
こういう状態を見て、私の生徒は「大学にいる人たちが面白くありません。」と言ったのだろう。

しかし、それは果たして悪いのか?

他人に迷惑をかけてしまっては看過できないのだが、モテようと考えることは人間の本能のようなもので、それ自体は否定することはできないし、モテるために「自分ができることは何か?」と模索することも自然なことだと思うのだ。
彼らはモラトリアムの中にいる。「こういう自分もいるのかな?ああいう自分もいるのかな?」と模索すべき時間をある意味誠実に過ごしているのだ。大人になってから適正のない場所で空回りしないように、大学生のうちに空回りしているという見方もできると思うのだ。そういう見方をすると「面白くない大学生」への見方も変わるし、私自身は彼らを応援したい。

おわりに

私は30代なのだが、大学から付き合いのある友人(つまりは私と同学年)がいまだにモラトリアムの中に閉じ込められている。時間と電車代をかけて会っているのに、1mmも面白くないギャグやオチのない話をしてくるのだ。いいかげん辟易としてきたところだか、この記事を書き、「彼も自分を探しているんだな」と思えるようになった。ちょっと遅いけどね。

彼とは最近会っていない。連絡してみようかな。

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