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短編小説を読む⑰池内紀編訳『カフカ短篇集』

パルです。

小さなカバンにサッと入れられる薄くて軽い文庫本が好きです^^



随分おとなになるまで、岩波少年文庫を読んでいた。本の選択基準のひとつが、訳者は誰かということだった。好きな翻訳者の訳した本は大抵面白かったように思う。
今回カフカを読んだが、なぜこの本を購入したかというと、以前より池内紀の文章が好きで、池内紀の訳した本ならまず間違いないのではないか、池内紀の訳した本を読みたいと思ったからである。

カフカ短篇集 池内紀編訳 岩波文庫

この本の登場人物はおおむね神経質で、主人公は何かする前にあれこれと思案して結局何も行動せず、ゆっくりと川に流されて果ては沈んでいくのを待つことになるというような話(『掟の門』『万里の長城』『狩人グラフス』『夢』)、もしくはあらゆる局面を思案し、最善の選択をしたにも関わらず、なぜか自分を破滅に導くような結果になってしまう話(『判決』『流刑地にて』『田舎医者』『禿鷹』『橋』)、そうかといえば人間ではない奇妙な物体や生き物が天衣無縫に躍動する話(『雑種』『バケツの騎士』『中年のひとり者ブルームフェルト』『こま』)があり、重苦しい話の合間にユーモアのある話がはさまれ、読者の気持ちをホッとさせてくれる。

自分の考えや悩みを他人と共有しようとせず、自分の頭の中で処理しようとするのは、人のアドバイスを聞いたところで有益な答えを得られるわけでもないと判断しているからなのか、または他人は自分の予想外の返事をするし、想定外のふるまいをされることで、ただただ混乱させられるのがいやなのか。

確かに、自分の心情を洗いざらい言ったところで相手が共感してくれるかといえばそうとも限らない。哀れみをもった目でみられるか、上から目線でお説教をされるか、もしくは全てを話すことにより相手に何らかの重荷を負わせてしまうこともあるかもしれない、ともかく悩みごとをこれ以上増やさないために自分の頭のなかで一人考え続ける人間の姿が描かれている。

そして、悩み続ける人間を尻目に、深く考えるということをしない人たち、たとえば『流刑地にて』の兵士と囚人、『中年のひとり者ブルームフェルト』で描かれる主人公の鍵を奪い取る少女たち、『バケツの騎士』の炭屋のおかみさん、『火夫』の火夫、またはそもそも悩みをもたない『中年のひとり者ブルームフェルト』の二つのボールや『禿鷹』の鷹、『雑種』の半分は猫、半分は羊の動物という不思議な生き物の姿は、なんて明朗でシンプルで躍動感があり、平穏で生き生きとしていることだろう。

考えることをしないものたちの、身軽さ、軽薄さ、悩まないがゆえの明るさ。

カフカの著名な小説「変身」は主人公がある日突然、虫になってしまう話である。虫に変化することで、動きも思考も徐々に緩慢になっていく。家族や社会や周囲の人々に気遣い、尽くしてきた主人公は虫になっても尚家族を心配するが、家族は主人公がいない生活を残酷なまでに平然と新たに形作っていく。少しずつ虫になった主人公はやがて悩みもしない、明日のことを憂いもしないただの生き物になっていく。カフカはこのような存在へのあこがれの気持ちを持っていたのかもしれない。

彼はおそらく、家族や仕事、恋愛など様々なことに対して心配し、悩み、考えてきた人だと思う。しかしそういう頭の中で思考し、悩み苦しむ一方で、そのような自分を突き放しその滑稽さを笑い、さらに周囲の人間をも冷ややかに見る自分もいたのではないか。同時に、なにも考えず、なにも悩まない、その無垢で健やかな存在への憧憬が数々の不思議な物語を生み出したのではないか。


 カフカ(1883-1924)は生前、『観察』や『変身』や『田舎医者』など、薄っぺらな短篇集を公にしただけだった。死に際して友人マックス・ブロートに、草稿、メモ、書簡類をも含めて自作のいっさいを焼き捨てるように頼んだ。もしブロートが友人の「遺言」を守っていたら、世界文学はフランツ・カフカを知らなかったはずである。幸いにもブロートは友人の頼みを無視した。この「誠実な裏切り」がフランツ・カフカという二十世紀の代表的な作家を生み出した。

池内紀編訳『カフカ短篇集』岩波文庫解説より


カフカの作品は、自分の頭のなかの悩みごと、考えごとから想像力を膨らませ書かれたものだと思う。芸術作品とはそういうものだといわれればそれまでだが、やはり池内紀による『カフカの生涯』(白水uブックス 白水社)によると、彼は極端に人とコミュニケーションをとることが苦手だった。
生来の性格上、自分の考えを相手に上手く伝えることが苦手で、また自分の頭のなかで考えていることを言語化するにはあまりにも思考の質量が多すぎたのではないだろうか。だから文章に書くことで、自分の心情を相手に伝えようとした。カフカは友人や恋人にあてた膨大な手紙を残している。頭の中のものを放出していかないと、ひとはどうにかなってしまうのだろう。

謙虚で、もの静かで、ひとに誠実であろうと努力し、気遣いし、いつも微笑を浮かべているような人だから、死後自分の遺した作品を読まれることは、自分の頭の中身を公に晒してしまうような感覚があったのかもしれない。
いつもカフカを手助けしてきた聡明な作家であり編集者でもあるマックス・ブロードは必然的にカフカを世に知らしめたひとということで名を残すことになる。

そして、池内紀も大学を早期退職し、次から次にカフカに関する膨大な本を出し続けた。池内さんは晩年のほとんどの時間をカフカのために費やしたのではないか。カフカの推し活をされてたんだな、本当に推しへの愛が深いなあ、と思う。池内さんは風のように亡くなってしまったという印象が、私にはある。カフカを読むひとが、池内紀という名前を記憶にとどめてくれたら、とてもうれしい。

表題の絵はカフカが描いたもの。
出典はこちらからです。


ここまでお読みくださり
ありがとうございました🍓


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