会津美里町で出会った素敵な人⑤ 自然を愛する行動派・片山紀彦/玲子夫妻
会津美里町を大きく分けると「新鶴」「本郷」「高田」という、20年前の合併時の町村である3分割が基本となるようです。
これは驚くほど今でも「大事」みたいだけど、
面積的にも人口的にも、「高田」が7割近くを占めています。
なので、「高田」の中を旧小学校区で7つに分けた「地区」の呼び方もまた、今でも使われる大事な区分のようです。
その区分に当てはめると、私の住んでいる地域は「高田」の中の「尾岐(おまた)」地区ということになります。「尾根が岐れる場所」という地形に即した呼び名です。
この尾岐地区は会津美里町南部の山地地帯を含んでおり、面積は非常に広いものの、人口が減り、集落に残るのは老人ばかりといった典型的な限界集落に移りつつある地域です。(私は、集落では「若い人」、職場では「ほぼ最年長」です笑)
いろんな集まりや会議で「尾岐地区」同士とわかると妙な親近感を覚えてしまう昨今、片山ご夫妻に出会いました。
片山ご夫妻は、尾岐地区冑(かぶと)の古民家に住む、いわゆる「移住者」夫妻です。夫の紀彦さんは神奈川県出身、奥様の玲子さんは宮城県出身ですが、玲子さんの父方の本家が東尾岐だという縁もあり、25年前に会津美里町に移住したそうです。
玲子さんは福祉施設で看護師を務める傍ら、「森のこめら」という里山を守ろうという団体の代表を務めています。「こめら」は会津弁で「子ども」という意味です。
一方、紀彦さんは音楽をはじめ様々な分野で仕事をしてきましたが、現在「髙橋の虫送りをつなぐ会」の代表として、話題の人でもあります。

そもそもお二人は、「自然と共生する暮らし」を実践する以前に、「何を大切にして生きるか」という価値観の部分で深く繋がっており、家族であり、同志であり、互いを引き上げつつ支え合っている、素敵な関係に見えます。
都会を離れて最初に生活したのは、静岡県の御殿場、そして伊豆の山奥へ移り、さらには新潟県の佐渡で11年暮らしたそうです。
その後、縁のあった会津美里町に移住し、冑に居を構えて18年になるそうです。
その間には東北大震災が起こり、福島では原発事故が発生しました。
インドやネパール、アジアを旅して「生きるために本当に大切なもの、必要なものは何なのか ?」かを学んだお二人は、自然な流れとして「人間が便利さを追い求めるあまり、リスクを無視して作られた原発」には反対でした。
「人間はそんなに便利じゃなくても生きられるよね」
「100年前の人は、もっと強かったんじゃないかな」
片山家の古民家の裏庭には、湧き水が溜まった小さな池(まさにビオトープ!)があります。そこには草花や山菜が根付き、魚や虫がいて、周りの木々に設置した巣箱めがけて、様々な鳥たちが集まってきます。
ダイニングの横広の窓は、ビオトープを観察する絶好のスクリーンのようです。次々やってくる鳥の名前をお二人が交互に教えてくれます。

原発反対!といっても、お二人に「過激さ」はありません。
自然を愛し、地域の伝統的行事の継承に汗を流し、飲み会に行けば奥様が飲んでご主人は「外で飲む時くらい、俺が我慢して運転手しなきゃね」とノンアルで乾杯する。とてもナチュラルで穏やかなんです。
田舎に住んでいると、案外田舎の人は「歩かない」、「出来合いのもの好き」、「病院好き、薬好き」といった事実に遭遇します。鳥や野生動物に対しては「畑を荒らし、作物を食べる困ったやつ」という認識です。「鳥獣被害」に対しては堂々と鉄砲や薬剤、電気柵などの道具で敵対します。
生活する上では当たり前のことなんですけどね…..
人口が減っていく社会は活力が失われ、不便が増え、寂しい社会に思えますが、裏を返せば「一人当たりの土地に余裕が生まれる」わけです。
江戸時代は天領だったという尾岐地区は、田畑だけでなく山の恵みも大きな地域でした。その「豊かな暮らし」に戻ると思えば怖いことなどないのかもしれません。
この辺の人は、会議の席でも、お茶のみの場でも、ちょっとマイナスな空気が流れたりすると「まあまあまあ…」ってその場をやり過ごします。
意識の高い移住者である片山夫妻は、ちゃんとした軸を持って、ブレることはないのですが、かといって決してそれをゴリ押しすることはありません。
「まあまあまあ…」
(ちなみに、お二人の間ではこうはいかないそうです…笑 そりゃそうでしょ!どこも同じです)
その柔軟な対応力を身につけた上で、「自然と共に生きる」逞しさで少しずつ地元の人に刺激を与えてくれています。
うちのばあちゃん(義母)曰く、
「冑のあの人たちは、たいした人たちだー」
「ああいう人ならオレの村にも来てほしい」
地域おこし協力隊の目指すべきお手本のようなお二人です。
