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【おばあちゃんのしもやけ】

「あらはな子ちゃん、これ、しもやけか?」牛頭町のおばあちゃんは、食卓に座る私の手を見て聞く
「う~んそうそう。私いつも冬になるとしもやけができる」とぷくりと赤く腫れた指をおばあちゃんの目にグっと近づけて見せる。
「あれ、可哀そうに、痒いやろ」
「痒いねん、で足の小指も今なってる。」
「あれ可哀そうに、ちょっとこれつけとき」とおばあちゃんは自分が水仕事の後に塗っているハンドクリームを取り、「こうやってタップリつけて塗り込んで」とハンドクリームを私の手に塗ってくれた。
私は小学校の二年生くらいの頃から、冬になると足と手によくしもやけができるようになった。
「おばあちゃんもな、昔はも~手が荒れて荒れて、大変やったんやして、割れてな~、薬も色々試したんやけど、効かんでな、も~つらて、それが、ある時内田さん(ご近所さん)から、これが手荒れに聞くからともらったクリームがあってな、試しに塗ってみたんやし。」
「え、それでどうなったん?治ったん?!」興味津々の私は身を乗り出すようにして聞く。
「おばあちゃんな、一塗りした瞬間に、これは効く!ってわかったわ。」
おばあちゃんのドヤ顔に「え~そんなんわかるの?」と私が笑って言うと、「一塗りした瞬間に、これは効く!と塗った瞬間に感じたんよ。」とおばあちゃんは真顔で繰り返す。
おばあちゃんはそのクリームをつけてからは手が荒れることが無くなったというのだ。私はおばあちゃんのホタホタツヤツヤの手を見て、「私もそのハンドクリーム欲しい」というと。「おばあちゃんも欲しいんやし。残念ながら今はもうないんやわ。内田さんにも聞いてもろたんやけど、そのクリーム売ってた人か作ってた人かが、廃業したとかなんとか。それから色々探してもなくてな。」それを聞いて私はがっかりした。

「おばあちゃんな、おじいちゃんと結婚した時には、大所帯やったやろ、大きいおばあちゃんもいたし、炊事やら洗濯やらでとにかくしもやけ、あかぎれもひどかったんやし。
おじいちゃん麻雀好きやろ、仕事終わってからよう麻雀に行って、おばあちゃん、仕舞い事やら一日の仕事が終わってお風呂入って出てきてクリーム塗り込んで『あ~ようよう寝られる』と冷たいお布団に入るんやし、今みたいに電気毛布やら、お布団を温めておく機械やらないから、冷たいんやし。でお布団入って、段々に温かくなってきて『あ~温まってきたわ~今お父ちゃん帰ってこんといて欲しいよ~どうか今は帰ってきませんように』と思ったら帰って来るんやし」
おばあちゃんが言うにはお布団の中が温まり切ったころだと良いのだが丁度温まってきた頃だとせっかく温まったものが一気に帳消しになると云うのだ。
「あれなんでやろ、面白いやろ。で、おじいちゃんは帰ってきたらお茶漬け食べるやろ。起きてお茶漬けやら用意してな。あ、でもそんな時でもおじいちゃんには全然腹が立てへんねん。お友達とかと話てるとな、『そんなん、私やったら腹立ってしょーないわ』とか言う人いるんやけどな。ほんまに不思議やけど、おばあちゃん全然腹立てへんねん。面白いやろ」とニコニコしながらおばあちゃんは話している

おばあちゃんはいつも動いていてまめな人だった。
まめを辞書でひくと、労苦をいとわず物事に励むことと書いてあるが、『おおばあちゃんの憂い』でも少し触れたが、人のためにもまめで労苦をいとわず励む、おばあちゃんはまさにそんな人だ。お料理も上手で、ぬか漬けをつけたり、常備菜をこしらえたり、和裁、洋裁も出来るので、お裁縫をしたり。編み物をしたり。母やぶうわが小さいときはおばあちゃんが作ったお洋服や着物を着せてもらっていたそうだ。
掃除、洗濯、ご飯の支度、買い物、灸をすえるのも、肩が凝っていたからなのだが、でもおばあちゃんには、そこに切迫感や悲壮感は感じられなかった。「あ~忙しい」とかいった言葉を聞いたことがなかった。
いつも自然体。

お買い物に行ってお友達と会ったらとっても楽しそうに長話を愉しみ、ご近所の量販店で買い物のついでに、瀬戸物が安くなってたら、気に入ったお湯呑みを買っておじいちゃんや私たちのを新調してくれたり。衣替えのシーズンになるとおばあちゃんはひとりで二階に行って自分のペースで服の入れ替えをし、季節の役割を終えた服に防虫剤を入れ、また来年となおしたりしていた。
その上、母は私と弟、時に父も来て週末ご飯を食べて泊まっていくこともあるのだから、それは大変だったと思うが、私や母には小言やぼやき一つ言わなかった。

洗濯を畳む時はおじいちゃんの横で座って一緒にTVを見ながら畳み、仲良しのお友達や妹から電話がくると、ケタケタと楽しそうに笑って長電話。
ぬか漬けはもっと色を美しくするためにとみょうばんを茄子にぬったり、ぬかの状態を確かめるのに、味見をしたりしていた。ぬかに釘や野菜の切れ端を入れる等、美味しいぬか漬けのための実験も欠かさず、入れ歯の調整も自分で行っていた。

そんなおばちゃんが出来上がったのは、幼少期苦労をし、戦争も経験しているからなのだろうか。

おばあちゃんの実家は繊維を扱うお商売をしていて、おばあちゃんが小さい頃はお手伝いさんが5-6人はいるとても裕福な家に育ったそうだ
「小さい時は綺麗なおべべを着せてもろてな、生活してたんよ」とおばあちゃんは話してくれたことがある。
その頃は、おばあちゃんの両親と祖母、おばあちゃんを含め6人兄妹で楽しく暮らしていたそうだ。「おばあちゃんに呼ばれてな、お酒を酒屋さんに買いに行ってきてとお使いをよく頼まれるんやし、大きい升をもらってな」
「え、大きい升って、何?そこに入れてもらうん?」「そうやして、このへんでも、昔はお豆腐買いに行くときはザルをもって行って入れてもろたりしてたんやで、お酒も酒屋さんに升やら徳利を持って行ってたわ。おばあちゃん、酒屋さんのお使いが楽しみで楽しみで仕方なかったわ。」
「何で?お駄賃貰えるから?」と聞くと
「いやいや、酒屋さん行ってお酒を升に入れてもらうやろ、升いっぱいにお酒を入れてくれるんやし。それを、こぼさんようにゆっくりゆっくり歩いて帰るんやけど、帰る途中にチビチビチビチビと舐めてな、美味しゅうてなぁ~、でちょっと歩いてはチビチビ」おばあちゃんはほろ酔いで帰っていたお使いの話を楽しそうにしてくれた。おばあちゃんはイケる口で特に日本酒に目がなく、最近はハイボールにカットレモンがお好みだ。

しかしおばあちゃんの父親が事業に失敗すると、生活は一変した
「おばあちゃんな、お弁当を持って小学校に行くんやけど、お弁当を恥ずかして開けられへんかったよ。まわりの子らはご飯と美味しそうなおかずが入っているやろ、おばあちゃんのお弁当はごそごそでな、ご飯が無い時もあったり、白いご飯に梅干しが一つのってるような時もあったわ」
そんな風だったので、おばあちゃんの母親はとにかく娘達に手に職を付けさせる必要があると考え、おばあちゃんは学校から戻ると、和裁洋裁を習いに行っていたそうだ。
おばあちゃんは当時で言う中学校になるのだろうか、卒業後にはすぐに働くことになり、役所で電話交換の仕事に就いた。電話交換の際は手際がよく、大変人気があったおばあちゃんだったので、おじいちゃんはだれかに取られてはならぬと早々にプロポーズをしたようだ。

最近ぶうわから聞いたのだが、ぶうわに子供が生まれた際、「あんたは自分のところで子供にはご飯を食べさせて完結してや、たつ子ちゃんとこみたいに、絶対つれてきたらあかんで、絶対やで」と釘をさされたそうだ。
ああ、やっぱりそりゃぁ大変だよな。私なら、もう連れてこないでとか、色々憎まれ口をたたいたろうに、私達には何も言わず大家族に嫁ぎ、仕事・子育てに奔走する母を、私達を支えてくれた。

【生薬と鍼灸】|gentle_daphne389


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